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八戸市

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

八戸市(はちのへし)は、青森県東南部に位置し、太平洋に面する特例市で、県下第二の都市である。

概要

八戸市は人口24万人を有する青森県南部地方の中心都市である。経済圏である八戸都市圏は約33万人の人口を擁しており、商圏は隣接する岩手県北東部におよび、商圏人口は東北地方有数の約60万人である。直線距離で東京から北へ560キロ、仙台から北に255キロ、札幌から南に285キロのところに位置する。

全国有数の漁獲高を誇る八戸港と東北有数の工業拠点を持ち、港町と工業都市として発展してきた都市である。新幹線、高速道路、国際航路の複数の交通網が整備されており、東北新幹線の終着駅である八戸駅から、はやて号が八戸東京間を最短2時間56分で運行されている。また、東北自動車道八戸ICから川口ICまで約8時間で結び、八戸フェリー埠頭からカーフェリーが八戸苫小牧間を毎日4往復している。そして八戸港は漁港のほか国際航路として、東南アジア、中国・韓国、北米、横浜内航フィーダー航路の4つのコンテナ航路を持っている。東洋経済 (2007) 「都市データパック2007年度版」東洋経済新聞社 pp.184

また、2002年の東北新幹線開業に伴い観光地へのアクセスがよくなり、十和田湖八甲田山奥入瀬渓流三陸海岸への玄関口になっている。これと合わせて、漁獲高日本一であるイカの珍味や八戸市の郷土料理せんべい汁南部せんべいなどが多くのマスコミに注目されるようになり、中心市街地にある観光地のみろく横町などで堪能することができるようになった。

そして文化面においても国内有数の遺跡群や文化財や工芸品の宝庫であり、伝統芸能のえんぶり(朳)、八戸三社大祭騎馬打毬は国の重要無形民俗文化財に指定されている。また、「八幡馬」「南部姫毬」などの伝統工芸品が登録されている。

八戸市は冬季スポーツのスケートが古くから市民に親しまれており、『氷都八戸』として1930年に第一回全日本スピードスケート選手権が開催され、戦後から国民体育大会冬季大会のスピードスケートの競技会場に選ばれている。このため、市民の中でもスケートアイスホッケーが盛んに行なわれ、実業団体やジュニアチーム、女子チーム、素人アイスホッケーを含め、40チームが結成されている。

地理

概況

市域は青森県の南東部にあたり、北緯40度30分、東経141度30分に位置する。

東は太平洋に面し、北はおいらせ町、西は五戸町南部町、南は階上町岩手県軽米町に接する。市域の面積は305.17平方キロメートルで青森県の約3.4%を占め、県内の市町村で11番目の広さである。

地形

八戸地域の地形の大部分は台地(20メートルから50メートル)で、太平洋に向かって広がりその平野を三分する形で馬淵川新井田川の2本の川があり、市の北部には五戸川奥入瀬川が流れている。また、八戸市の南側に位置する南郷区には新田川の上流にダム湖青葉湖がある。

鉱山資源

  • 石灰石
  • * 石灰石の鉱床は八戸市南部の大館地区から階上町北部にかけての新田川支流の蟹沢川・松館川流域に分布している。石灰石の埋蔵量は7億トンといわれている。
  • 砂鉄
  • * 砂鉄の利用は1958年(昭和33年)に八戸市北部の市川町天狗岱で採掘を行っていた。798万トンの埋蔵量(1962年当時)で操業から休山するまで349万トンを採掘した。

気候

太平洋側気候であるが、夏は偏東風(やませ)の影響で冷涼であり、海から冷たい風が吹き付けて冷夏になる年もある。一般に気象庁から梅雨明け宣言が発表された後も、やませの影響で曇りの日が多いため、そのような気候が農作物に冷害といった被害を及ぼすこともある。また夏日にはなるが真夏日・熱帯夜が少ない都市である。例年8月後半ごろから徐々に気温が低下して、9月には最高気温が21度になり肌寒くなる。

冬は北東北にありながら降雪量が少なく乾燥し、晴天が多いため日照時間も長い。これは冬季は季節風が中国大陸から日本海を経由して湿った大気が奥羽山脈にぶつかるため、青森県の西側の津軽地方では降雪量が多く、太平洋側に位置する八戸市に雪を降らせる大気はすでに乾燥しているので降雪量は少ない。また、降雪量が少なく空気が乾燥しているため、日中でも0度以下の真冬日になる日がよくある。

以上のことから八戸市の夏は他の都市に比べて涼しく、冬は晴天の日が多い都市であるといえる。

  • 夏季
真夏日(最高気温が30度以上) 13日(1997年から2007年までの平均)
8月の平均最高気温 26.5℃(1997年から2007年までの平均)
※過去最高気温 37.0℃()
  • 冬季
: 真冬日(最高気温が0度以下) 11日(1997年から2007年までの平均)
1月の平均気温 -0.7℃(1997年から2007年までの平均)
※過去最低気温 -15.7℃()
|平均気温 (℃) | -0.8||-0.3||3.0||8.7||13.4||16.9||20.0||22.6||19.4||13.4||7.1||1.3||10.4||15.2||10.2 |最高気温(℃) | 2.4||3.6||7.5||13.9||18.5||21.3||23.9||26.5||21.1||18.1||11.7||5.0||14.9||-||- |最低気温(℃) | -4.0||-3.9||-1.2||4.2||9.2||13.5||17.1||19.5||15.8||9.0||2.9||-1.9||6.7||-||- | |降水量 (mm) | 56.0||38.5||64.6||57.5||104.2||104.3||153.1||137.9||194.5||120.5||89.8||62.4||1193.9||1388||986 |降雪の深さ (cm) | 39.8||40.5||28.1||2.1||0||0||0||0||0||0||1.9||18.8||-||130.4||739.6 | |日照時間 (h) | 119.1||131.4||162.9||182.0||195.2||172.3||133.0||161.2||135.6||157.9||130.2||119.7||1800.5||1925||1489 |日照率 (%) | 40.2||43.9||44.3||45.8||43.8||38.4||29.1||38.1||36.5||45.7||43.8||41.6||40.7||-||-
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月全年全国平均青森市

市名の由来

八戸の地名の由来は、平安末期以降の行政区画に由来している。 八戸の「」は、古代末期から中世にかけて「糠部郡」と呼ばれていた地域である。岩手県北から青森県南にかけて「」のつく地名が四以外の一から九の数字まであり、八戸は「糠部」の中の8番目の「」が地名として呼ばれたものが由来と考えられている。 この「」は、古代律令に基づくものと考えられており、馬産地として知られていたこの地域の牧場に関連させる考え方や、蝦夷支配のために北進する朝廷側の前進基地とするなど「」については諸説ある。青森県八戸市 市の概要http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,137,15,html

