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日本語

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日本語(にほんご、にっぽんご)は、主として、日本列島で使用されてきた言語である。日本手話を母語とする者などを除いて、ほぼ全ての日本在住者は日本語を第一言語とする。日本国は法令上、公用語を明記していないが、事実上の公用語となっており、学校教育の「国語」で教えられる。使用者は、日本国内を主として約1億3千万人。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。

特徴

日本語の音韻は、「っ」「ん」を除いて母音で終わる開音節言語の性格が強く、また共通語を含め多くの方言がモーラを持つ。アクセントは高低アクセントである。古来の大和言葉では、原則として # 「ら行」音が語頭に立たない(しりとり遊びで「ら行」で始まる言葉が見つけにくいのはこのため。「らく(楽)」「らっぱ」「りんご」などは大和言葉でない) # 濁音が語頭に立たない(「抱(だ)く」「どれ」「ば(場)」「ばら(薔薇)」などは後世の変化) # 同一語根内に母音が連続しない(「あお(青)」「かい(貝)」は古くは , )

などの特徴があった(「系統」および「音韻」の節参照)。

文は、「主語修飾語述語」の語順で構成される。修飾語は被修飾語の前に位置する。また、名詞の格を示すためには、語順や語尾を変化させるのでなく、文法的な機能を示す機能語(助詞)を後ろにつけ加える(膠着させる)。これらのことから、言語類型論上は、語順の点ではSOV型の言語に、形態の点では膠着語に分類される(「文法」の節参照)。

語彙は、古来の大和言葉のほか、中国から渡来した漢語がおびただしく、さらに近代以降には西洋語を中心とする外来語が増大している(「語種」の節参照)。

待遇表現の面では、文法的・語彙的に発達した敬語体系があり、叙述される人物同士の微妙な関係を表現する(「待遇表現」の節参照)。

方言は、日本本土の東西および琉球地方で大きく異なる。さらに詳細に見れば、地方ごとに多様な方言的特色がある(「方言」の節参照)。様々な方言があるなか、明治以降の現代日本語では東京山の手の中流以上の方言(山の手言葉)を基盤に標準語(共通語)が形成されてきた(「標準語#日本の場合」参照)。

他の多くの言語と異なる点としては、まず、表記体系の複雑さが挙げられる。漢字音読みおよび訓読みで用いられる)や平仮名片仮名のほか、ラテン文字ローマ字)など、常に3種類以上の文字を組み合わせて表記する言語は珍しい(「字種」の節参照)。朝鮮語(韓国語)も漢字、ハングル、ラテン文字を併用しているが、近年は漢字の使用が激減している。なお、他の言語から導入した表語文字表音文字を併用するのは、シュメール語から楔形文字を取り入れたアッカド語ヒッタイト語などにも見られた。 また、人称表現が「わたくし・わたし・ぼく・おれ」「あなた・あんた・きみ・おまえ」などと多様である(「人称語彙」の節参照)、謙譲語が発達しているのも特徴である。

音韻は「子音+母音」音節を基本とし、母音は5種類しかないなど、わかりやすい構造をもついっぽう、直音と拗音の対立、「1音節2モーラ」の存在、無声化母音、語の組み立てにともなって移動する高さアクセントなどの特徴がある(「音韻」の節参照)。

分布

日本語は、主に日本国内で使用される。話者人口についての調査は国内・国外を問わずいまだないが、日本の人口に基づいて考えられることが一般的である。

日本国内に、法令上、日本語を公用語ないし国語と定める直接の規定はない。しかし、裁判所法においては「裁判所では、日本語を用いる」(同法74条)とされ、文字・活字文化振興法においては「国語」と「日本語」が同一視されており(同法3条、9条)、その他多くの法令において、日本語が唯一の公用語ないし国語であることが当然の前提とされている。実際に、法文を含めて公用文はすべて日本語のみが用いられ、学校教育では日本語が「国語」として教えられている。

日本国外では、主として、中南米(ブラジルペルーボリビアドミニカ共和国パラグアイなど)やハワイなどの日本人移民のあいだに日本語の使用がみられるが見坊 豪紀 (1964)「アメリカの邦字新聞を読む」『言語生活』157(1983年の『ことば さまざまな出会い』(三省堂)に収録)では、1960年代のロサンゼルスおよびハワイの邦字新聞の言葉遣いに触れる。
井上 史雄 (1971)「ハワイ日系人の日本語と英語」『言語生活』236は、ハワイ日系人の談話引用を含む報告である。
本堂 寛 (1996)「ブラジル日系人の日本語についての意識と実態―ハワイ調査との対比から」『日本語研究諸領域の視点 上』によれば、1979〜1980年の調査において、ブラジル日系人で「日本語をうまく使える」と回答した人は、1950年以前生まれで20.6%、以後生まれで8.3%だという。
、3世・4世と世代が下るにしたがって日本語を話さない人が多くなっているのが実情である亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 第二次世界大戦の終結以前に日本領ないし日本の勢力下にあったname='朝鮮半島')。。また、パラオのアンガウル州では日本語を公用語のひとつとして採用している矢崎幸生『現代先端法学の展開』信山社出版、2001年10月、10-11頁、ISBN 479723038X。が、現在州内には日本語を日常会話に用いる住民は存在せず、実態上は州公用語としての役割を果たしていない。

日本国外の日本語学習者は、韓国の約90万人、中国の約40万人、オーストラリアの約40万人をはじめ、アジア・大洋州地域を中心に約235万人となっている。日本語教育が行われている地域は、120か国と7地域に及んでいる国際交流基金調査 (2003)。 。また、日本国内の日本語学習者は、アジア地域の約10万人を中心として約13万人となっている文化庁調査 (2004)。

系統

日本語の系統は明らかでなく、解明される目途も立っていない。いくつかの理論仮説があるが、いまだ総意を得るに至っていない亀井 孝 他 [編] (1963)『日本語の歴史1 民族のことばの誕生』(平凡社)。 大野 晋・柴田 武 [編] (1978)『岩波講座 日本語 第12巻 日本語の系統と歴史』(岩波書店)。

アルタイ諸語に属するとする説は、明治時代末から特に注目されてきた藤岡 勝二 (1908)「日本語の位置」『國學院雑誌』14。。その根拠として、古代の日本語(大和言葉)において語頭にr音(流音)が立たないこと、一種の母音調和有坂 秀世 (1931)「国語にあらはれる一種の母音交替について」『音声の研究』第4輯(1957年の『国語音韻史の研究 増補新版』(三省堂)に収録)。がみられることなどが挙げられる。ただし、アルタイ諸語に属するとされるそれぞれの言語自体、互いの親族関係が証明されているわけではなく北村 甫 [編] (1981)『講座言語 第6巻 世界の言語』(大修館書店)p.121。、したがって、古代日本語に上記の特徴がみられることは、日本語がタイプとして「アルタイ型」の言語である亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 [編] (1996)『言語学大辞典6 術語編』(三省堂)の「アルタイ型」。という以上の意味をもたない。

南方系のオーストロネシア語族とは、音韻体系や語彙に関する類似も指摘されているが泉井 久之助 (1952)「日本語と南島諸語」『民族学研究』17-2(1975年の『マライ=ポリネシア諸語 比較と系統』(弘文堂)に収録)。、語例は十分ではなく、推定・不確定の例を多く含む。関連性は不明であるといわざるをえない。

ドラヴィダ語族との関係を主張する説もあるが、これを認める研究者は少ない。大野晋は日本語が語彙・文法などの点でタミル語と共通点をもつとの説を唱えるが大野 晋 (1987)『日本語以前』(岩波新書)などを参照。研究の集大成として、大野 晋 (2000)『日本語の形成』(岩波書店)を参照。、比較言語学の方法上の問題から批判が多い主な批判・反批判として、以下のものがある。家本 太郎・児玉 望・山下 博司・長田 俊樹 (1996)「「日本語=タミル語同系説」を検証する―大野晋『日本語の起源 新版』をめぐって」『日本研究(国際文化研究センター紀要)』13/大野 晋 (1996)「「タミル語=日本語同系説に対する批判」を検証する」『日本研究』15/山下 博司 (1998)「大野晋氏のご批判に答えて―「日本語=タミル語同系説」の手法を考える」『日本研究』17。(「タミル語」も参照)。

個別の言語との関係についていえば、中国語は、古来、漢字漢語を通じて日本語の表記・語彙などに強い影響を与えてきた。日本は、中国を中心とする漢字文化圏に属する。ただし、基礎語彙は対応せず、また文法的・音韻的特徴は中国語と全く異なるため、系統的関連性は認められない。

アイヌ語は、語順(SOV語順)において日本語と似るものの、文法・形態は類型論的に異なる抱合語に属し、音韻構造も有声・無声の区別がなく閉音節が多いなどの相違がある。基礎語彙の類似に関する指摘服部 四郎 (1959)『日本語の系統』(岩波書店、1999年に岩波文庫)。もあるが、例は不十分である。一般に似ているとされる語の中には、日本語からアイヌ語への借用語が多く含まれるとみられる中川 裕 (2005)「アイヌ語にくわわった日本語」『国文学 解釈と鑑賞』70-1。。目下のところは系統的関連性を示す材料は乏しい。

朝鮮語は、文法構造に類似点が多いものの、基礎語彙が大きく相違する。音韻の面では、固有語において語頭に流音が立たないこと、一種の母音調和がみられることなど、上述のアルタイ諸語と共通の類似点がある一方で、閉音節や二重子音(中期朝鮮語の場合)が存在するなど大きな相違もある。朝鮮半島死語である高句麗語とは、数詞など似る語彙もあるといわれるが新村 出 (1916)「国語及び朝鮮語の数詞に就いて」『芸文』7-2・4(1971年の『新村出全集 第1巻』(筑摩書房)に収録)。、高句麗語の実態はほとんど分かっておらず、現時点では系統論上の判断材料にはなりがたい。

また、レプチャ語ヘブライ語などとの同系論も過去に存在したが、ほとんど偽言語比較論のカテゴリーに収まる。

琉球列島(旧琉球王国領域)の言葉は、日本語の一方言琉球方言)とする場合と、日本語と系統を同じくする別言語(琉球語)とし、日本語とまとめて日本語族とする意見があるが、研究者や機関によって見解が分かれる。(当該記事参照の事)

音韻

音韻体系

日本語話者は、「いっぽん(一本)」という語を、「い・っ・ぽ・ん」の4単位と捉えている。音節ごとにまとめるならば のように2単位となるところであるが、音韻的な捉え方はこれと異なる。音声学上の単位である音節とは区別して、音韻論では「い・っ・ぽ・ん」のような単位のことをモーラ服部 四郎 (1950) "Phoneme, Phone and Compound Phone" 『言語研究』16(1960年の『言語学の方法』(岩波書店)に収録)。(拍亀井 孝 (1956)「「音韻」の概念は日本語に有用なりや」『国文学攷』15。)と称している。

日本語のモーラは、大体は仮名に即して体系化することができる。「いっぽん」と「まったく」は、音声学上は であって共通する単音がないが、日本語話者は「っ」という共通のモーラを見出す。また、「ん」は、音声学上は後続の音によって などと変化するが、日本語の話者自らは同一音と認識しているので、音韻論上は1種類のモーラとなる。

日本語では、ほとんどのモーラが母音で終わっている。それゆえに日本語は開音節言語の性格が強いということができる。もっとも、特殊モーラの「っ」「ん」には母音が含まれない。

