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羊蹄山

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
Wikipedia画像へのリンク(ニセコ町方面から望む羊蹄山
(2004年4月26日撮影))
Wikipedia画像へのリンク(ニセコ町方面から望む羊蹄山
(2006年4月撮影))

羊蹄山(ようていざん)は、北海道後志支庁南部(胆振国北西部)にある、標高1,898mの成層火山である。

概要

羊蹄山は円錐形の成層火山で、2003年気象庁により活火山に指定された。山頂には直径700m、深さ200mの火口があり、西北西斜面にも側火口を持つ。支笏洞爺国立公園に属していて、山頂は倶知安町喜茂別町京極町真狩村ニセコ町の境をなしている。後方羊蹄山(しりべしやま)として、日本百名山の1つになっている。

山腹にはキタキツネエゾクロテンエゾリスエゾシマリスエゾモモンガエゾユキウサギなどの哺乳類が生息しており、130種類以上の野鳥がいることも確認されている。

また、名水の地としても知られ、周囲には無料で利用できる水汲み場が数ヶ所ある。因みに水汲み場に付随している公衆トイレは、東京へ持っていけば1リットル200円はしようかという水を常時流し続けるという贅沢な施設である。

山名

富士山によく似た整ったその姿から、郷土富士として蝦夷富士(えぞふじ)とも称される。

明治、大正から昭和にかけて後方羊蹄山(しりべしやま・こうほうようていざん)、マッカリヌプリ、蝦夷富士の呼び名が併存していた。また一部の地図にはマッカリ山(真狩山)の表記も見られた。

陸地測量部の大正9年発行の5万分の1地形図「留寿都」では後方羊蹄山(蝦夷富士)と記載されていた。しかし難読であったことから地元の倶知安町が羊蹄山への変更を求め、国土地理院の昭和44年11月発行の地形図から羊蹄山と書き換えられた。このため現在の羊蹄山の名が定着することとなった。

旧名である後方羊蹄山は、斉明5年(659年)に阿倍比羅夫が郡領を置いたと日本書紀に記されている地名後方羊蹄(しりべし)に由来する(実際に同じ場所を指すかどうかは不明)。なお、後方で「しりへ」と読み、植物のギシギシの漢名である羊蹄を和名で「し」と読む。

アイヌの人々はマッカリヌプリもしくはマチネシリ(雌山)と呼び、南東にある尻別岳(1,107m)をピンネシリ(雄山)と呼んだ。なお尻別岳は後方羊蹄山に対して前方羊蹄山と呼ぶことがある。

登山コース

羊蹄山に登るには、倶知安コース(半月湖から登るコース)、京極コース、真狩コース、喜茂別コースの4種類がある。どのコースも登山には4時間から6時間程度がかかる。

9合目付近には100名収容の避難小屋があり、毎年6月中旬から10月中旬には管理人も常駐している。

火山の歴史

約10万年前から5万年前にかけて古羊蹄火山が活動し、現在の羊蹄山の活動は約5〜6万年前から始まり火砕流や山体崩壊も起きた。約1万年前以降は側火山の活動が中心となり、約6000年前以降は活動していない。

半月湖

北西の麓に火山活動で生じた火口湖。火口の中に火口径より小さい溶岩ドームが形成されたため半月形をしている。面積1.3平方キロメートルと小さめの湖で、周囲には原生林が密生している。半月湖の脇には倶知安町が設置したキャンプ場もある。

半月湖周辺から登山道周辺の植物群落が天然記念物に指定されている。

土砂災害

羊蹄山山麓付近の入植は、明治年間から行われているが、しばしば山頂付近に存在する崩壊地から発生する土石流の流下により人的及び物的被害を出してきた。崩壊は現在も続いており、大規模な崩壊が発生した際に巻上がる土砂の煙は、噴火や山火事と間違われることがある。

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