歴史

先史時代・古代

縄文時代の遺跡として是川遺跡風張遺跡がある。風張遺跡からは縄文後期の米粒が出土している。また、是川遺跡からは数々の工芸品が出土している。8世紀から9世紀ごろ建造された古墳として鹿島沢古墳群丹後平古墳群があり、ガラスの小玉や鉄鏃、金銅製金具などが発見されている。その後、平安時代末期に南部氏が治めるようになるまで蝦夷の土地であり、律令制の及ばない地であった。

中世(根城南部氏時代)

建久2年(1191年)、甲斐国南部氏北東北一帯を源頼朝から賜ったとされているが、南部氏が実際に北東北に移ってきたのは南北朝時代である。建武元年(1334年)、国代として糠部郡を支配することを命ぜられた南部氏分家の南部師行が根城を築き、根城南部氏の祖となった。その根拠地として石懸村八森(現在の八戸市根城地区)に築城した。楠美鐵二(1981)「青森県百科事典」東奥日報社 pp703

八戸が東廻り航路の海港となったのは近代初頭で、初期の航路は銚子から利根川を利用したため川船に乗換えて江戸まで物資を運んでいた。元和期(1615年〜1624年)には、八戸で海船の建造も行われるようになった。

根城南部氏は寛永4年(1627年)、本家盛岡南部氏の命により遠野に居城を移した。

、根城町から三日町・十三日町・廿三日町へ、新井田町から八日町・十八日町・廿八日町が柏崎城の下に移り、新しい城下町の町人町が設けられた。

中世(八戸藩時代)

寛文4年(1664年)、南部重直が世継ぎを決めずに亡くなったため南部藩は御家断絶となる。幕府は南部藩10万石を八戸2万石と盛岡8万石に分け、八戸藩を南部直房に与え八戸城が築かれ、八戸藩が始まり城下町として一層整備された。なお、八戸藩の領地と現在の八戸市の領域にはかなり違いがあり、久慈市あたりまでが八戸藩であった。

八戸領内の産物を2隻の船で江戸へ送る八戸市HP八戸港年表http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,3931,16,30,html#昭和20 河村瑞賢により銚子から江戸に直行する海路として、新しい東廻り航路が開設され物資の輸送に利用されるようになる。移出品は大豆、〆粕、魚油、鉄製品等。移入品は木綿、茶、紙、瀬戸物等八戸市HP八戸港年表http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,3931,16,30,html#昭和20

マッコウクジラ36頭が八戸市白銀に揚がり浜が大いににぎわった。

元禄頃(1688年〜1704年)には八戸城下町に隣接し、馬渕川および新井田川の河口に位置する、湊・鮫の両浦に屋敷割りが行われ、港町の性格を兼ねてきた。同時期の、六日町に海産物問屋の許可が与えられるようになる。山根勢五(2006)「八戸の歴史双書 八戸の漁業・近代編」八戸市 八戸市市編纂室 pp27 湊川口へ十分一役所が設置される 白子権兵衛が新堀川(小中野)を改修し、船入り場を整備する 享保(1716年〜1763年)時代にはいると、当時八戸地方の特産物だった大豆その他穀物、塩、〆粕、干鰯(ほしか)、魚油、鉄や移入品である絹、木綿、古着類が集散しはじめる。江戸などの遠隔地と交易が盛んになり、移入品の配給を独占した下町の御用達商人が藩経済を支配していた。下中弘(1995)「日本史大事典 第五巻」株式会社平凡社 新堀川が洪水により埋没したため付替工事を実施する

八戸城は現在の三八城公園にあった。城下町には三日町、十三日町など市の立つ日を名前とした街が並んでおり、現在も市の中心地となっている。また、江戸時代の思想家、安藤昌益も暮らしており、十六日町にある浄土宗天聖寺で講和を開いたとされている。当時の八戸は、商人の町として思想や数学の先端を切り開いていき、その算木や算額が八戸藩主の墓の南部家墓所に通じる臨済宗南宗寺に保存されている。

安永七年(1778年)から数年間やませの影響で不作が続く 天明三年(1783年)大飢饉が発生 当時の八戸領の人口6万5千人のうち3万人が餓死し、現在の八戸市の大字である新井田、十日市、田向、塩入(現在の柏崎、青葉)、岩渕(現在の白銀)地区の1418人のうち696人が亡くなった。また、治安が非常に悪化したため、放火や強盗が多く発生した。当時の人は海草や山草、藁を食べて飢えを凌いだと記録されている。八戸市博物館HPhttp://www.hachinohe.ed.jp/haku/rekisi_kegaji.htmlその記録が、対泉院の餓死萬霊等供養搭に記されている。

この不作対策として、米を備蓄し始めるようになり、当時の町民の行動は商人の八戸市の先進性を示していたといえる。

、鮫浦で150m程の築堤工事が行われる 、白銀浜に防波堤が築造される 、八戸大火が発生 軍艦孟春が白銀浜に座礁
  • 幕末、大久喜漁港の浜小屋が建設される。現在国の重要文化財に指定されており、八戸周辺の魚労具が展示されている。

近代(八戸県時代)

  • 廃藩置県により八戸県となる
  • 「八戸郵便取扱所(現在の八戸郵便局)」が塩町に開設
  • 湊川口に灯台建設
  • 八戸尋常小学校開校
  • 近藤寅吉名義で郡庁宛に「鮪建網一統」(マグロ漁の許可)を出す
  • *明治初期にはすでにマグロ定置網漁があったという記録が残っている山根勢五(2006)「八戸の歴史双書 八戸の漁業・近代編」八戸市 八戸市市編纂室 pp33
  • 浦山太吉らが鮫築港運動をはじめる
  • 内務省から八戸港実測のためオランダ人技師ローエン・ホルスト・ムルデルが派遣され、翌年港湾計画ができる八戸市HP八戸港年表http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,3931,16,30,html#昭和20
  • 八戸でイカ釣漁業がはじまる
  • 明治の八戸大火が発生
  • 長谷川藤次郎三重県からあぐり網を導入

近代(八戸町時代)

  • 町村制により八戸町となる
  • 日本鉄道青森線の尻内駅(現在のJR東日本八戸駅)が開業
  • 湊漁業組合設立
  • 六日町に魚市場が開設される山根勢五(2006)「八戸の歴史双書 八戸の漁業・近代編」八戸市 八戸市市編纂室 pp27
  • 八戸線湊駅(現在廃止)まで開業。物流拠点になる山根勢五(2006)「八戸の歴史双書 八戸の漁業・近代編」八戸市 八戸市市編纂室 pp27
  • 三陸大津波で被害
  • 湊村立湊水産補修学校が現在の市営魚菜市場(陸奥湊駅前)に開校する
  • *県試験船太平丸が鮫沖で試験操業開始
  • 長者村を合併
  • 三戸郡下各浦に漁業組合設立
  • 湊水産補修学校が財政難で閉校。県水産試験場の付属として伝習部が設置され運営継続山根勢五(2006)「八戸の歴史双書 八戸の漁業・近代編」八戸市 八戸市市編纂室 pp37
  • 八戸・湊・鮫に電話開通
  • 東洋捕鯨鮫事業所焼討事件発生。鮫村漁民1100人による暴動勃発。
  • 東洋捕鯨襲撃事件が和解。春から捕鯨船3隻出航、148頭の鯨を捕獲で大漁。
  • 県水産試験場付属伝習部から分離独立して青森県立水産講習所を設置山根勢五(2006)「八戸の歴史双書 八戸の漁業・近代編」八戸市 八戸市市編纂室 pp37
  • 鮫浦港修築工事が着工(現:三八地域県民局地域整備部八戸港管理所)
  • *八戸市は、かつてから港湾と共に発展してきた。八戸藩誕生のころ、八戸の港は鮫浦と呼ばれる漁港であった。また、新井田川河口は湊川口と呼ばれ、こちらも漁港および商港として重要な拠点であり、念願の港築港工事であった。
  • 公立実業学校令に基づき、県立水産講習所から青森県立水産学校に変更
  • 八戸線八木駅まで延伸
  • 陸奥湊駅が開業
  • 内務省指定港湾となる