モーラの種類は、以下に示すように111程度存在する。ただし、研究者により数え方が少しずつ異なっている。「が行」の音は、語中語尾では鼻音(いわゆる鼻濁音)の「か゜行」音となるが、若年層ではこの区別が失われてきている。そこで、「か゜行」を除外して数える場合、モーラの数は103程度となる。これ以外に、「外来語の表記」第1表にもある「シェ」「チェ」「ツァ・ツェ・ツォ」「ティ」「ファ・フィ・フェ・フォ」その他の外来音を含める場合は、さらにまた数が変わってくる松崎 寛 (1993)「外来語音と現代日本語音韻体系」『日本語と日本文学』18では、外来音を多く認めた129モーラからなる音韻体系を示す。。なお、「ヴ」は表記の上では多く見られるが、独立した音韻とは考えられない。

直音(母音) 
 
直音(子音+母音)拗音 
きゃ きゅ きょ清音
しゃ しゅ しょ(清音)
ちゃ ちゅ ちょ(清音)
にゃ にゅ にょ 
ひゃ ひゅ ひょ(清音)
みゃ みゅ みょ 
りゃ りゅ りょ 
が ぎ ぐ げ ごぎゃ ぎゅ ぎょ濁音
(か゜ き゜ く゜ け゜ こ゜)(き゜ゃ き゜ゅ き゜ょ)(鼻濁音)
ざ じ ず ぜ ぞじゃ じゅ じょ(濁音)
だ で ど(濁音)
ば び ぶ べ ぼびゃ びゅ びょ(濁音)
ぱ ぴ ぷ ぺ ぽぴゃ ぴゅ ぴょ半濁音
直音(半子音+母音)  
  
  
特殊モーラ  
撥音  
っ(促音  
ー(長音  

なお、五十音図は、音韻体系の説明に使われることがしばしばあるが、上記の日本語モーラ表と比べてみると、少なからず異なる部分がある。五十音図の成立は平安時代にさかのぼるものであり、現代語の音韻体系を反映するものではないことに注意が必要である(「日本語研究史」の節の「江戸時代以前」を参照)。

母音体系

Wikipedia画像へのリンク(o}} のときは唇の丸めを伴う。)
母音は、「」の文字で表される。音韻論上は、日本語の母音はこの文字で表される5個であり、音素記号では以下のように記される。
一方、音声学上は、基本の5母音は、それぞれ

に近い発音と捉えられる。「う」は英語などの のようには唇を丸めず、非円唇母音であるが、唇音の後では円唇母音に近づく(発音の詳細はそれぞれの文字の項目を参照)。

音韻論上、「コーヒー」「ひいひい」など、「ー」や「あ行」の仮名で表す長音という単位が存在する(音素記号では )。これは、「直前の母音を1モーラ分引く」という方法で発音される独立した特殊モーラである金田一 春彦 (1950) 「「五億」と「業苦」―引き音節の提唱」『国語と国文学』27-1(1967年に「「里親」と「砂糖屋」―引き音節の提唱」として『国語音韻の研究』(東京堂出版)に収録)などを参照。。「鳥」(トリ)と「通り」(トーリ)のように、長音の有無により意味を弁別することも多い。ただし、音声としては「長音」という特定の音があるわけではなく、長母音 の後半部分に相当するものである。

「えい」「おう」と書かれる文字は、発音上は「ええ」「おお」と同じく長母音 として発音されることが一般的である(「けい」「こう」など、頭子音が付いた場合も同様)。すなわち、「衛星」「応答」は「エーセー」「オートー」のように発音される。ただし、九州や四国南部・西部、紀伊半島南部などでは「えい」を と発音する徳川 宗賢 [編] (1989) 『日本方言大辞典 下』(小学館)の「音韻総覧」。。また軟骨魚のエイなど、語彙によって二重母音になることがあるが、これには個人差がある。一文字一文字丁寧に発話する場合には「えい」を と発音する話者も多い。歌詞として2拍で歌う場合はたいてい「い」をはっきり発音する (i.e. 「えーいーえーんにー」といった風)。

単語末や無声子音の間に挟まれた位置において、「イ」や「ウ」などの狭母音はしばしば無声化する。例えば、「です」「ます」は のように発音されるし、「菊」「力」「深い」「放つ」「秋」などはそれぞれ と発音されることがある。ただしアクセント核がある拍は無声化しにくい。個人差もあり、発話の環境や速さ、丁寧さによっても異なる。また方言差も大きく、例えば近畿方言ではほとんど母音の無声化が起こらない。

」の前の母音は鼻音化する傾向がある。また、母音の前の「ん」は前後の母音に近似の鼻母音になる。

子音体系

子音は、音韻論上区別されているものとしては、「か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ行」の子音、濁音「が・ざ・だ・ば行」の子音、半濁音「ぱ行」の子音である(このほか、特殊モーラについては本節末尾で言及)。音素記号では以下のように記される。

  • , , , (清音)
  • , , , (濁音)
  • (半濁音)
  • , (半母音とも呼ばれる)

一方、音声学上は、子音体系はいっそう複雑な様相を呈する。主に用いられる子音を以下に示す(後述する口蓋化音は省略)。

  両唇音 歯茎音 そり
舌音
歯茎硬
口蓋音
硬口
蓋音
軟口
蓋音
口蓋
垂音
声門音
破裂音 p  b t  d       k  ɡ    
鼻音 m n       ŋ ɴ  
はじき音   ɾ ɽ          
摩擦音 ɸ s  z   ɕ  ʑ ç     h
接近音         j ɰ    
破擦音   ʦ  ʣ   ʨ  ʥ        
側面接近音    l            

基本的に「か行」は 、「さ行」は ( を用いる地方・話者もある徳川 宗賢 [編] (1989) 『日本方言大辞典 下』(小学館)の「音韻総覧」。)、「た行」は 、「な行」は 、「は行」は 、「ま行」は 、「や行」は 、「だ行」は 、「ば行」は 、「ぱ行」は を用いる。

「ら行」の子音は、語頭では に似て、それよりも閉鎖のゆるい破裂音である服部 四郎 (1984) 『音声学』(岩波書店)。。英語の に近い音を用いる話者もある。適当な音声記号はないが、有声そり舌破裂音の で代用することもある斎藤 純男 (1997)『日本語音声学入門』(三省堂、2006年に改訂版)。。一方、「あらっ?」というときのように、語中語尾に現れる場合は、舌をはじく もしくは となる。

「わ行」の子音は、話者によっては唇を丸める を用いることがあるが、多くは唇の丸めのない が用いられる(「日本語」の項目では、特別の必要のない場合は で表現する)。外来音「ウィ」「ウェ」「ウォ」にも同じ音が用いられるが、「ウイ」「ウエ」「ウオ」と発音する話者も多い。

「が行」の子音は、語頭では破裂音の を用いるが、語中では鼻音の (「が行」鼻音、いわゆる鼻濁音)を用いることが一般的だった。現在では、この を用いる話者は減少しつつあり、代わりに語頭と同じく破裂音を用いるか、摩擦音の を用いる話者が増えている。

「ざ行」の子音は、語頭や「ん」の後では破擦音(破裂音と摩擦音を合わせた などの音)を用いるが、語中では摩擦音( など)を用いる場合が多い。いつでも破擦音を用いる話者もあるが、「手術(しゅじゅつ)」などの語では発音が難しいため摩擦音にするケースが多い。なお、「だ行」の「ぢ」「づ」は、一部方言を除いて「ざ行」の「じ」「ず」と同音に帰しており、発音方法は同じである。

母音「い」が後続する子音は、独特の音色を呈する。いくつかの子音では、前舌面を硬口蓋に近づける口蓋化が起こる。たとえば、「か行」の子音は一般に を用いるが、「」だけは を用いるといった具合である。口蓋化した子音の後ろに母音「あ」「う」「お」が来るときは、表記上は「い段」の仮名の後ろに「ゃ」「ゅ」「ょ」の仮名を用いて「きゃ」「きゅ」「きょ」、「みゃ」「みゅ」「みょ」のように記す。後ろに母音「え」が来るときは「ぇ」の仮名を用いて「きぇ」のように記すが、外来語などにしか使われない。

「さ行」「ざ行」「た行」「は行」の「い段」音の子音も独特の音色であるが、これは単なる口蓋化でなく、調音点が硬口蓋に移動した音である。「し」「ち」の子音は を用いる。外来音「スィ」「ティ」の子音は口蓋化した を用いる。「じ」「ぢ」の子音は、語頭および「ん」の後ろでは 、語中では を用いる。外来音「ディ」「ズィ」の子音は口蓋化した および を用いる。「ひ」の子音は ではなく硬口蓋音 である。

また、「」の子音は多くは口蓋化した で発音されるが、硬口蓋鼻音 を用いる話者もある。同様に、「」に硬口蓋はじき音を用いる話者や、「ち」に無声硬口蓋破裂音 を用いる話者もある。

そのほか、「は行」では「」の子音のみ無声両唇摩擦音 を用いるが、これは「は行」子音が → → と変化してきた名残りである。外来語には を用いる話者もある。また、「た行」では「」の子音のみ を用いる。これらの子音に母音「あ」「い」「え」「お」が続くのは主として外来語の場合であり、仮名では「ァ」「ィ」「ェ」「ォ」を添えて「ファ」「ツァ」のように記す(「ツァ」は「おとっつぁん」「ごっつぁん」などでも用いる)。「フィ」「ツィ」は子音に口蓋化が起こる。また「ツィ」は多く「チ」などに言い換えられる。「トゥ」「ドゥ」( )は、外国語の などの音に近く発音しようとするときに用いることがある。

促音「っ」(音素記号では )および撥音「ん」()と呼ばれる音は、音韻論上の概念であって、前節で述べた長音とあわせて特殊モーラと扱う。実際の音声としては、「っ」は などの子音連続となる。また、「ん」は、後続の音によって などの子音となる(ただし、母音の前では鼻母音となる)。文末などでは を用いる話者が多い。

アクセント

日本語は、一部の方言を除いて、高と低の二段階で表記できる高低アクセントを持っている。アクセントは語ごとに定まっており、モーラ(拍)単位で高低が定まる。同音語をアクセントによって弁別できる場合も少なくない。例えば東京方言の場合は、「雨」「飴」はそれぞれ「高低」(頭高型)、「低高」(平板型)と異なったアクセントで発音される。「が」「に」「を」などの助詞は固有のアクセントがなく、直前に来る名詞によって助詞のアクセント高低が決まる。例えば「箸」「橋」「端」は、単独ではそれぞれ「高低」「低高」「低高」となるが、後ろに「が」「に」「を」などの助詞が付く場合、それぞれ「高低低」「低高低」「低高高」となる。

共通語のアクセントでは、単語の中で高から低に下がる場所があるか、あるならば何モーラ目の直後に下がるかを弁別する。あるモーラの直後でアクセントが高から低に下がるとき、そのモーラをアクセント核といい、アクセントが高から低に下がるところを下がり目またはアクセントの滝という。例えば「箸」は第一拍、「橋」は第二拍にアクセント核があり、「端」にはアクセント核がない。アクセント核は一つの単語には一箇所もないか一箇所だけあるかのいずれかであり、一度下がった場合は再び上がることはない。従って、高い拍は一拍だけか、連続した数拍かであり、離れた二箇所以上に現れることはない。例えば「高低高」や「低高低高高」というアクセントを持つ一つの単語は存在しない。また、共通語のアクセントでは単語の第一拍と第二拍の高低が必ず異なり、単語と単語の切れ目を分かりやすくする機能を担っている。すなわち、「低低」「高高低」などという型も存在しない。従って、下がり目の位置が決まれば、単語中の全ての拍の高低が定まり、名詞の場合は直後の助詞の高低も定まる。アクセント核が存在しないものを平板型といい、第一拍にアクセント核があるものを頭高型、最後の拍にあるものを尾高型、第一拍と最後の拍の間にあるものを中高型という。頭高型・中高型・尾高型をまとめて起伏式と呼び、平板型を平板式と呼んで区別することもある。