旧八戸市(戦前)

  • 市制施行(旧八戸町、小中野町、湊町、鮫の合併による)
  • 現在の八戸港が商港に指定、湊魚市場組合設立
  • 五戸電気鉄道尻内駅が現在の八戸駅に開業
  • 鮫港と湊港を統一し、「八戸港」に改称する
  • 八戸市消防組が発足 それ以前は消防組と防衛団、警防団という組織があった
  • 第1回全日本スピードスケート選手権を現在の長根運動公園で開催
  • 国鉄八戸線が久慈駅まで開通
  • 漁港修築事業完成、商港第一期修築に着手する
  • 株式会社八戸魚市場創立
  • 八戸市営バスの運行が始まる
  • 三陸地方に震度5の地震、三陸大津波が襲来で多数の被害、鮫漁港竣工落成
  • 第一魚市場が開設(大字鮫町)される
  • 八戸港が第2種重要港湾に指定される
  • 八戸測候所が開設
  • 日東化学工業八戸工場が創設
  • *戦時中は八戸屈指の軍需工場であり、飛行機の機体に使うアルミや肥料の硫安を生産し、大戦末期には爆薬の製造も計画された
  • 仙台土木出張所馬淵川改修事務所が設置され、馬淵川改修工事に着手する(昭和30年放水路完成)
  • 鮫灯台点灯
  • 貿易港として開港指定される
  • 函館税関八戸税関支署が設置される
  • 商港第一期修築が完成する
  • 八戸港修築計画(神田構想)が策定される
  • 商港第二期修築に着手する
  • 仙台土木出張所八戸港修築事務所が設置される(現:国土交通省東北地方整備局八戸港湾空港整備事務所)
  • 海軍委託工事で蕪島突堤の埋め立てと道路築造に着手。翌年完成し蕪島が陸続きになる
  • 八戸臨海工業地帯造成工事を県直営で着手
  • 東北海運局八戸支局が設置される(現:東北運輸局青森運輸支局八戸海事事務所)
  • 7月14日、八戸市小中野の日東化学工場などで米軍の空襲で被害を受ける
  • *工場内にあった濃硫酸のタンクが爆撃で破壊され、何名かの工員があふれ出した濃硫酸で体が全て溶けて、めがねと革製品しか残されなかったという痛ましいものだった
  • 8月9,10日にも米軍の襲来により八戸港日本軍海防艦「稲木」を撃沈。鮫地区などで再び多くの死傷者が出た

旧八戸市(戦後)

  • 馬淵川改修工事が再開開始
  • 沈船防波堤工事に着手する(昭和25年完成 L=450m)
  • 八戸海上保安部が設置される
  • 八戸港が重要港湾に指定される
  • 馬淵川改修事業が完了
  • *馬淵川改修により蛇行が激しく流量が多かったが大幅に改善される。以前は河口部分で馬淵川が湾曲し新井田川と合流して太平洋に注ぎ込んでいた。この改修事業で臨海地域を工業地帯として利用可能になった
  • 陸上自衛隊が八戸市高館に開隊
  • 都市ガスの供給が開始
  • 出入国港に指定される
  • 八戸港港湾管理事務所が設立される
  • 白銀A岸壁(-9m)に着工する(昭和37年供用)
  • 河原木三角州地帯の臨海工業用地が完成する
  • 東北初の火力発電所が操業。三八城病院を買収し八戸市立市民病院を開設
  • 植物検疫港に指定される
  • 函館検疫所八戸出張所が設置される
  • 第二魚市場が開設される(江陽四丁目)
  • チリ地震津波で八戸市沿岸部に被害。旧八戸市庁舎が竣工
  • 八戸港が特定第三種漁港に指定される
  • 木材輸入特定港に指定される
  • 東北電波管理局八戸出張所が設置される
  • 八戸港水揚高日本一の記録樹立
  • 八戸臨海鉄道線(青森県営専用線)が北八戸信号場から北沼駅間開業
  • *臨海地域の大規模工場に接続していたが1980年代から三菱製紙専用線のみの接続になった
  • 八戸港水揚高三年連続日本一
  • 十勝沖地震が発生し被害を受ける
  • *死者19名、負傷者 305人、 被害総額 170億円
  • 八戸大橋が開通(昭和51年暫定供用、昭和55年全線開通 L=1,32.7m)
  • 中央防波堤に着手する(平成18年3月までにL=2,196m概成)
  • 八戸港水揚高日本一記録(4回目)
  • 根城大橋が開通
  • 八戸〜室蘭間のカーフェリーが就航する(平成18年に休止)
  • 八太郎トンネルに着工する(昭和58年暫定供用、昭和60年全線供用)
  • 八戸市美術館完成
  • 中央第二防波堤に着工する(平成18年3月までにL=1,100m概成)
  • ポートアイランド第?期工事に着手する(全体85haのうち第?期 A=35ha)
  • 東北縦貫自動車道八戸線が八戸ICから埼玉県浦和ICまで接続
  • 八太郎2号ふ頭H・I・L・M岸壁(-7.5m)が供用される
  • シーガルブリッジに着工する(平成9年竣工)
  • 八太郎3号ふ頭緑地が供用される
  • 八戸港が動物検疫港に指定される
  • 八太郎4号ふ頭P岸壁(-12m)が供用される
  • 八戸港の外航船入港が1万隻を達成する
  • 三陸はるか沖地震が発生
  • *死者2人、負傷者720人、被害総額613億円。鉄道、道路、橋梁、港湾、学校、市庁舎、市民病院など大きな被害を引き起こした
  • 八太郎E岸壁にガントリークレーンが設置される
  • 八太郎1・2号ふ頭の間にコンテナヤードが整備される
  • 東南アジアコンテナ定期航路が開設される(東北初の国際コンテナ航路)
  • 「三陸はるか沖地震」により被災する(八太郎1・4号ふ頭陥没)
  • 河原木2号ふ頭A岸壁(-14m)が供用される
  • 輸入促進地域(FAZ)に指定される
  • 八戸市立市民病院が田向地区に移転
  • 中国コンテナ定期航路が開設される(平成11年に休止)
  • FAZ基盤施設(貿易センター、国際物流ターミナル)が完成する
  • 韓国コンテナ定期航路が開設される
  • 北米コンテナ定期航路が開設される
  • 横浜港との内航フィーダーコンテナ定期航路が開設される
  • ポートアイランド第?期工事に着手する(廃棄物埋立処分場としてA=21ha)
  • 八太郎2号ふ頭J岸壁(-13m)が供用される
  • コンテナターミナルが移転する
八戸屋台村が三日町と六日町で全面オープン
  • 八戸市南郷区に建設された世増ダムが計画から30年を経て竣工
  • 総合静脈物流拠点港(リサイクルポート)に指定される
  • 耐震強化岸壁(八太郎N岸壁)が供用される
  • 河原木1号ふ頭緑地が供用される