日本語のアクセントは、方言ごとの違いが大きい。日本語のアクセント体系はいくつかの種類に分けられるが、特に広範囲で話され話者数も多いのは東京式アクセント京阪式アクセントの2つである。東京式アクセントは下がり目の位置のみを弁別するが、京阪式アクセントは下がり目の位置に加えて第一拍の高低を弁別する。一般にはアクセントの違いは日本語の東西の違いとして語られることが多いが、実際の分布は単純な東西対立ではなく、東京式アクセントは概ね北海道東北地方北部、関東地方西部、甲信越地方東海地方の大部分、中国地方四国の一部、九州北東部、沖縄県の一部に分布しており、京阪式アクセントは北陸地方近畿地方、四国の大部分に分布している。すなわち、近畿地方を中心とした地域に京阪式アクセント地帯が広がり、その東西を東京式アクセント地域が挟む形になっている。日本語の標準語・共通語のアクセントは、東京の山の手言葉のものを基盤にしているため東京式アクセントである。

また、九州の西部や沖縄の一部には型の種類が二種類になっている二型式アクセントが分布し、九州南部の一部には型の種類が一種類になっている一型式アクセント地帯がある。また、東北地方南部から北東北にかけての地域と、九州の東京式アクセント地帯と二型式アクセント地帯に挟まれた地域では、アクセントの型が崩壊し、話者にアクセントの知覚がなく、どこを高くするという決まりがない崩壊アクセント(無アクセント)地域がある。これらの大区分の中にも様々な変種があり、さらにそれぞれの体系の中間型や別派なども存在する。

「花が」が東京で「低高低」、京都で「高低低」と発音されるように、単語のアクセントは地方によって異なる。ただし、それぞれの地方のアクセント体系は互いにまったく無関係に成り立っているのではない。多くの場合において規則的な対応がみられる。たとえば、「花が」「山が」「池が」を東京ではいずれも「低高低」と発音するが、京都ではいずれも「高低低」と発音し、「水が」「鳥が」「風が」は東京ではいずれも「低高高」と発音するのに対して京都ではいずれも「高高高」と発音する。また、「松が」「空が」「海が」は東京ではいずれも「高低低」と発音されるのに対し、京都ではいずれも「低低高」と発音される。このように、ある地方で同じアクセント類に属する語は、他の地方でも同じアクセント類に属することが一般的に観察される。

この事実は、日本の方言アクセントが過去に同一のアクセントをもった言語体系から分かれたものであることを意味する。服部四郎はこれを原始日本語のアクセントと称したが服部 四郎 (1951)「原始日本語のアクセント」『国語アクセント論叢』(法政大学出版局)。、それが具体的にどのようなものであったかについては諸説がある。たとえば金田一春彦金田一 春彦 (1954)「東西両アクセントのちがいができるまで」『文学』22-8。や奥村三雄奥村 三雄 (1955)「東西アクセント分離の時期」『国語国文』20-1。は、院政期京阪式アクセント名義抄式アクセント)を日本語アクセントの祖体系として想定し、現在の諸方言アクセントのほとんどは南北朝時代以降に順次アクセント変化を起こした結果生じたと推定している。

文法

文の構造

Wikipedia画像へのリンク(日本語の文の例
上の文は、橋本進吉の説に基づき主述構造の文として説明したもの。下の文は、主述構造をなすとは説明しがたいもの。三上章はこれを題述構造の文と捉えている。)
日本語では「私は本を読む。」という語順で文を作る。英語で「I read a book.」という語順をSVO型(主語・動詞・目的語)と称する説明にならっていえば、日本語の文はSOV型ということになる。もっとも、厳密にいえば、英語の文に動詞が必須であるのに対して、日本語文は動詞で終わることもあれば、形容詞や名詞+助動詞で終わることもある。そこで、日本語文の基本的な構造は、「S(主語 subject)‐V(動詞 verb)」というよりは、「S(主語)‐P(述語 predicate)」という「主述構造」と考えるほうが、より適当である。 # 私は(が) 社長だ。 # 私は(が) 行く。 # 私は(が) うれしい。

上記の文は、いずれも「S‐P」構造、すなわち主述構造をなす同一の文型である。英語などでは、それぞれ「SVC」「SV」「SVC」の文型になるところであるから、それにならって、1を名詞文、2を動詞文、3を形容詞文と分けることもある。しかし、日本語ではこれらの文型に本質的な違いはない。そのため、英語を学び始めたばかりの中学生などは、"I am happy." と同じ調子で "I am go." と誤った作文をすることがある。

また、日本語文では、主述構造とは別に、「題目‐述部」からなる「題述構造」をとることがきわめて多い。題目とは、話のテーマ(主題)を明示するものである(三上章は "what we are talking about" と説明する三上 章 (1972) 『続・現代語法序説』(くろしお出版)。)。よく主語と混同されるが、別概念である。主語は「が」によって表され、動作や作用の主体を表すものであるが、題目は「は」によって表されその文が「これから何について述べるのか」を明らかにするものである。その文において題目が同時に主語でもある場合は題目に「は」が付くことにより結果的に主語に「は」が付く。題目が同時に目的語でもある場合は題目に「は」が付くことにより結果的に目的語に「は」が付く。

たとえば、
  1. 象は 大きい。
  2. 象は おりに入れた。
  3. 象は えさをやった。
  4. 象は 鼻が長い。
などの文では、「象は」はいずれも題目を示している。4の「象は」は「象が」に言い換えられるもので、事実上は文の主語を兼ねる。しかし、5以下は「象が」には言い換えられない。5は「象を」のことであり、6は「象に」のことである。さらに、7の「象は」は何とも言い換えられないものである(「象の」に言い換えられるともいう三上 章 (1960)『象は鼻が長い―日本文法入門』(くろしお出版)。)。これらの「象は」という題目は、「が」「に」「を」などの特定の格を表すものではなく、「私は象について述べる」ということだけをまず明示する役目を持つものである。これらの文では、題目「象は」に続く部分全体が「述部」ということになる。(ただし、鈴木重幸『日本語文法・形態論』は、7の文について「象は」が主語、「鼻が長い」を連語述語ととらえる。また、5,6の「象は」は、題目をさしだす機能を持つ「題目語」ととらえる。高橋太郎他の『日本語の文法』も「題目語」の概念を取り入れている。)

日本語と同様に題述構造の文をもつ言語(主題優勢言語:en:Topic-prominent language)は、東アジアなどに分布する。たとえば、中国語朝鮮語ベトナム語マレー語タガログ語にもこの構造の文が見られる。

主語廃止論

Wikipedia画像へのリンク(日本語・英語の構文の違い
三上説によれば、日本語の文は、「紹介シ」の部分に「ガ」「ニ」「ヲ」が同等に係る。英語式の文は、「甲(ガ)」という主語だけが述語「紹介シタ」と対立する。)
上述の「象は鼻が長い。」のように、「主語‐述語」の代わりに「題目‐述部」と捉えるべき文が非常に多いことを考えると、日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方が成り立つ。三上章は、ここから「主語廃止論」(主語という文法用語をやめる提案)を唱えた。三上によれば、
  • 甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ。

という文において、「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はいずれも「紹介シ」という行為を説明するために必要な要素であり、優劣はない。重要なのは、それらをまとめる述語「紹介シタ」の部分である。「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はすべて述語を補足する語(補語)となる。一方、英語などでの文で主語は、述語と人称などの点で呼応しており、特別の存在である

この考え方に従えば、英語式の観点からは「主語が省略されている」としかいいようがない文をうまく説明することができる。たとえば、
  • ハマチの成長したものをブリという。
  • ここでニュースをお伝えします。
  • 日一日と暖かくなってきました。

などは、いわゆる主語のない文である。しかし、日本語の文では述語に中心があり、補語を必要に応じて付け足すと考えれば、上記のいずれも、省略のない完全な文とみなして差し支えない。

今日の文法学説では、主語という用語・概念は、作業仮説として有用な面もあるため、なお一般に用いられている。一般的には格助詞「ガ」を伴う文法項を主語とみなす。ただし、三上の説に対する形で日本語の文に主語が必須であると主張する学説は、生成文法や鈴木重幸らの言語学研究会グループなど、主語に統語上の重要な役割を認める学派を除いて、少数派である。森重敏は、日本語の文においても主述関係が骨子であるとの立場をとるが、この場合の主語・述語も、一般に言われるものとはかなり様相を異にしている森重 敏 (1965)『日本文法―主語と述語』(武蔵野書院)。。現在一般的に行われている学校教育における文法(学校文法)では、主語・述語を基本とした伝統的な文法用語を用いるのが普通だが、教科書によっては主語を特別扱いしないものもあるたとえば、東京書籍『新編 新しい国語 1』(中学校国語教科書)では、1977年の検定本では「主語・述語」を一括して扱っているが、1996年の検定本ではまず述語について「文をまとめる重要な役割をする」と述べたあと、主語については修飾語と一括して説明している。

文の成分

文を主語・述語から成り立つと捉える立場でも、この2要素だけでは文の構造を十分に説明できない。主語・述語には、さらに修飾語などの要素が付け加わって、より複雑な文が形成される。文を成り立たせるこれらの要素を「文の成分」と称する。

学校文法では、文の成分として「主語」「述語」「修飾語」(連用修飾語・連体修飾語)「接続語」「独立語」、および、教科書によっては「並立語」を立てる。以下、学校文法の区分に従いつつ、それぞれの文の成分の種類と役割とについて述べる。

  • 主語・述語 文を成り立たせる基本的な成分である。ことに述語は、文をまとめる重要な役割を果たす。「雨が降る。」「本が多い。」「私は学生だ。」などは、いずれも主語・述語から成り立っている。教科書によっては、述語を文のまとめ役として最も重視する一方、主語については修飾語と合わせて説明するものもある(前節「主語廃止論」参照)。
  • 連用修飾語 用言にかかる修飾語である(用言については「自立語」の節を参照)。「兄が弟に算数を教える。」という文で「弟に」「算数を」など格を表す部分は、述語の動詞「教える」にかかる連用修飾語ということになる。また、「算数をみっちり教える。」「算数を熱心に教える。」という文の「みっちり」「熱心に」なども、「教える」にかかる連用修飾語である。ただし、「弟に」「算数を」などの成分を欠くと、基本的な事実関係が伝わらないのに対し、「みっちり」「熱心に」などの成分は、欠いてもそれほど事実の伝達に支障がない。ここから、前者は文の根幹をなすとして補充成分と称し、後者に限って修飾成分と称する説もある北原 保雄 (1981)『日本語の世界 6 日本語の文法』(中央公論社)。国語教科書でもこの2者を区別して説明するものがある。
  • 連体修飾語 体言にかかる修飾語である(体言については「自立語」の節を参照)。「私の本」「動く歩道」「赤い髪飾り」「大きな瞳」の「私の」「動く」「赤い」「大きな」は連体修飾語である。鈴木重幸鈴木康之高橋太郎鈴木泰らは、ものを表す文の成分に特徴を付与し、そのものがどんなものであるかを規定(限定)する文の成分であるとして、連体修飾語を「規定語」(または「連体規定語」)と呼んでいる。
  • 接続語 「疲れたので、動けない。」「買いたいが、金がない。」の「疲れたので」「買いたいが」のように、あとの部分との論理関係を示すものである。また、「今日は晴れた。だから、ピクニックに行こう。」「君は若い。なのに、なぜ絶望するのか。」における「だから」「なのに」のように、前の文とその文とをつなぐ成分も接続語である。品詞分類では、常に接続語となる品詞を接続詞とする。
  • 独立語 「はい、分かりました。」「姉さん、どこへ行くの。」「新鮮、それが命です。」の「はい」「姉さん」「新鮮」のように、他の部分にかかったり、他の部分を受けたりすることがないものである。かかり受けの観点から定義すると、結果的に、独立語には感動・呼びかけ・応答・提示などを表す語が該当することになる。品詞分類では、独立語としてのみ用いられる品詞を感動詞とする。名詞や形容動詞語幹なども独立語として用いられる。
  • 並立語 「ミカンとリンゴを買う。」「琵琶湖の冬は冷たく厳しい。」の「ミカンとリンゴを」や、「冷たく厳しい。」のように並立関係でまとまっている成分である。全体としての働きは、「ミカンとリンゴを」の場合は連用修飾部に相当し、「冷たく厳しい。」は述部に相当する。
現行の学校文法では、英語にあるような「目的語」「補語」などの成分はないとする。英語文法では "I read a book." の "a book" はSVO文型の一部をなす目的語であり、また、"I go to the library." の "the library" は前置詞とともに付け加えられた修飾語と考えられる。一方、日本語では、
  • 私は本を読む。
  • 私は図書館へ行く。