八戸市(平成の大合併後)

  • 三戸郡南郷村と合併。八戸市南郷区とする
  • 東京港との内航フィーダーコンテナ定期航路が開設される
  • 白銀ボートパークが供用される
  • 沼館緑地公園が供用される

行政区の沿革

  • - 町村制により三戸郡八戸町となる
  • - 三戸郡長者村を合併
  • - 三戸郡八戸町・小中野町・湊町・鮫村が合併し、八戸市誕生。
  • - 三戸郡下長苗代村を編入。
  • - 三戸郡是川村を編入。
  • - 三戸郡館村、上長苗代村、市川村を編入。
  • - 三戸郡豊崎村を編入。
  • - 三戸郡大館村を編入。
  • - 三戸郡南郷村を編入。
(南郷村の村域は地域自治区南郷区」となる。地域自治区が導入されたのは上越市に次いで2例目)

人口

|valign=top| (昼間人口・常住人口・流入人口・流出人口・常住人口100人あたりの縦貫人口のデータは平成17年度10月1日現在のもの。旧南郷村と合併後の数値。)昼間人口 ー八戸市http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,5014,c,html/5014/20080417-171519.xls

八戸市は若年人口の割合が減少しており、緩やかに65歳以上の人口が割合を増やしている。進学や就職、転勤とも併せて、年度末にあたる3月、4月には約4,000人が流出している。近年は、3月、4月に差し引き約1,000人総人口が減少する傾向がある。年間総数では転入が7,184人、転出が8,828人で傾向は八戸市のHPに統計が記載されてる平成7年度から年々転出が転入を上回る数が拡大している。

八戸市民は進学先や就職先が八戸市以外であることが多く、18歳(進学・就職期)の人口流出が顕著であり、22歳時(就職期)の人口流出がその次に多い。

下記の表は平成19年度の八戸市の転出・転入を都道府県別に示したものである。 ランキング | style="text-align:right;" | 2,644人 | style="text-align:right;" | 2,901人 | style="text-align:right;" |1,014人 | style="text-align:right;" |408人 | style="text-align:right;" |905人 | style="text-align:right;" |681人 | style="text-align:right;" |784人 | style="text-align:right;" |780人 | style="text-align:right;" |610人 | style="text-align:right;" |360人 | style="text-align:right;" |420人 | style="text-align:right;" |277人 | style="text-align:right;" |399人 | style="text-align:right;" |337人 | style="text-align:right;" |362人 | style="text-align:right;" |219人 | style="text-align:right;" |198人 | style="text-align:right;" |162人 | style="text-align:right;" |179人 | style="text-align:right;" |78人 | style="text-align:right;" |177人 | style="text-align:right;" |119人 | style="text-align:right;" |135人 | style="text-align:right;" |40人 | style="text-align:right;" |119人 | style="text-align:right;" |80人 | style="text-align:right;" |101人 | style="text-align:right;" |80人
転出先 都道府県 転出 転入
1 青森県
2 東京都
3 宮城県
4 岩手県
5 神奈川県
6 千葉県
7 北海道
8 埼玉県
9 秋田県
10 愛知県
11 福島県
12 栃木県
13 国外
14 茨城県
都道府県別人口移動 ー八戸市(平成19年度) http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,5014,c,html/5014/20080417-170204.xls 八戸市ポケットデータ ー八戸市(平成20年度版)http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,10340,c,html/10340/H20pocket1.xls ]

経済

概況

八戸市は日本を代表する港町であり市内に八戸漁港をはじめとする6つの漁港を有しており、イカ、秋刀魚、鰯などを中心に水揚げがされ全国に出荷されている。また、当市は工業都市であり、工場労働者数や工業製品出荷額が北東北の中でも最も高い。さらに、第3次産業については年間小売販売額は横ばいであるが、八戸都市圏を含めを広範囲の商圏を持っている。

一方では高い失業率や一人あたりの所得額の低さなど全国平均に比べ格差が生じているといった問題も抱えている。李永俊 石黒格(2008)『青森県で生きる若者たち』弘前大学出版会
産業活動別の生産額東洋経済(2007)「都市データパック2007年度版」東洋経済新聞社 pp.185
  • 農業産出額........154.9億円(全国87位)(2005年)
  • 工業製品出荷額....4507.4億円(全国151位)(2004年)
  • 卸売業年間販売額....5228億円(全国71位)(2004年)
労働力人口
  • 124,758人(全国93位) / -3.1%(2000年比)東洋経済(2007)「都市データパック2007年度版」東洋経済新聞社 pp.184
就業人口構成
  • 第1次産業4.2%
  • 第2次産業23.8%
  • 第3次産業71.6%

産業立地と都市構造

Wikipedia画像へのリンク(2}})
(廿三日町から三日町方向を撮影))
業務・商業地
流通・工業地区

インフラ整備の状況

第1次産業

八戸市の第1次産業部門は、沿岸部は水産業、内陸部は農業林業が盛んである。

水産業2007年(平成19年)の水揚高が数量が146,385トンで全国第3位、金額が244億4,163万円で全国第8位を誇っている。八戸市は水産都市として八戸港などの基盤整備が進められ、豊漁などもあり1956年(昭和31年)から1958年(昭和33年)にかけて3年連続して水揚げ日本一を記録するなど、日本有数の漁港である。最も水揚げ量が多かった1988年(昭和63年)には、81.9万トンを記録している。漁獲高は減少傾向にあるものの、現在でもイカの水揚量は日本一であり、他にもイワシサバスケトウダラなどを中心に水揚されている。水産業の概況 -八戸市http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,185,16,31,html

農業旧八戸市地域では中核農家を中心として、「長いも」「にんにく」「ねぎ」「ピーマン」等の露地野菜が栽培されている。また「トマト」「きゅうり」等の施設園芸野菜や果樹畜産等、集団的な生産活動が展開されている。さらに、水田転作による「いちご」、「大豆」が栽培されている。特にイチゴは県内一の生産量である。