のように、「本を」「図書館へ」はどちらも「名詞+格助詞」で表現されるのであって、その限りでは区別がない。これらは、文の成分としてはいずれも「連用修飾語」とされる。ここから、学校文法に従えば、「私は本を読む。」は、「主語‐目的語‐動詞」(SOV)文型というよりは、「主語‐修飾語‐述語」文型であると解釈される。

  • 対象語(補語) 鈴木重幸鈴木康之らは、「連用修飾語」のうち、「目的語」に当たる語は、述語の表す動きや状態の成立に加わる対象を表す「対象語 object」であるとし、文の基本成分として認めている。(高橋太郎鈴木泰工藤真由美らは「対象語」と同じ文の成分を、主語・述語が表す事柄の組み立てを明示するために、その成り立ちに参加する物を補うという文中における機能の観点から、「補語」と呼んでいる。)
  • 状況語 「明日、学校で運動会がある。」の「明日」「学校で」など、出来事や有様の成り立つ状況を述べるために時や場所、原因や目的(「雨だから」(「体力向上のために」など)を示す文の成分のことを「状況語」とも言う(鈴木重幸『日本語文法・形態論』、高橋太郎他『日本語の文法』他)。学校文法では「連用修飾語」に含んでいるが、(連用)修飾語が、述語の表す内的な属性を表すのに対して、状況語は外的状況を表す「とりまき」ないしは「額縁」の役目を果たしている。状況語は、出来事や有様を表す部分の前に置かれるのが普通であり、主語の前に置かれることもある。なお、「状況語」という用語はロシア語・スペイン語・中国語(中国語では「状語」と言う)などにもあるが、日本語の「状況語」と必ずしも概念が一致しているわけではなく、修飾語を含んだ概念である。

修飾語の特徴

日本語では、修飾語はつねに被修飾語の前に位置する。「ぐんぐん進む」「白い雲」の「ぐんぐん」「白い」はそれぞれ「進む」「雲」の修飾語である。修飾語が長大になっても位置関係は同じで、たとえば、
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲(佐佐木信綱)

という短歌は、冒頭から「ひとひらの」までが「雲」にかかる長い修飾語であり、詩的効果を生んでいる。

書き手によっては、修飾語を長々とつらねて、肝心の被修飾語がなかなか表れない文章を書くことがある。また、法律文や翻訳文などでも、長い修飾語を主語・述語の間に挟み、文意を取りにくくしていることがしばしばある。たとえば、憲法前文の一節に、
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

とあるが、主語(題目)の「われら」、述語の「信ずる」の間に「いづれの国家も……であると」という長い修飾語が介在している。この種の文を読み慣れた人でなければわかりにくい。英訳で "We hold…"(われらは信ずる)と主語・述語が隣り合うのとは対照的である。

もっとも、修飾語が後置される英語でも、修飾関係の分かりにくい文が現れることがある。次のような文は「袋小路文」(:en:garden path sentence)と呼ばれる。

The horse raced past the barn fell.(納屋を抜けて走らされた馬が倒れた。)

この場合、日本語の文では「馬」にかかる連体修飾語「納屋を抜けて走らされた」が前に来ているために誤解がないが、英語では "The horse" を修飾する "raced past the barn" があとに来ているために、誤解の元になっている。

品詞体系

[[画像:JapanesePartsOfSpeech.png|frame|right|学校文法の品詞体系
元の図は、 橋本進吉「国語法要説」橋本 進吉 (1948)『国語法研究(橋本進吉博士著作集 第2冊)』(岩波書店)。に掲載。上図および現在の国語教科書では微修正を加えている。]]

名詞や動詞、形容詞といった「品詞」の概念は、上述した「文の成分」の概念とは分けて考える必要がある。名詞「犬」は、文の成分としては主語にもなれば修飾語にもなり、「犬だ」のように助動詞「だ」をつけて述語にもなる。動詞・形容詞・形容動詞も、修飾語にもなれば述語にもなる。もっとも、副詞は多く連用修飾語として用いられ、また、連体詞は連体修飾語に、接続詞は接続語に、感動詞は独立語にもっぱら用いられるが、必ずしも、特定の品詞が特定の文の成分に1対1で対応しているわけではない。

では、それぞれの品詞の特徴を形作るものは何かということが問題になるが、これについては、さまざまな説明があり、一定しない。俗に、事物を表す単語が名詞、動きを表す単語が動詞、様子を表す単語が形容詞などと言われることがあるが、例外がいくらでも挙がり、定義としては成立しない。

橋本進吉は、品詞を分類するにあたり、単語の表す意味(動きを表すか様子を表すかなど)には踏み込まず、主として形式的特徴によって品詞分類を行っている。橋本の考え方は初学者にも分かりやすいため、学校文法もその考え方に基づいている。

学校文法では、のうち、「太陽」「輝く」「赤い」「ぎらぎら」など、それだけで文節を作り得るものを自立語(詞)とし、「ようだ」「です」「が」「を」など、単独で文節を作り得ず、自立語に付属して用いられるものを付属語(辞)とする。なお、日本語では、自立語の後に接辞や付属語を次々につけ足して文法的な役割などを示すため、言語類型論上は膠着語に分類される。

自立語

自立語は、活用のないものと、活用のあるものとに分けられる。

自立語で活用のないもののうち、主語になるものを名詞とする。名詞のうち、代名詞数詞を独立させる考え方もある。一方、主語にならず、単独で連用修飾語になるものを副詞、連体修飾語になるものを連体詞(副体詞)、接続語になるものを接続詞、独立語としてのみ用いられるものを感動詞とする。副詞・連体詞については、それぞれ一品詞とすべきかどうかについて議論があり、さらに細分化する考え方渡辺 実 [編] (1983)『副用語の研究』(明治書院)などを参照。や、他の品詞に吸収させる考え方鈴木 一彦 (1959)「副詞の整理」『国語と国文学』36-12。などがある。

自立語で活用のあるもののうち、命令形のあるものを動詞、命令形がなく終止・連体形が「い」で終わるものを形容詞(日本語教育では「イ形容詞」)、連体形が「な」で終わるものを形容動詞(日本語教育では「ナ形容詞」)とする。形容動詞を一品詞として認めることについては、時枝誠記時枝 誠記 (1950) 『日本文法 口語篇』(岩波全書)。鈴木重幸など、否定的な見方をする研究者もいる。

なお、「名詞」および「体言」という用語は、しばしば混同される。古来、ことばを分類するにあたり、活用のない語を「体言」(体)、活用のある語を「用言」(用)、そのほか、助詞・助動詞の類を「てにをは」と大ざっぱに称することが多かった。現在の学校文法では、「用言」は活用のある自立語の意味で用いられ(動詞・形容詞・形容動詞を指す)、「体言」は活用のない自立語の中でも名詞(および代名詞・数詞)を指すようになった。つまり、現在では「体言」と「名詞」とは同一物とみても差し支えはないが、活用しない語という点に着目していう場合は「体言」、文の成分のうち主語になりうるという点に着目していう場合は「名詞」と称する。

付属語

付属語も、活用のないものと、活用のあるものとに分けられる。

付属語で活用のないものを助詞と称する。「春来た」「買っくる」「やるしかない」「分かった」などの太字部分はすべて助詞である。助詞は、名詞について述語との関係(格関係)を表す格助詞(「名詞の格」の節参照)、活用する語について後続部分との接続関係を表す接続助詞、種々の語について、程度や限定などの意味を添えつつ後続の用言などを修飾する副助詞、文の終わりに来て疑問や詠嘆・感動・禁止といった気分や意図を表す終助詞に分けられる。鈴木重幸・高橋太郎他・鈴木康之らは助詞を単語とは認めず、付属辞(「くっつき」)として、単語の一部とする。(格助詞・並立助詞・係助詞・副助詞・終助詞の全部および接続助詞のうち「し」「が」「けれども」「から」「ので」「のに」について)または語尾(接続助詞のうち「て(で)」、条件の形の「ば」、並べ立てるときの「たり(だり)」について)。

付属語で活用のあるものを助動詞と称する。「気を引かれる」「私は泣かない」「花が笑っ」「さあ、出かけよう」「今日は来ないそうだ」「もうすぐ春です」などの太字部分はすべて助動詞である。助動詞の最も主要な役割は、動詞(および助動詞)に付属して以下のような情報を加えることである。すなわち、動詞の(特に受け身・使役・可能など。ヴォイス)・極性(肯定・否定の決定。ポラリティ)・時制(テンス)・(アスペクト)・(推量・断定・意志など。ムード)などを示す役割を持つ。山田孝雄(よしお)は、助動詞を認めず、動詞から分出される語尾(複語尾)と見なしている山田 孝雄 (1909) 『日本文法論』(宝文館)。。また時枝誠記は、「れる(られる)」「せる(させる)」を助動詞とせず、動詞の接尾語としている。鈴木重幸・鈴木康之・高橋太郎らは大部分の助動詞を単語とは認めない。「た(だ)」「う(よう)は、動詞の語尾であるとし、「ない」「よう」「ます」「れる」「られる」「せる」「させる」「たい」「そうだ」「ようだ」は、接尾辞であるとして、単語の一部とする。(「ようだ」「らしい」「そうだ」に関しては、「むすび」または「コピュラ」「繋辞」であるとする。)

名詞の格

名詞および動詞・形容詞・形容動詞は、それが文中でどのような成分を担っているかを特別の形式によって表示する。

名詞の場合、「が」「を」「に」などの格助詞を後置することで動詞との関係(格)を示す。語順によって格を示す言語ではないため、日本語は語順が比較的自由である。すなわち、
  • 桃太郎 きびだんご やりました。
  • 桃太郎 きびだんご やりました。
  • きびだんご 桃太郎 やりました。

などは、強調される語は異なるが、いずれも同一の内容を表す文で、しかも正しい文である。

主な格助詞とその典型的な機能は次の通りである。
「が」……動作・作用の主体を表す。例、「空が青い」「犬がいる」
「の」……連体修飾を表す。例、「私の本」「理想の家庭」
「を」……動作・作用の対象を表す。例、「本を読む」「人を教える」
「に」……動作・作用の到達点を表す。例、「駅に着く」「人に教える」
「へ」……動作・作用の及ぶ方向を表す。例、「駅へ向かう」「学校へ出かける」
「と」……動作・作用をともに行う相手を表す。例、「友人と帰る」「車とぶつかる」
「から」……動作・作用の起点を表す。例、「旅先から戻る」「6時から始める」
「より」……動作・作用の起点や、比較の対象を表す。例、「旅先より戻る」「花より美しい」
「で」……動作・作用の行われる場所を表す。例、「川で洗濯する」「風呂で寝る」

このように、格助詞は、述語を連用修飾する名詞が述語とどのような関係にあるかを示す(ただし、「の」だけは連体修飾に使われ、名詞同士の関係を示す)。なお、上記はあくまでも典型的な機能であり、主体を表さない「が」(例、「水が飲みたい」)、対象を表さない「を」(例、「日本を発った」)、到達点を表さない「に」(例、「先生にほめられた」)など、上記に収まらない機能を担う場合も多い。

格助詞のうち、「が」「を」「に」は、話し言葉においては脱落することが多い。その場合、文脈の助けがなければ、最初に来る部分は「が」格に相当するとみなされる。「くじらをお父さんが食べてしまった。」を「くじら、お父さん食べちゃった。」と助詞を抜かして言った場合は、「くじら」が「が」格相当ととらえられるため、誤解の元になる。「チョコレートを私が食べてしまった。」を「チョコレート、私食べちゃった。」と言った場合は、文脈の助けによって誤解は避けられる。なお、「へ」「と」「から」「より」「で」などの格助詞は、話し言葉においても脱落しない。

題述構造の文(「文の構造」の節参照)では、特定の格助詞が「は」に置き換わる。たとえば、「空が 青い。」という文は、「空」を題目化すると「空は 青い。」となる。題目化の際の「は」の付き方は、以下のようにそれぞれの格助詞によって異なる。
無題の文  題述構造の文
青い。青い。
読む。読む。
学校行く。学校行く。(学校には行く。)
向かう。へは向かう。
友人帰る。友人とは帰る。
旅先から戻る。旅先からは戻る。
洗濯する。  では洗濯する。

格助詞は、下に来る動詞が何であるかに応じて、必要とされる種類と数が変わってくる。たとえば、「走る」という動詞で終わる文に必要なのは「が」格であり、「馬が走る。」とすれば完全な文になる。ところが、「教える」の場合は、「が」格を加えて「兄が教えています。」としただけでは不完全な文である。さらに「で」格を加え、「兄が小学校で教えています(=教壇に立っています)。」とすれば完全になる。つまり、「教える」は、「が・で」格が必要である。

ところが、「兄が部屋で教えています。」という文の場合、「が・で」格があるにもかかわらず、なお完全な文という感じがしない。「兄が部屋で弟に算数を教えています。」のように「が・に・を」格が必要である。むしろ、「で」格はなくとも文は不完全な印象はない。

すなわち、同じ「教える」でも、「教壇に立つ」という意味の「教える」は「が・で」格が必要であり、「説明して分かるようにさせる」という意味の「教える」では「が・に・を」格が必要である。このように、それぞれの文を成り立たせるのに必要な格を「必須格」という。

活用形と種類

名詞が格助詞を伴ってさまざまな格を示すのに対し、用言(動詞・形容詞・形容動詞)および助動詞は、語尾を変化させることによって、文中のどの成分を担っているかを示したり、時制などの情報や文の切れ続きの別などを示したりする。この語尾変化を「活用」といい、活用する語を総称して「活用語」という。

学校文法では、口語の活用語について、6つの活用形を認めている。以下、動詞・形容詞・形容動詞の活用形を例に挙げる(太字部分)。

活用形動詞形容詞形容動詞
未然形打たない
打と
強かろ勇敢だろ
連用形打ちます
打っ
強かっ
強くなる
強うございます
勇敢だっ
勇敢である
勇敢になる
終止形打つ強い勇敢だ
連体形打つこと強いこと勇敢なこと
仮定形打て強けれ勇敢なら
命令形打て

一般に、終止形は述語に用いられる。「(選手が球を)打つ。」「(この子は)強い。」「(消防士は)勇敢だ。」など。

連用形は、文字通り連用修飾語にも用いられる。「強く(生きる。)」「勇敢に(突入する。)」など。ただし、「選手が球を打ちました。」の「打ち」は連用形であるが、連用修飾語ではなく、この場合は述語の一部である。このように、活用形と文中での役割は、1対1で対応しているわけではない。

仮定形は、文語では已然形と称する。口語の「打てば」は仮定を表すが、文語の「打てば」は「已(すで)に打ったので」の意味を表すからである。また、形容詞・形容動詞は、口語では命令形がないが、文語では「稽古は強かれ。」(風姿花伝)のごとく命令形が存在する。

動詞の活用は種類が分かれている。口語の場合は、五段活用上一段活用下一段活用カ行変格活用(カ変)・サ行変格活用(サ変)の5種類である。
  • 五段動詞は、未然形活用語尾が「あ段音」で終わるもの。例、「買う」。
  • 上一段動詞は、未然形活用語尾が「い段音」で終わるもの。例、「見る」。
  • 下一段動詞は、未然形活用語尾が「え段音」で終わるもの。例、「受ける」。
  • カ変動詞は「来る」および「来る」を語末要素とするもの。
  • サ変動詞は「する」および「する」を語末要素とするもの。

語彙

分野ごとの語彙量

ある言語の語彙体系を見渡して、特定の分野の語彙が豊富であるとか、別の分野の語彙が貧弱であるとかを決めつけることは、一概にはできない。日本語でも、たとえば「自然を表わす語彙が多いというのが定評」金田一 春彦 (1988)『日本語 新版』上(岩波新書)。といわれるが、これは人々の直感から来る評判という意味以上のものではない。

実際に、旧版『分類語彙表』国立国語研究所 (1964)『分類語彙表』(秀英出版)。によって分野ごとの語彙量の多寡を比べた結果によれば、名詞(体の類)のうち「人間活動―精神および行為」に属するものが27.0%、「抽象的関係」が18.3%、「自然物および自然現象」が10.0%などとなっていて、このかぎりでは「自然」よりも「精神」や「行為」などを表す語彙のほうが多いことになる中野 洋 (1981)「『分類語彙表』の語数」『計量国語学』12-8。。ただし、これも、他の言語と比較して多いということではなく、この結果がただちに日本語の語彙の特徴を示すことにはならない。

人称語彙

こうした中で、日本語に人称を表す語彙が多いことは注意を引く。たとえば、『類語大辞典』柴田 武・山田 進 [編] (2002)『類語大辞典』(講談社)の「わたし」の項には「わたし・わたくし・あたし・あたくし・あたい・わし・わい・わて・我が輩・僕・おれ・おれ様・おいら・わっし・こちとら・自分・てまえ・小生・それがし・拙者・おら」などが並び、「あなた」の項には「あなた・あんた・きみ・おまえ・おめえ・おまえさん・てめえ・貴様・おのれ・われ・お宅・なんじ・おぬし・その方・貴君・貴兄・貴下・足下・貴公・貴女・貴殿・貴方(きほう)」などが並ぶ。

上の事実は、現代英語の一人称・二人称代名詞がほぼ "I" と "you" のみであり、フランス語の一人称代名詞が "je"、二人称代名詞が "tu" "vous" のみであることと比較すれば、特徴的ということができる。もっとも、日本語においても、本来の人称代名詞は、一人称に「ワ(レ)」「ア(レ)」、二人称に「ナ(レ)」があるのみである。今日、一・二人称同様に用いられる語は、その大部分が一般名詞からの転用である亀井 孝・河野 六郎・千野 栄一 [編] (1996)『言語学大辞典6 術語編』(三省堂)の「人称代名詞」。。一人称を示す「ぼく」「手前」や三人称を示す「彼女」などを、「ぼく、何歳?」「てめえ、何しやがる」「彼女、どこ行くの?」のように二人称に転用することが可能であるのも、日本語の人称語彙が一般名詞的であることの表れである。

なお、敬意表現の観点から、目上に対しては二人称代名詞の使用が避けられる傾向がある。たとえば、「あなたは何時に出かけますか」とは言わず、「何時にいらっしゃいますか」のように言うことが普通である。

親族語彙の体系」の節をあわせて参照のこと。

音象徴語彙

また、音象徴語、いわゆるオノマトペ(onomatopee)の語彙量も日本語には豊富である(オノマトペの定義は一定しないが、ここでは、擬声語・擬音語のように耳に聞こえるものを写した語と、擬態語のように耳に聞こえない状態・様子などを写した語の総称として用いる)。

擬声語は、人や動物が立てる声を写したものである(例、おぎゃあ・がおう・げらげら・にゃあにゃあ)。擬音語は、物音を写したものである(例、がたがた・がんがん・ちんちん・どんどん)。擬態語は、ものごとの様子や心理の動きなどを表したものである(例、きょろきょろ・すいすい・いらいら・わくわく)。擬態語の中で、心理を表す語を特に擬情語と称することもある。

オノマトペ自体は多くの言語に存在する。たとえば猫の鳴き声は、英語で "mew"、ドイツ語で "miau"、フランス語で "miau miau"、ロシア語で ""(myau)、中国語で「」(miao miao)、朝鮮語で「」(yaongyaong)のごとくである改田 昌直・クロイワ カズ・『リーダーズ英和辞典』編集部 [編] (1985)『漫画で楽しむ英語擬音語辞典』(研究社)による。。しかしながら、その語彙量は言語によって異なる。日本語のオノマトペは欧米語や中国語の3倍から5倍存在するといわれ山口 仲美 [編] (2003)『暮らしのことば擬音・擬態語辞典』(講談社)p.1。、とりわけ擬態語が多く使われるとされる浅野 鶴子 [編] (1978)『擬音語・擬態語辞典』(角川書店)p.1。

新たなオノマトペが作られることもある。「(心臓が)ばくばく」「がっつり(食べる)」などは、近年に作られた(広まった)オノマトペの例である。漫画などの媒体では、とりわけ自由にオノマトペが作られる。漫画家の手塚治虫は、漫画を英訳してもらったところ、「ドギューン」「シーン」などの語に翻訳者が「お手あげになってしまった」と記している手塚 治虫 (1977) 『マンガの描き方』(光文社)p.112。。また、漫画出版社社長の堀淵清治も、アメリカで日本漫画を売るに当たり、独特の擬音を訳すのにスタッフが悩んだことを述べている堀淵 清治 (2006) 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』(日経BP社)。

品詞ごとの語彙量

日本語の語彙を品詞ごとにみると、圧倒的に多いものは名詞である。その残りのうちで比較的多いものは動詞である。『新選国語辞典』の収録語の場合、名詞が82.37%、動詞が9.09%、副詞が2.46%、形容動詞が2.02%、形容詞が1.24%となっている金田一 京助他 [編] (2002)『新選国語辞典』第8版(小学館)裏見返し。

このうち、とりわけ目を引くのは形容詞の少なさである。かつて柳田国男はこの点を指摘して「形容詞饑饉」と称した柳田 国男 (1938)「方言の成立」『方言』8-2(1990年の『柳田國男全集 22』(ちくま文庫)に収録 p.181)。英語の場合、『オックスフォード英語辞典』第2版では、半分以上が名詞、約4分の1が形容詞、約7分の1が動詞ということでありAskOxford:、英語との比較の上からは、日本語の形容詞が僅少であることは特徴的といえる。

ただし、これは日本語で物事を形容することが難しいことを意味するものではない。品詞分類上の形容詞、すなわち「赤い」「楽しい」など「〜い」の形式をとる語が少ないということであって、他の形式による形容表現が多く存在する。「真っ赤だ」「きれいだ」など「〜だ」の形式をとる形容動詞(「〜的だ」を含む)、「初歩(の)」「酸性(の)」など「名詞(+の)」の形式、「目立つ(色)」「とがった(針)」「はやっている(店)」など動詞を基にした形式、「つまらない」「にえきらない」など否定助動詞「ない」をともなう形式などが形容表現に用いられる。