また、南郷区地域では複合経営を主とした「葉たばこ」栽培のほか、観光振興と連動し、「ソバ」の産地化、「さくらんぼ」「ブルーベリー」などの果樹生産や農産加工に取り組んでいる。また、水稲作付面積は、1,400ha(2006年)で、平成18年からは、青森県が開発した新品種まっしぐら」の栽培を拡大している。

果樹は栽培面積が、平成18年で418haであり、その6割は「りんご」が生産されている。花きの作付面積は、平成18年で41haである。主な品目は「」、「トルコギキョウ」等の切り花の他、「シクラメン」や「プリムラ類」を中心に鉢花の栽培も多い。

漁業

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  • 深久保漁
  • 種差漁港
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  • 大久喜漁港
  • 金浜漁港
林業森林面積が約10,219ha(2006年)であり、主として針葉樹の用材用が約6,404ha、他は広葉樹の雑木で低位利用地が多くなっていることが特徴である。畜産は、養鶏を主体としており、平成18年ではその羽数は、約180万羽である。農林畜産業の概況-八戸市http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,3548,16,32,html

第2次産業

八戸市の第2次産業の主たるもは、鉄鋼パルプ・紙加工品製造食品製造、飲料飼料たばこ製造・生産である。近年はこれらに加え、電子部品製造業などのハイテク産業の立地も進んでいる。工業統計調査 -八戸市『第15表 主要業種の製造品出荷額等の推移』 [30KB xlsファイル] http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,5048,c,html/5048/20080421-103233.xls

当市の製造製品出荷額(2005年度)は4507億円で、これは2000年(平成12年)に比べ12.1%上昇している。2006年度東北地方における製造製品出荷額等の順位は北東北で1位。東北全体では福島市に次ぐ6位であり(速報値を含む)、青森県内の工業製品出荷額の39%を占めている。工業統計調査 -八戸市 『第13表 北海道・東北主要工業都市の現況』http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,5048,c,html/5048/20080421-103157.xls 近年の海外への輸出が好調であることが主な要因である。

八戸市は水産資源と地下資源などが恵まれており、大正時代から八戸鉱山八戸セメントなどを中心に工業が発展した。戦後、臨海部1951年(昭和26年)日本高周波鋼業八戸工場が立地。、大平洋金属八戸工場完成による砂鉄銑の製造開始され鉄鋼業が増加した。 1964年新産業都市の指定を契機に、第二臨海工業地帯の造成や、産業道路工業用水火力発電所などの基盤整備が進められた。この結果に三菱製紙八戸工場操業開始、に八戸製錬が設立・操業を開始、、東京鐵鋼の八戸工場が操業を始めた。これらの大規模工場の誘致により地域雇用を増大させることに成功した。

さらに1989年(平成元年)の頭脳立地法の指定を受け、八戸市の北部に八戸ハイテクパークとその中核施設である八戸インテリジェントプラザが整備された。市の北部に位置する八戸北インター工業団地と八戸グリーンハイテクランドを中心に、ソフトウエア業や電子部品、精密機械部品などの企業集積が進み、高度技術産業の生産拠点を形成している。また、近年の社会情勢の変化に対応させた賃貸型工場「テクノフロンティア八戸」工業団地が整備されるなど、北東北を代表する工業都市として開発と誘致を進めている。八戸北インター工業団地 -八戸市『第15表 主要業種の製造品出荷額等の推移』 http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,241,16,33,html

工業

鉱業

第3次産業

八戸市の産業のうち、総生産額で67%(8,733億円)、全事業所の86%(10,011社)、従業員数は74.6%(74,215人)を占める。業種別では「不動産業」が増加傾向にある。

八戸市内の第3次産業に関連する事業所が最も多いのは中心市街地の20%で、次いで総合卸売りセンターなどの商業地区である下長地区16%である。また、第3次産業労働者うち19%が下長地区で働いており、中心市街地では16%が働いている。

八戸市は、北東北における卸売・小売・サービス業などの拠点となっている。中心市街地と江陽(ラピア)・沼館周辺(ピアドゥ)の3つの中心部商業地の集客力と、住宅街の沿道店舗の立地により、八戸市の小売商圏は、岩手県北地域の市町村から、青森県県南地域、上北地域を含み広域である。さらに、ピアドゥに隣接する沼館地区の旧ドック用地は大型商業施設の建設が予定されている。

中心商業地以外では、城下、類家、根城、湊高台、下長、河原木、新井田地区に沿道商業地が集積しており、全国チェーンの飲食店や家電量販店、ドラックストアー、食品スーパー、カーディーラーが多い。また、地元資本の食品スーパーが旧八戸市域の各地区にあるため利便性はいい。

以下は分野別の統計データである
  • 卸売業年間販売額=5228億円(2004年)全国71位
  • 大型店店舗数=45店(2004年)78位
  • 店舗面積=199,935平方メートル(2004年)全国90位
  • 小売店商店年間販売額は=106.7億円(2004年)伸び率は98.2%(2002年=100)

平成以降に郊外への大型商業施設の移転立地が加速した。1991年には三日町の長崎屋が江陽地区へ、2002年には十三日町のイトーヨーカドーが沼館地区へ移転した。また、1995年、おいらせ町(旧下田町)にイオン下田ショッピングセンターが営業をはじめたことで、市内の小売店に少なからず影響を与えたが、その反面、市民や周辺町村民は購買範囲が広がり以前より便利さが増している。

情報通信・ソフトウェア業

主な百貨店・商業施設

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※:最近までイオングループのショッピングセンターが市内において計画されていたが、2005年の八戸市長選挙において、計画に中立を公約に掲げていた小林眞が建設反対派である前職市長を破って当選したものの、後に進出に容認しないことを表明したことにより、それ以降に新たなショッピングセンターの計画が不可能となっている。

金融機関

※:「支店名」表記のあるものは市内に1店舗のみ置いている金融機関である。
八戸市の指定金融機関でもある。
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このうち東北銀行については、青森県内で営業を展開しているのは八戸市のみで、市内に2店舗を構える。
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八戸市内に唯一本店を構える金融機関
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(合併前の青森商銀信用組合時代以前よりあすか信組八戸支店にはATMが設置されていない)
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(ただし野村證券八戸支店では現金などの直接取扱いやセブン銀行ATMの設置は行われていない)
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青森県内で直営店舗が置かれるのは八戸市と青森市青森中央郵便局内)のみである。
その他ATMのみ設置
かつて市内にあった金融機関
  • 北海道銀行 - 1999年頃に同行仙台支店・青森銀行八戸支店に分割して統合・事業譲渡。
店舗設置当時、青森銀行八戸支店とは道路を隔てて向かい合わせの位置関係にあった。
  • 十和田信用金庫(当時) - に同金庫下田支店(当時)へ統合廃止し市内から撤退(ただし同金庫の営業区域としては変わらず)。

マスメディア

土曜夕方に独自の編成を組んでおり三八上北地方に向けたラジオ番組「ふれあい八戸土曜スタジオ」を八戸市から放送している。
かつては本社を八戸市に置いていたが、付けで放送センター(演奏所)のある青森市に移し、同局は八戸支社になった。
※:IBC・TVI・mitは本来岩手県内のテレビ局であるが、岩手県北部の沿岸地方(久慈市)と内陸地方(二戸市)の双方に交通の便が良い八戸市に取材拠点としての支社を置いている。そのため、八戸支社は報道局の下部組織であって、営業局のそれではない。ただし、八戸周辺では越境電波でこれらの局の放送が視聴できる。

マスメディアの歴史

創刊した「驥北(きほく)」の『八戸小記』によると、大正時代の時点で八戸市のマスメディアは、新聞の「はちのへ」と「奥南新報」(現在のデーリー東北)が毎月10回、三日に一回発行していたとしている。その中で「はちのへ」新聞社は長横町、奥南新報社は番町にあったと記している。その他にも、「八戸實業時報」が毎月3回、5のつく日に発刊されていた。また、「東奥日報」「陸奥新報」「青森新聞」「岩手毎日新聞」の支局があった。

芸能事務所

インターネットサービス・プロバイダ

行政

Wikipedia画像へのリンク(7}})
(隣の「別館」が完成する前は「新館」と呼称していた。))
Wikipedia画像へのリンク(12}}に発生した三陸はるか沖地震の際、当時同地にあった市庁「旧館」が壊滅的な被害を受け使用不能となったことから、それを教訓に免震構造によって建て替えられたものである。)
[[画像:Hachinohe-nango-wardoffice01.jpg|thumb|right|南郷区役所(撮影)
に市町村合併 によって設置された地域自治区「南郷区」の区役所庁舎(旧南郷村役場)]]

歴代市長

|1||近藤喜衛|| |2-4||神田重雄|| |5||山内亮|| |6-7||夏堀悌二郎|| |8||村井倉松|| |9-11||岩岡徳兵衛|| |12||中村拓道|| |13-17||秋山皐二郎|| |18-20||中里信男|| |21||中村寿文|| |22||小林眞||||現職
氏名就任年月日退任年月日

市議会

  • 定数 36人。なお、人口から求められる議員数は38人だが、条例により定数36人としている。
  • 議長:吉田博司
| align="center"|自由民主クラブ | align="center"|政風クラブ | align="center"| 社民党・市民連合 | align="center"|公明党 | align="center"|日本共産党議員団 | align="center"|諸派 |(欠員) ||-
会派名
36
16
11
3
2
2
2
(任期満了日:)

庁舎・支所など

  • 市庁本庁舎(本館・別館) - 内丸一丁目
※:八戸市の場合、公式には「八戸市役所」ではなく「八戸市庁」と呼称する。
: ただし、読みが「八戸市長」と同じであり誤認されることが多いことから、「八戸市役所」と呼称する場合もある。
ただし、読みが「八戸市長」と同じであり誤認されることが多いことから、「八戸市役所」と呼称する場合もある。
  • 白銀サービスコーナー - 白銀三丁目
※:白銀サービスコーナーは、同市市民課の出先機関扱いであるため、取扱業務は同課が扱う住民登録・戸籍・印鑑登録関係の一部に限られる。
: そのため、他の支所等で扱う税関係・健康福祉関係業務は扱わないので注意が必要。
そのため、他の支所等で扱う税関係・健康福祉関係業務は扱わないので注意が必要。
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  • 市川支所 - 大字市川町字赤畑
  • 大館支所 - 大字新井田字常光田
  • 是川支所 - 大字是川字東前田
  • 下長支所 - 下長一丁目
  • 館支所 - 大字八幡字館ノ下
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  • 豊崎支所 - 大字豊崎町字上七崎
  • 八戸駅市民サービスセンター - 大字尻内町字館田
  • 南浜支所 - 大字鮫町字棚久保
  • 南郷区役所(旧南郷村役場) - 南郷区大字市野沢字黒坂
  • 島守支所 - 南郷区大字島守字小山田

環境への取組み

姉妹都市・提携など

海外

地域

八戸の都市発展の歴史

八戸の街は西から東へ延びてきた。、南部師行が根城に城を築き、廃城になるのまで約300年間、根城城が現在の八戸の中心であった。その後、南部利直の命令で、に根城町から現在の中心市街地の三日町・十三日町・廿三日町へ集団移転した。また、新井田に城跡新井田小十郎が住んでいた城とその周辺の人々も八日町、十八日町、廿八日町へ移転して城下町が設けられた。そして、八戸藩主の南部利直によって都市計画がされ、現在の中心市街地の区割りが出来上がった。八戸市十三日町商店街 十三日町の歴史http://www.jongara-net.or.jp/~jyusan/rekisi/rekisi.htmその後、に南部藩から八戸藩が誕生し現在の三八城公園八戸城が築かれた。

江戸時代の都市軸

八戸の都市軸は江戸時代から現在の中心市街地でもある「表通り」と「裏通り」の西東2.4kmを軸にしてが商人の町が連なっていた。また、表通りの北裏側は番町の通りがありもともと士族町であったため線形が複雑である。その北側に八戸城があり、このような市区は東北の街には珍しいものとされている。

表通りは、西側の新荒町(当時は總門町:「そうもんちょう」と呼んでいた)から、荒町、二十三日町、十三日町、三日町、八日町、十八日町、二十八日町、塩町、下組町まで東西2.4kmあり非常に長かった。また、表通りの南側に位置する「裏通り」は、西側から二十六日町、十六日町、六日町、朔日町、十一日町、下大工町、柏崎新町となっている。

街道

八戸は中世、「奥の大道」といわれる幹線道路が存在していた。盛岡、七戸、浅虫、青森油川、浪岡、十二などを結んでいたとされる。しかし、はっきりしないものも多いため、ここでは近世以降建設された街道を中心に述べる。

八戸は長らく律令制の及ばない地だったため、江戸とを結ぶ道路は16世紀以降に出来上がったものと考えられている。

主な街道は上り街道(八戸街道)で、八戸藩主が参勤交代の際、上り街道(現在の国道340号線の八戸市新荒町、南郷を経由し二戸市へ向かう)から奥州街道を通ったとされている。八戸に入ってくる文明もこのルートを通って入ってきた考えられる。八戸市(2002)「八戸の歴史双書 明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌」八戸市立図書館市史編纂室 pp409 また現在の新荒町は上り街道と三戸街道の起点であり藩政時代、總門番所が設置されていた。文久改正八戸御城各図古今往来 青森テレビhttp://www.discovery.gr.jp/atv/road/