もともと少ない形容詞を補う主要な形式は形容動詞である。漢語・外来語の輸入によって、「正確だ」「スマートだ」のような、漢語・外来語+「だ」の形式の形容動詞が増大した。上掲の『新選国語辞典』で名詞扱いになっている漢語・外来語のうちにも、形容動詞の用法を含むものが多数存在する。現代の二字漢語(「世界」「研究」「豊富」など)約2万1千語を調査した結果によれば、全体の63.7%が事物類(名詞に相当)、29.9%が動態類(動詞に相当)、7.3%が様態類(形容動詞に相当)、1.1%が副用類(副詞に相当)であり野村 雅昭 (1998)「現代漢語の品詞性」『東京大学国語研究室創設百周年記念 国語研究論集』(汲古書院)。、二字漢語の7%程度が形容動詞として用いられていることが分かる。

語彙の増加と品詞」の節をあわせて参照のこと。

語彙体系

それぞれのは、ばらばらに存在しているのではなく、意味・用法などの点で互いに関連をもったグループを形成している。これを語彙体系と称する柴田 武 (1988)『語彙論の方法』(三省堂)などを参照。。日本語の語彙自体、ひとつの大きな語彙体系といえるが、その中にはさらに無数の語彙体系が含まれている。

以下、体系をなす語彙の典型的な例として、指示語・色彩語彙・親族語彙を取り上げて論じる。

指示語の体系

日本語では、ものを指示するために用いる語彙は、一般に「こそあど」と呼ばれる4系列をなしている。これらの指示語(指示詞)は、主として名詞(「これ・ここ・こなた・こっち」など)であるため、概説書の類では名詞(代名詞)の説明のなかで扱われている場合も多い。しかし、実際には副詞(「こう」など)・連体詞(「この」など)・形容動詞(「こんなだ」など)にまたがるため、ここでは語彙体系の問題として論じる。

「こそあど」の体系は、伝統的には「近称・中称・遠称・不定(ふじょう)称」の名で呼ばれた。明治時代に、大槻文彦は以下のような表を示している大槻 文彦 (1889)「語法指南」(国語辞書『言海』に収録)。

 近称中称遠称不定称
事物これ こそれ そあれ あ
かれ か
いづれ(どれ) なに
地位ここそこあしこ あそこ
かしこ
いづこ(どこ) いづく
方向こなたそなたあなた
かなた
いづかた(どなた)
こちそちあちいづち(どち)

ここで、「近称」は最も近いもの、「中称」はやや離れたもの、「遠称」は遠いものを指すとされた。ところが、「そこ」などを「やや離れたもの」を指すと考えると、遠くにいる人に向かって「そこで待っていてくれ」と言うような場合を説明しがたい。また、自分の腕のように近くにあるものを指して、人に「そこをさすってください」と言うことも説明しがたいなどの欠点がある。佐久間鼎(かなえ)は、この点を改め、「こ」は「わ(=自分)のなわばり」に属するもの、「そ」は「な(=あなた)のなわばり」に属するもの、「あ」はそれ以外の範囲に属するものを指すとした佐久間 鼎 (1936)『現代日本語の表現と語法』(厚生閣、1983年くろしお出版から増補版)。。すなわち、体系は下記のようにまとめられた。

 指示されるもの
対話者の層所属事物の層
話し手(話し手自身)
ワタクシ ワタシ
(話し手所属のもの)
コ系
相手(話しかけの目標)
アナタ オマエ
(相手所属のもの)
ソ系
はたの
人 もの
(第三者)(アノヒト)(はたのもの)
ア系
不定ドナタ ダレド系

このように整理すれば、上述の「そこで待っていてくれ」「そこをさすってください」のような言い方はうまく説明される。相手側に属するものは、遠近を問わず「そ」で表されることになる。この説明方法は、現在の学校教育の国語でも取り入れられている。

とはいえ、すべての場合を佐久間説で割り切れるわけでもない。たとえば、道で「どちらに行かれます?」と問われて、「ちょっとそこまで」と答えたとき、これは「それほど遠くないところまで行く」という意味であるから、大槻文彦のいう「中称」の説明のほうがふさわしい。ものをなくしたとき、「ちょっとそのへんを探してみるよ」と言うときも同様である。

また、目の前にあるものを直接指示する場合(現場指示)と、文章の中で前に出た語句を指示する場合(文脈指示)とでも、事情が変わってくる。「生か死か、それが問題だ」の「それ」は、「中称」(やや離れたもの)とも、「相手所属のもの」とも解釈しがたい。直前の内容を「それ」で示すものである。このように、指示語の意味体系は、詳細に見れば、なお研究の余地が多く残されている。

なお、指示の体系は言語によって異なる。不定称を除いた場合、3系列をなす言語は日本語(こ・そ・あ)や朝鮮語()などがある。一方、英語(this・that)や中国語()などは2系列をなす。日本人の英語学習者が「これ・それ・あれ」に「this・it・that」を当てはめて考えることがあるが、「it」は文脈指示の代名詞で系列が異なるため、混用することはできない。

色彩語彙の体系

日本語で色彩を表す語彙(色彩語彙)は、古来、「アカ」「シロ」「アヲ」「クロ」の4語が基礎となっている佐竹 昭広 (1955)「古代日本語における色名の性格」『国語国文』24-6(2000年に『萬葉集抜書』(岩波現代文庫)に収録)。。「アカ」は明るい色、「シロ」は顕(あき)らかな色、「アヲ」は漠然とした色、「クロ」は暗い色を総称した。今日でもこの体系は基本的に変わっていない。葉の色・空の色・顔色などをいずれも「アオ」と表現するのはここに理由がある小松 英雄 (2001)『日本語の歴史―青信号はなぜアオなのか』(笠間書院)。

文化人類学者のバーリンとケイの研究によれば、種々の言語で最も広範に用いられている基礎的な色彩語彙は「白」と「黒」であり、以下、「赤」「緑」が順次加わるというBrent Berlin & Paul Kay (1969), Basic color terms: their universality and evolution, Berkeley: University of California Press.。日本語の色彩語彙もほぼこの法則に合っているといってよい。

このことは、日本語を話す人々が4色しか識別しないということではない。特別の色を表す場合には、「黄色(語源は「木」かという大矢 透 (1899)『国語溯原』p.26など。)」「紫色」「茶色」「蘇芳色」「浅葱色」など、植物その他の一般名称を必要に応じて転用する。ただし、これらは基礎的な色彩語彙ではない。

親族語彙の体系

日本語の親族語彙柴田 武 (1968)「語彙体系としての親族名称―トルコ語・朝鮮語・日本語」『アジア・アフリカ言語文化研究』(東京外国語大学)1別冊(1979年の『日本の言語学 第5巻 意味・語彙』(大修館書店)に収録)。 田中 章夫 (1978)『国語語彙論』(明治書院)第2章の図。は、比較的単純な体系をなしている。英語の基礎語彙で、同じ親から生まれた者を "brother", "sister" の2語のみで区別するのに比べれば、日本語では、男女・長幼によって「アニ」「アネ」「オトウト」「イモウト」の4語を区別し、より詳しい体系であるといえる(古代には、年上のみ「アニ」「アネ」と区別し、年下は「オト」と一括した)。しかしながら、たとえば中国語の親族語彙と比較すれば、はるかに単純である。中国語では、父親の父母を「」「」、母親の父母を「」「」と呼び分けるが、日本語では「ジジ」「ババ」の区別しかない。中国語では父の兄弟を「」「」、父の姉妹を「」、母の兄弟を「」、母の姉妹を「」などというが、日本語では「オジ」「オバ」のみである。「オジ」「オバ」の子はいずれも「イトコ」の名で呼ばれる。日本語でも、「伯父(はくふ)」「叔父(しゅくふ)」「従兄(じゅうけい)」「従姉(じゅうし)」などの語を文章語として用いることもあるが、これらは中国語からの借用語である。

親族語彙を他人に転用する虚構的用法 (fictive use)鈴木 孝夫 (1973)『ことばと文化』(岩波新書)p.158以下にも言及がある。として、日本語では赤の他人を「お父さん」「お母さん」と呼ぶことがある。たとえば、店員が中年の男性客に「お父さん、さあ買ってください」のように言う。これと似た表現は朝鮮語( お父様)・モンゴル語(aab 父)などにもあり、尊敬する年配男性に用いる。一方、フランス語・イタリア語・デンマーク語・チェコ語などのヨーロッパの言語では他人である男性をこのように呼ぶことは普通ではなく、失礼にさえなるという。ただし、虚構的用法そのものは多くの言語に存在する。英語では年少者が年配者に "uncle"(おじ)、年配者が年少者に "son"(息子)と呼びかけることがある。中国語では見知らぬ若い男性・女性に「」(お兄さん)「」(お姉さん)と呼びかける。

父親が自分自身を指して「お父さん」と言う用法(「お父さんがやってあげよう」)は、中国語・朝鮮語・モンゴル語・英語・フランス語・イタリア語・デンマーク語・チェコ語などを含め諸言語にある。

語種

日本語の語彙を出自から分類すれば、大きく、和語漢語外来語、およびそれらが混ざった混種語に分けられる。このように、出自によって分けた言葉の種類を「語種」という。和語は日本古来の大和言葉、漢語は中国渡来の漢字の音を用いた言葉、外来語は中国以外の他言語から取り入れた言葉である。もっとも、和語とされる「ウメ(梅)」が元来中国語からの借用語であった可能性があるなど、語種の境界はときに曖昧である(「語彙史」の節参照)。

和語は日本語の語彙の中核部分を占める。「これ」「それ」「きょう」「あす」「わたし」「あなた」「行く」「来る」「良い」「悪い」などのいわゆる基礎語彙はほとんど和語である。また、「て」「に」「を」「は」などの助詞や、助動詞の大部分など、文を組み立てるために必要な付属語も和語である。

一方、抽象的な概念や、社会の発展に伴って新たに発生した概念を表すためには、漢語や外来語が多く用いられる。和語の名称がすでにある事物を漢語や外来語で言い換えることもある。「めし」を「御飯」「ライス」、「やどや」を「旅館」「ホテル」などと称するのはその例である樺島 忠夫 (1981)『日本語はどう変わるか―語彙と文字』(岩波新書)p.18、およびp.176以下。。このような語種の異なる同義語には、微妙な意味・ニュアンスの差異が生まれ、とりわけ和語にはやさしい、または卑俗な印象、漢語には公的で重々しい印象、外来語には新しい印象が含まれることが多い。

一般に、和語の意味は広く、漢語の意味は狭いといわれる。たとえば、「しづむ(しずめる)」という1語の和語に、「沈」「鎮」「静」など複数の漢語の造語成分が相当する。「しづむ」の含む多様な意味は、「沈む」「鎮む」「静む」などと漢字を用いて書き分けるようになり、その結果、これらの「しづむ」が別々の語と意識されるまでになった。2字以上の漢字が組み合わさった漢語の表す意味はとりわけ分析的である。たとえば、「弱」という造語成分は、「脆」「貧」「軟」「薄」などの成分と結合することにより、「脆弱」「貧弱」「軟弱」「薄弱」のように分析的・説明的な単語を作る岩田 麻里 (1983)「現代日本語における漢字の機能」『日本語の世界16』(中央公論社)p.183。(「語彙史」の節の「漢語の勢力拡大」および「語彙の増加と品詞」を参照)。

漢語は、「学問」「世界」「博士」などのように、古く中国から入ってきた語彙が大部分を占めるのは無論であるが、日本人が作った漢語(和製漢語)も古来多い。現代語としても、「国立」「改札」「着席」「挙式」「即答」「熱演」など多くの和製漢語が用いられている現代語の例は、陳 力衛 (2001)「和製漢語と語構成」『日本語学』20-9の例示による。