この他にも八戸には以下のような全7つの街道があり、それぞれは現在も国道や県道として改良されながら使用されているものが多い。

  • 上り街道(八戸街道)藩政時代、八戸市新荒町から二戸市福岡で奥州街道と繋がり盛岡を結んでいた。
  • 三戸街道 八戸市新荒町から櫛引八幡宮を経由し奥羽街道から旧南部町を通り、三戸をつないでいた。
  • 九戸街道 現在の八戸市南郷市野沢から上り街道と分岐して九戸に至る道。
  • 久慈街道 主要地方道八戸大野線。八戸市吹上から仲居林、十日市を経由して大野に至る道。
  • 浜街道 旧国道45号線の八戸市吹上から新井田、大館、妙を経由して現在の国道45号線八戸市大開から久慈に至る道。
  • 湊街道 現在の主要地方道八戸階上線。八戸市塩町から鮫、大久喜を経由して久慈に至る道。
  • 北浜街道 現在の338号線 八戸からおいらせ町百石、下田を経由して三沢、六ヶ所、東通村を経て下北地方を結んでいる。

八戸市の地域開発

ここでは第2次世界大戦以降の八戸市の地域開発について、法的な位置づけを中心に「八戸地区新産業都市基本計画」と「八戸市総合計画」を中心に記述する。

1985年度までの都市計画

、国内の戦後処理もひと段落し、政府が初めて具体的な国の開発方針を定めた全国総合開発計画の中に「北奥羽総合開発特定地域」として北東北都市開発の位置づけが決定された。これに基づき、12月に八戸地区新産業都市の指定がされ八戸市の高度経済成長が始まった。

それ以前は時点で、中小零細企業中心の食品加工や、鉄鋼、木材、化学(アルコール)、窯業(セメント)といった地域資源型工業に留まり、経営方式も非近代的で、さらに港湾や工業基盤の整備も立ち遅れていた。 そこで、に「八戸地区新産業都市建設第1次基本計画」(1964年度〜1975年度)が策定されてから「第3次基本計画」(1981年度〜1985年度)までは、重化学工業化・高度加工工業の振興と都市機能の充実などの産業基盤の整備が最優先された。 このため、発展の方向性を
  • 資源方工業および関連部門の一層の高度化と多様化
  • 臨海型工業の立地による総合工業地帯化
  • 中小零細企業の合同化・集団化による工業の二重構造の解消

とし、これらの重点を踏まえ、基盤整備の中枢として第二工業地帯(北沼、八太郎用地)に第二工業港を建設し、工業用水の確保・火力発電所の建設など工業基地の建設をして、重化学工業を誘致した。

一方、都市の市民生活に関しては必要最低限のところを確保するというものであり、重点的に工業都市建設に邁進した。

1986年度以降の都市計画

「八戸地区新産業都市建設第4次基本計画」(1986年度〜1990年度)から方針が大幅に転換した。 北東北の中核都市の位置づけのもと大きな方針として、
  • 臨海部から内陸型へ先端技術高付加価値型加工工業の振興への転換
  • 国際物流拠点化に向けた八戸港の整備
  • 中心市街地の整備・再開発・魅力ある商店街の形成

の三点が挙げられる。

1980年代は、日本全体で重厚長大型産業から軽薄短小型産業への産業構造の転換が進んだ時期であり、政府は新産業の育成のため頭脳立地法を制定した。これに伴い八戸頭脳立地地区指定がされ、エレクトロニクス、メカトロニクス、バイオテクノロジー、新素材等の高度技術産業の誘致が進められた。また、、地方拠点都市整備法の公布に伴い、に八戸地域地方拠点都市指定がされ、頭脳立地地区として担保されることになった。

これにより、に八戸ハイテクパーク(17.7ha)、には八戸北インター工業団地(156.9ha)が建設された。これは工業団地が産業構造・技術の高度化と都市機能の多面的な高度化が一貫して方向付けられたからである。

また、港湾の整備は、にガントリークレーン・コンテナヤードの整備、にはポートアイランド一部供用が開始された。

さらに、従前は工業都市としての基盤整備と企業誘致が主だったが、まちづくりとして「文化の香り」や「やすらぎと潤い」、「賑わい」といった魅力を求めることで、より高質な都市機能の集積を、抽象的であるが打ち出した。その代表的なのは1980年代前後の中心市街地の総合的な再開発である。当時、青森県再開発第一号の花亀再開発事業(廿三日町)や、ヴィアノバ(廿三日町)、三春屋(三日町から廿三日町への新築移転)、カネイリ(三日町のビル建設)の再開発などが挙げられる。さらに、国道340号線(通称表通り)の歩道整備やハナミズキ通りの車道拡幅整備がされている。

またその他にも、区画整理時事業の推進や、東北本線、八戸駅周辺の整備の必要性が強調されている。区画整理については、1980年当時売市、類家、河原木、石堂、湊高台、新井田、八戸ニュータウンなどの12地区が事業中か事業計画中であった。これらは2008年度現在、大半が事業完了しており八戸市の住宅地の大半を形成している。そして、八戸駅周辺の整備についても、ユートリー(八戸地域地場産業振興センター)が整備された。後に東北新幹線青森延伸決定に伴い、八戸駅の新駅舎建設、駅周辺道路の電線地中化、県道29号線の整備とそれに伴う新幹線や在来線をまたぐ新しい陸橋(えんぶりっち)が整備された。また、八戸駅西区画整理事業も現在までに着々と進行している。

(2004)高橋英博 著「第2章 日本の地域開発と八戸」『都市機能の高度化と地域対応 ―八戸市の「開発」と<場所の個性>―』東北大学出版会

八戸市の都市基盤整備

ここでは、の新産業都市指定後から現在までの八戸市の都市基盤整備について主要なものの記述をしている。1980年代半ば以降、高速道路の整備に伴い、八戸インターチェンジ近辺に八戸ハイテクパークや八戸北工業団地などの内陸工業団地や流通団地が整備されている。また1990年代半ばからポートアイランド(国際物流総合支援基地)造成を含めて港湾機能の高度化が図られている。また生活基盤では、1970年代までに主だった住宅団地の造成をほぼ終了し、1980年代にかけて高等教育機関の2私大が整備されている。高橋英博(2004)『都市機能の高度化と地域対応 ―八戸市の「開発」と<場所の個性>―』東北大学出版会 pp49

高速道路

  • 東北縦貫自動車道(八戸−一戸間)供用
  • 東北縦貫自動車道(一戸−安代間)供用
  • 東北縦貫自動車道(八戸−青森間)供用
  • 東北縦貫自動車道(八戸JCT−八戸北)供用

港湾

  • 第二工業港1万5千トン埠頭供用開始
  • 八戸港第二工業港開港
  • 第二工業港5万トンE岸壁供用開始
  • 第二工業港5万トンD岸壁供用開始
  • ガントリークレーン・コンテナヤードの整備
  • ポートアイランド一部供用開始(35ha)

空港

  • 三沢八戸空港供用開始

工業団地

  • 第一臨港工業地帯
  • 第二臨港工業地帯(175.1ha)
  • 八戸鉄工団地(10.0ha)
  • 市川水産加工団地(45.4ha)
  • 桔梗野工業団地(83.7ha)
  • 飼料穀物コンビナート(17.0ha)
  • 八戸内陸工業団地(13.9ha)
  • 八戸ハイテクパーク(17.7ha)
  • 八戸北インター工業団地(156.9ha)

住宅団地

  • 旭ヶ丘住宅団地
  • 多賀台住宅団地
  • 白銀台住宅団地
  • 妙住宅団地
  • 中居林住宅団地
  • 新井田住宅団地
  • 是川住宅団地
  • 第1、第2桜ヶ丘住宅団地
  • 河原木団地
  • 岬台住宅団地
  • 八戸ニュータウン

高等教育

  • 八戸工業高等専門学校
  • 北里大学獣医畜産学部開校
  • 八戸工業大学開校
  • 八戸高等技術専門学校(現八戸工科学院)開校
  • 八戸大学開校

研究施設

  • 水産加工研究所設置
  • 機械金属試験所設置
  • 八戸インテリジェントプラザ開所

都市計画区域

  • 戦前
八戸市は、北奥羽地方の商業・交通等の中心都市として発展してきた。さらに海路の発達や、港湾の修築等、産業都市として発展することが予想されていたことから、12月都市計画法適用の指定を受け、10月の都市計画区域決定をした。その際、地理的状況を勘案して八戸市の他に大館村の一部、館村の一部を含めて決定した。
  • 戦後
八戸市の行政区は昭和の大合併で隣接村を吸収して大きく拡大した。この頃、人口の増加により全国的に市街地のスプロール化が問題となり、に国会で新都市計画法が施行された。これにより八戸市は新しく都市計画区域を策定することになった。これにより、八戸市のほか、上北郡おいらせ町(旧百石町及び旧下田町)の一部を含み、八戸都市計画区域を指定した。3月現在、区域面積は全体で、約24,696ha。そのうち八戸市では約21,404ha。おいらせ町では約3,292haである。 平成12年度の国勢調査によると、市街化区域内の人口は199,588人で(市全体の82.5%)である。この八戸都市計画区域は青森県で一番大きい面積となっている。都市開発http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/8,11443,c,html/11443/20080229-115912.pdf 青森県の都市計画http://www.pref.aomori.lg.jp/kotsu/build/2008-0722-1533.pdf

都市計画区域の変遷

八戸市の都市計画区域は人口の増加とともに拡大を続けてきた。 | style="text-align:right;" |21,248ha | style="text-align:right;" |4,435ha | style="text-align:right;" |16,813ha | style="text-align:right;" |21,362ha | style="text-align:right;" |4,958ha | style="text-align:right;" |16,404ha | style="text-align:right;" |21,362ha | style="text-align:right;" |5,301ha | style="text-align:right;" |16,061ha | style="text-align:right;" |21,337ha | style="text-align:right;" |5,390ha | style="text-align:right;" |15,947ha | style="text-align:right;" |21,337ha | style="text-align:right;" |5,579ha | style="text-align:right;" |15,758ha | style="text-align:right;" |21,358ha | style="text-align:right;" |5,650ha | style="text-align:right;" |15,708ha | style="text-align:right;" |21,397ha | style="text-align:right;" |5,747ha | style="text-align:right;" |15,650ha | style="background-color:#ccccff; text-align:right;" |21,404ha | style="background-color:#ccccff; text-align:right;" |5,774ha | style="background-color:#ccccff; text-align:right;" |15,630ha
決定(変更)年月日 都市計画区域 市街化区域 市街化調整区域
3月20日
12月27日
8月16日
11月29日
4月26日
9月12日
5月26日
5月14日

市内の地域と町並み

居住地域

住宅地
  • 小中野
  • * 八戸線沿線の地域で古くからの住宅地、八戸港に近いことから水揚げ量日本一を記録した昭和30年代には歓楽街・繁華街だった。旧八戸町に属する。最寄り駅は小中野駅
  • 陸奥湊
  • * 八戸線沿線の地域で古くからの住宅地、八戸港が目の前にあり陸奥湊駅周辺は魚市場が軒を連ね、観光地として注目されている。旧八戸町に属する。
  • 白銀
  • * 八戸線沿線の地域は古くからの住宅地。1961年(昭和36年)の白銀大火で1403棟が全焼した。八戸市風水害対策防災資料http://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/9,8723,c,html/8723/20080627-101328.pdfその後復興が進み、新たに4車線の都市計画道路が完成した。最寄り駅は白銀駅
  • * 八戸線の鮫駅があり、古くからの港町である。八戸港が目の前にあり蕪島などの観光地スポットがある。旧八戸町に属する。

インフラ整備の状況

教育

大学・短期大学

私立(アイウエオ順)
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専門学校

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  • 八戸社会福祉専門学校
  • 八戸理美容専門学校
  • 八戸調理師専門学校
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  • 八戸看護専門学校
  • アレック情報ビジネス学院

高等専門学校

国立・独立行政法人

高等学校

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県立(アイウエオ順)
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私立(アイウエオ順)

中学校

市立(アイウエオ順)
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八戸市・階上町学校組合立

小学校

市立(アイウエオ順)
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八戸市・階上町学校組合立

特別支援校

県立(アイウエオ順)

図書館

所管警察署

郵便

日本郵便

郵便局

  • 八戸郵便局(84006)- ゆうちょ銀行八戸店併設
  • 八戸鮫郵便局(84053)
  • 八戸西郵便局(84060)
  • 八戸小中野郵便局(84074)
  • 南郷郵便局(84087)
  • 八戸常泉下郵便局(84110)
  • 島守郵便局(84129)
  • 豊崎郵便局(84144)
  • 八戸中央通郵便局(84158)
  • 八戸新井田郵便局(84160)
  • 館郵便局(84163)
  • 八戸湊郵便局(84165)
  • 八戸荒町郵便局(84185)
  • 市川郵便局(84197)
  • 本八戸駅内郵便局(84198)
  • 八戸白銀郵便局(84200)
  • 種差郵便局(84209)
  • 是川郵便局(84218)
  • 桔梗野郵便局(84210)
  • 八戸吹揚郵便局(84224)
  • 八戸江陽郵便局(84237)
  • 八戸根城郵便局(84244)
  • 八戸大町郵便局(84246)
  • 日計郵便局(84251)
  • 八戸旭ヶ丘郵便局(84255)
  • 八戸大杉平郵便局(24259)
  • 多賀台郵便局(84262)
  • 八戸白銀台郵便局(84263)
  • 八戸類家郵便局(84267)
  • 八戸中居林郵便局(84269)
  • 八戸河原木郵便局(84272)
  • 八戸湊台郵便局(84278)
  • 八戸田面木郵便局(84282)
  • 八戸湊高台郵便局(84284)
  • 八戸ニュータウン郵便局(84287)
  • 八戸駅前郵便局(84288)
  • 高岩簡易郵便局(84707)
  • 八戸下長簡易郵便局(84733)
    ※:付けで一時閉鎖
  • 三條簡易郵便局(84782)
  • 東前田簡易郵便局(84784)
  • 八戸卸センター郵便局(84795)

健康

主な公共医療機関

交通

鉄道