外来語は、もとの言語の意味のままで用いられるもの以外に、日本語に入ってから独自の意味変化を遂げるものが少なくない。英語の "claim" は「当然の権利として要求する」の意であるが、日本語の「クレーム」は「文句」の意である。英語の "lunch" は昼食の意であるが、日本の食堂で「ランチ」といえば料理の種類を指す以上は、石綿 敏雄 (2001)『外来語の総合的研究』(東京堂出版)の例示による。

外来語を組み合わせて、「アイスキャンデー」「サイドミラー」「テーブルスピーチ」のように日本語独自の語が作られることがある。また、当該の語形が外国語にない「ナイター」「パネラー」(パネリストの意)「プレゼンテーター」(プレゼンテーションをする人。プレゼンター)などの語形が作られることもある。これらを総称して「和製洋語」、英語系の語を特に「和製英語」と言う。

単純語と複合語

日本語の語彙は、語構成の面からは単純語と複合語に分けることができる。単純語は、「あたま」「かお」「うえ」「した」「いぬ」「ねこ」のように、それ以上分けられないと意識される語である。複合語は、「あたまかず」「かおなじみ」「うわくちびる」「いぬずき」のように、いくつかの単純語が合わさってできていると意識される語である。「語種」の節で触れた混種語、すなわち、「プロ野球」「草野球」「日本シリーズ」のように複数の語種が合わさった語は、語構成の面からはすべて複合語ということになる。

日本語では、限りなく長い複合語を作ることが可能である。「平成十六年新潟県中越地震非常災害対策本部」「服部四郎先生定年退官記念論文集編集委員会」といった類も、ひとつの長い複合語である。国際協定のGATTは、英語名は "General Agreement on Tariffs and Trade"(関税と貿易に関する一般協定)であり、ひとつの句であるが、日本の新聞では「関税貿易一般協定」と複合語で表現することがある。これは漢字の結合力によるところが大きく、中国語朝鮮語などでも同様の長い複合語を作る。なお、ヨーロッパ語を見ると、ロシア語では ""(人間嫌い)、ドイツ語では "Naturfarbenphotographie"(天然色写真)などの長い語の例を比較的多く有し金田一 春彦 (1991)『日本語の特質』(NHKブックス)p.54。英語でも "antidisestablishmentarianism"(国教廃止条例反対論。英首相グラッドストンの造語という『ランダムハウス英和大辞典』(小学館)の当該項目による。)などの語例がまれにある。

接辞は、複合語を作るために威力を発揮する。たとえば、「感」は、「音感」「語感」「距離感」「不安感」など漢字2字・3字からなる複合語のみならず、「透け感」「懐かし感」「しゃきっと感」「きちんと感」など動詞・形容詞・副詞との複合語を作り、さらには「『昔の名前で出ています』感」(=昔の名前で出ているという感じ)のように文であったものに下接して長い複合語を作ることもある。

日本語の複合語は、難しい語でも、表記を見れば意味が分かる場合が多い。たとえば、英語の "apivorous" は生物学者にしか分からないのに対し、日本語の「蜂食性」は「蜂を食べる性質」であると推測できる鈴木 孝夫 (1990)『日本語と外国語』(岩波新書)。。これは表記に漢字を用いる言語の特徴である。

表記

現代の日本語は、漢字平仮名片仮名を用いて、常用漢字現代仮名遣いに基づいて表記されることが一般的である。アラビア数字ローマ字(ラテン文字)なども必要に応じて併用される。漢字の読み方には中国式の読み方である音読みと、大和言葉の読み方をあてた訓読みが存在し、習慣によって使い分けている。厳密な正書法はなく、正書法の必要性を説く主張梅棹 忠夫 (1972)「現代日本文字の問題点」『日本文化と世界』(講談社現代新書)など。や、その反論鈴木 孝夫 (1975)『閉された言語・日本語の世界』(新潮選書)など。がしばしば交わされた。

仮名の体系は文化的中心地の言葉を書き表すために発達してきた。したがって、他の方言の音韻体系を記すためには、仮名は必ずしも適していない。

字種

平仮名・片仮名は、現在以下の46字ずつが使われる。
平仮名  あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ まみむめも やゆよ らりるれろ わを ん
片仮名  アイウエオ カキクケコ サシスセソ タチツテト ナニヌネノ ハヒフヘホ マミムメモ ヤユヨ ラリルレロ ワヲ ン

このうち、「゛」(濁音符)および「゜」(半濁音符)をつけて濁音・半濁音を表す仮名もある(「音韻」の節参照)。拗音は小書きの「ゃ」「ゅ」「ょ」を添えて表し、促音は小書きの「っ」で表す。「つぁ」「ファ」のように、小書きの「ぁ」「ぃ」「ぅ」「ぇ」「ぉ」を添えて表す音もあり、補助符号として長音を表す「ー」がある。歴史的仮名遣いでは上記のほか、表音は同じでも表記の違う、平仮名「」「」および片仮名「ヰ」「ヱ」の字が存在し、その他にも変体仮名がある。

漢字は、常用漢字として1945字、うち教育漢字として1006字が定められているが、一般社会では、人名用漢字など、これ以外の漢字を含めて2000〜3000字ほどが使われている。中国現代漢語常用字表では、「常用字」として2500字、「次常用字」として1000字が定められており、日中で日常使われる漢字の字数にそれほど大きな隔たりはないといえる。

一般的な文章では、上記の漢字・平仮名・片仮名を交えて記すほか、アラビア数字・ローマ字なども必要に応じて併用する。基本的には、漢語には漢字を、和語のうち概念を表す部分(名詞や用言語幹など)には漢字を、形式的要素(助詞・助動詞など)や副詞・接続詞の一部には平仮名を、外来語(漢語以外)には片仮名を用いる場合が多い。公的な文書では特に表記法を規定している場合もあり文化庁 (2001)『公用文の書き表し方の基準(資料集)増補二版』(第一法規)には、1981年の『公用文における漢字使用等について』『法令における漢字使用等について』など、諸種の資料が収められている。、民間でもこれにならうことがある。ただし、厳密な正書法はなく、表記のゆれは広く許容されている。文章の種類や目的によって、
  • さくらのはながさく/サクラの花が咲く/桜の花が咲く

などの表記がありうる。

多様な文字体系を交えて記す利点として、単語のまとまりが把握しやすく、速読性に優れるなどの点が指摘される。日本語の単純な音節構造に由来する同音異義語が漢字によって区別され、かつ字数も節約されるという利点もある。歴史上、漢字を廃止して、仮名またはローマ字を国字化しようという主張もあったが、ひろく実行されることはなかった西尾 実・久松 潜一 [監修] (1969)『国語国字教育史料総覧』(国語教育研究会)。(「国語国字問題」参照)。今日では漢字・平仮名・片仮名の交ぜ書きが標準的表記の地位をえている。

方言と表記

日本語の表記体系は中央語を書き表すために発達したものであり、方言の音韻を表記するためには必ずしも適していない。たとえば、東北地方では「柿」を 、「鍵」を のように発音するが北条 忠雄 (1982)「東北方言の概説」『講座方言学 4 北海道東北地方の方言』(国書刊行会)p.161-162。、この両語を通常の仮名では書き分けられない(アクセント辞典などで用いる表記によって近似的に記せば、「カギ」と「カキ゜」のようになる)。もっとも、方言は書き言葉として用いられることが少ないため、実際上に不便を来すことは少ない。

岩手県気仙方言(ケセン語)について、山浦玄嗣により、文法形式を踏まえた正書法が試みられているというような例もある山浦 玄嗣 (1986)『ケセン語入門』(共和印刷企画センター、1989年に改訂補足版)。。ただし、これは実用のためのものというよりは、学術的な試みのひとつである。

琉球方言(「系統」参照)の表記体系もそれを準用している。たとえば、琉歌「てんさごの花」(てぃんさぐぬ花)は、伝統的な表記法では次のように記す。

てんさごの花や 爪先に染めて 親の寄せごとや 肝に染めれ西岡 敏・仲原 穣 (2000)『沖縄語の入門―たのしいウチナーグチ』(白水社)p.154。

この表記法では、たとえば、琉球語の2種の母音( と など)は書き分けられない。表音的に記せば、 のようになるところである国立国語研究所 [編] (1969)『沖縄語辞典』(大蔵省印刷局)に記載されている表音ローマ字を国際音声記号に直したもの。

漢字表記の面では、地域文字というべきものが各地に存在する。たとえば、名古屋市の地名「杁中(いりなか)」などに使われる「杁」は、名古屋と関係ある地域の「地域文字」である。また、「垰」は「たお」「たわ」などと読まれる国字で、中国地方ほかで定着しているという笹原 宏之 (2006)『日本の漢字』(岩波新書)p.142-5。

文体

文は、目的や場面などに応じて、さまざまな異なった様式をとる。この様式のことを、書き言葉(文章)では「文体」と称し、話し言葉(談話)では「話体」飛田 良文 [編] (2007)『日本語学研究事典』(明治書院)の半澤幹一「談話体」p.266。と称する。

日本語では、とりわけ文末の助動詞・助詞などに文体差が顕著に表れる。このことは、「ですます体」「でございます体」「だ体」「である体」「ありんす言葉」(江戸・新吉原の遊女の言葉)「てよだわ言葉」(明治中期から流行した若い女性の言葉)などの名称に典型的に表れている。それぞれの文体・話体の差は大きいが、日本語話者は、複数の文体・話体を常に切り替えながら使用している。

なお、「文体」の用語は、書かれた文章だけではなく談話についても適用されるため松岡 弘 [編] (2000)『初級を教える人のための日本語文法ハンドブック』(スリーエーネットワーク)p.324。、以下では「文体」に「話体」も含めて述べる。また、文語文・口語文などについては「文体史」の節に譲る。

普通体・丁寧体

日本語の文体は、大きく普通体(常体)および丁寧体(敬体)の2種類に分かれる。日本語話者は日常生活で両文体を適宜使い分ける。日本語学習者は、初めに丁寧体を、次に普通体を順次学習することが一般的である。普通体は相手を意識しないかのような文体であるため独語体と称し、丁寧体は相手を意識する文体であるため対話体と称することもある橋本 進吉 (1928)「国語学史概説」(1983年『国語学史・国語特質論(橋本進吉博士著作集 第9・10冊)』岩波書店)p.4の図に「独語体・対話体」の語が出ている。

普通体と丁寧体の違いは次のように現れる。

普通体  丁寧体
もうすぐ春(春である)。  もうすぐ春です。  (名詞文)
ここは静か(静かである)。  ここは静かです。  (形容動詞文)
野山の花が美しい。  (野山の花が美しいです。)  (形容詞文)
鳥が空を飛ぶ。  鳥が空を飛びます。  (動詞文)

普通体では、文末に名詞・形容動詞・副詞などが来る場合には、「だ」または「である」をつけた形で結ぶ。前者を特に「だ体」、後者を特に「である体」と呼ぶこともある。

丁寧体では、文末に名詞・形容動詞・副詞などが来る場合には、助動詞「です」をつけた形で結ぶ。また、形容詞が来る場合にも「です」をつけることができるが、そのような文型は避けられる傾向がある(「花が美しいです」を避けて「花が美しく咲いています」と動詞で結ぶなど)。一方、動詞が来る場合には「ます」をつけた形で結ぶ。ここから、丁寧体を「ですます体」と呼ぶこともある。丁寧の度合いをより強め、「です」の代わりに「でございます」を用いた文体を、特に「でございます体」と呼ぶこともある。丁寧体は、敬語の面から言えば丁寧語を用いた文体ということになる。

文体の位相差

談話の文体(話体)は、話し手の性別・年齢・職業など、位相の違いによって左右される部分が大きい。「私は食事をしてきました」という丁寧体は、話し手の属性によって、たとえば、次のような変容がある。
  • ぼく、ごはん食べてきたよ。(男性のくだけた文体)
  • おれ、めし食ってきたぜ。(男性のやや乱暴な文体)
  • あたし、ごはん食べてきたの。(女性のくだけた文体)
  • わたくし、食事をしてまいりました。(成人の改まった文体)

このように異なる言葉遣いのそれぞれを位相語と言い、それぞれの差を位相差という。

物語の書き手などが、仮想的(バーチャル)な位相を意図的に作り出す場合もある。このような言葉遣いを「役割語」と称することがある金水 敏 (2003)『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)。。例えば以下の文体は、実際の博士・令嬢・地方出身者などが用いることはないものの、小説・漫画・アニメ・ドラマなどで、仮想的にそれらしい感じを与える文体として広く観察される。これは現代に始まったものではなく、近世や近代の文献にも役割語の例が認められる(仮名垣魯文『西洋道中膝栗毛』に現れる外国人らしい言葉遣いなど)。
  • わしは、食事をしてきたのじゃ。(博士風)
  • あたくし、お食事をいただいてまいりましてよ。(お嬢様風)
  • おら、めし食ってきただよ。(田舎者風)
  • ワタシ、ごはん食べてきたアルヨ。(中国人(協和語)風)

待遇表現

日本語では、待遇表現が文法的・語彙的な体系を形作っている。とりわけ、相手に敬意を示す言葉(敬語)において顕著である。

「敬語は日本にしかない」と言われることがあるが、日本と同様に敬語が文法的・語彙的体系を形作っている言語としては朝鮮語・ジャワ語ベトナム語チベット語などがあり、尊敬・謙譲・丁寧の区別もある林 四郎・南 不二男 [編] (1974)『敬語講座8 世界の敬語』(明治書院)。。朝鮮語ではたとえば動詞「」(出す)は、敬語形「」(出される)・「」(出します)の形を持つ。日本語の「お出しする」に相当する形はない。

敬語体系はなくとも、敬意を示す表現自体は、さまざまな言語に広く観察される。たとえば、英語では "Please help me." の "Please" や、"Would you marry me?" の "Would" などの語によって敬意を表している。相手を敬い、物を丁寧に言うことは、発達した社会ならばどこでも必要とされる。そうした言い方を習得することは、どの言語でも容易でない。

以下、日本語の敬語体系および敬意表現について述べる。

敬語体系

日本語の敬語体系は、一般に、大きく尊敬語謙譲語丁寧語に分類される。文化審議会国語分科会は、2007年2月に「敬語の指針」を答申し、これに丁重語および美化語を含めた5分類を示している敬語の指針(文化庁・文化審議会国語分科会、PDFファイル)

尊敬語

尊敬語は、動作の主体を高めることで、主体への敬意を表す言い方である。動詞に「お(ご)〜になる」をつけた形、また、助動詞「(ら)れる」をつけた形などが用いられる。たとえば、動詞「取る」の尊敬形として、「(先生が)お取りになる」「(先生が)取られる」などが用いられる。

語によっては、特定の尊敬語が対応するものもある。たとえば、「言う」の尊敬語は「おっしゃる」、「食べる」の尊敬語は「召し上がる」、「行く・来る・いる」の尊敬語は「いらっしゃる」である。

謙譲語

謙譲語は、動作の主体を低めることで、結果的に動作の客体への敬意を表す言い方である。動詞に「お〜する」をつけた形などが用いられる。たとえば、「取る」の謙譲形として、「お取りする」などが用いられる。

語によっては、特定の謙譲語が対応するものもある。たとえば、「言う」の謙譲語は「申し上げる」、「食べる」の謙譲語は「いただく」、「(相手の所に)行く」の謙譲語は「伺う」「参上する」「まいる」である。

なお、「夜も更けてまいりました」の「まいり」など、謙譲表現のようでありながら、誰かを低めているわけではない表現がある。これは、「夜も更けてきた」という話題を丁重に表現することによって、聞き手への敬意を表すものである。宮地裕は、この表現に使われる語を、特に「丁重語」と称している宮地 裕 (1971)「現代の敬語」『講座国語史5 敬語史』(大修館書店)。 宮地 裕 (1976)「待遇表現」『国語シリーズ別冊4 日本語と日本語教育 文字・表現編』(大蔵省印刷局)。。丁重語にはほかに「いたし(マス)」「申し(マス)」「存じ(マス)」「小生」「小社」「弊社」などがある。文化審議会の「敬語の指針」でも、「明日から海外へまいります」の「まいり」のように、相手とは関りのない自分側の動作を表現する言い方を丁重語としている。

丁寧語

丁寧語は、文末を丁寧にすることで、聞き手への敬意を表すものである。名詞・形容動詞語幹などに「です」をつけた形(「学生です」「きれいです」)や、動詞に「ます」をつけた形(「行きます」「分かりました」)が用いられる。丁寧語を用いた文体を、丁寧体(敬体)という。

一般に、目上の人には丁寧語を用い、同等・目下の人には丁寧語を用いないといわれる。しかし、実際の言語生活に照らして考えれば、これは事実ではない。母が子を叱るとき、「お母さんはもう知りませんよ」と丁寧語を用いることもある。丁寧語が現れるのは、敬意や謝意、または、逆に嫌悪感などを示すため、相手との間に心理的な距離をとろうとする場合であると考えるのが妥当である。

「お弁当」「ご飯」などの「お」「ご」も、広い意味では丁寧語に含まれるが、宮地裕は特に「美化語」と称して区別する 。相手への丁寧の意を示すというよりは、話し手が自分の言葉遣いの品位に配慮する表現である。したがって、「お弁当食べようよ。」のように、丁寧体でない文でも美化語を用いることがある。文化審議会の「敬語の指針」でも「美化語」を設けている。

敬意表現

日本語で敬意を表現するためには、文法・語彙の敬語要素を知っているだけではなお不十分であり、時や場合など種々の要素に配慮した適切な表現が必要である。これを敬意表現(敬語表現)ということがある蒲谷 宏・坂本 恵・川口 義一 (1998)『敬語表現』(大修館書店)。

たとえば、「課長もコーヒーをお飲みになりたいですか」は、尊敬表現「お飲みになる」を用いているが、敬意表現としては適切でない。日本語では相手の意向を直接的に聞くことは失礼に当たるからである。「コーヒーはいかがですか」のように言うのが適切である。第22期国語審議会2000年)は、このような敬意表現の重要性を踏まえて、「現代社会における敬意表現」を答申した。

婉曲表現の一部は、敬意表現としても用いられる。たとえば、相手に窓を開けてほしい場合は、命令表現によらずに、「窓を開けてくれる?」などと問いかけ表現を用いる。あるいは、「今日は暑いねえ」とだけ言って、窓を開けてほしい気持ちを含意することもある。

日本人が商取引で「考えさせてもらいます」という場合は拒絶の意味であると言われる。英語でも"Thank you for inviting me."(誘ってくれてありがとう)とは誘いを断る表現である。また、京都では帰りがけの客にその気がないのに「ぶぶづけ(お茶漬け)でもあがっておいきやす」と愛想を言うとされる(出典は落語「京のぶぶづけ」「京の茶漬け」よるという入江 敦彦 (2005)『イケズの構造』(新潮社)。)。これらは、相手の気分を害さないように工夫した表現という意味では、広義の敬意表現と呼ぶべきものであるが、その呼吸が分からない人との間に誤解を招くおそれもある。

方言

日本語には多様な方言がみられ、それらはいくつかの方言圏にまとめることができる。どのような方言圏を想定するかは、区画するために用いる指標によって少なからず異なる。

東西の方言差

一般に、方言差が話題になるときには、東西の差異が取り上げられることが多い。東部方言と西部方言との間には、およそ次のような違いがある。

まず、文法の面では、否定辞に東で「ナイ」、西で「ン」を用いる。完了形には、東で「テイル」を、西で「トル」を用いる。断定には、東で「ダ」を、西で「ジャ」または「ヤ」を用いる。アワ行五段活用動詞連用形は、東では「カッタ(買)」と促音便に、西では「コータ」とウ音便になる。形容詞連用形は、東では「ハヤク(ナル)」のように非音便形を用いるが、西では「ハヨー(ナル)」のようにウ音便形を用いるなどである。

音韻の面では、母音の「」を、東では非円唇母音(唇を丸めない)で、西では円唇母音で発音する。また、母音は、東で無声化しやすく、西では無声化しにくい。このほか、アクセントにおいても東西で顕著な対立がみられる(「アクセント」の節参照)。

方言の東西対立の境界は、画然と引けるものではなく、どの特徴を取り上げるかによって少なからず変わってくる。しかし、おおむね、日本海側は新潟県西端の糸魚川市、太平洋側は静岡県浜名湖が境界線(糸魚川・浜名湖線)とされることが多い。糸魚川西方には難所親不知があり、その南には日本アルプスが連なって東西の交通を妨げていたことが、東西方言を形成した一因とみられる。

方言区画

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細かくみれば、方言はさらに下位分類される。東条操は、全国で話されている言葉を大きく東部方言・西部方言・九州方言および琉球方言に分けている東条 操 (1954)『日本方言学』(吉川弘文館)。。またそれらは、北海道東北関東八丈島東海東山北陸近畿中国雲伯(出雲・伯耆)・四国豊日(豊前・豊後・日向)・肥筑(筑紫・肥前・肥後)・薩隅(薩摩・大隅)・奄美沖縄・先島に区画された。これらの分類は、今日でもなお一般的に用いられる。なお、このうち奄美・沖縄・先島の言葉は、日本語の一方言(琉球方言)とする立場と、独立言語として琉球語とする立場とがある。

また、金田一春彦は、近畿・四国を主とする内輪方言、関東・北陸・中国・九州北部の一部を主とする中輪方言、北海道・東北・九州の大部分を主とする外輪方言、沖縄地方を主とする南東方言に分類した金田一 春彦 (1964)「私の方言区画」(日本方言研究会編『日本の方言区画』東京堂)。。この分類は、アクセント型の特徴が畿内を中心に輪を描くことに着目したものである。このほか、幾人かの研究者により方言区画案が示されている。

ひとつの方言区画の内部も変化に富んでいる。たとえば、奈良県は近畿方言の地域に属するが、吉野郡天川村洞川(どろがわ)周辺ではその地域だけ東京式アクセントが使われる。香川県観音寺市伊吹町(伊吹島)では、平安時代のアクセント体系が残存しているといわれる和田 実 (1966)「第一次アクセントの発見―伊吹島―」『国語研究』(國學院大學)22。(異説もある山口 幸洋 (2002)「「伊吹島」アクセントの背景―社会言語学的事情と比較言語学的理論」『近代語研究』11。)。これらは特に顕著な特徴を示す例であるが、どのような狭い地域にも、その土地としての言葉の体系がある。したがって、「どの地点のことばも、等しく記録に価する吉田 則夫 (1984)「方言調査法」『講座方言学 2 方言研究法』(国書刊行会)。」ものである。

歴史

音韻史

母音・子音

母音の数は、奈良時代およびそれ以前には現在よりも多かったと考えられる。橋本進吉は、江戸時代の上代特殊仮名遣いの研究を再評価し橋本 進吉 (1917)「国語仮名遣研究史上の一発見―石塚龍麿の仮名遣奥山路について」『帝国文学』26-11(1949年の『文字及び仮名遣の研究(橋本進吉博士著作集 第3冊)』(岩波書店)に収録)。記紀や『