読み込み中...酪農(らくのう)とは、牛や山羊などを飼育し、乳や乳製品を生産する農業をいう。
その歴史は古く、人類が狩猟生活から農耕生活に入ったのと同時期に、こうした酪農、畜産も始まったといわれる。弥生時代には日本でも酪農が行われていたようで、とても面白いものを指していう「醍醐味」の「醍醐」も、ヨーグルトの一種だという。「酪」は、古代メソポタミア語で濁り酒の意。
一軒につき数頭から数百頭の乳牛を畜舎で飼育、一般的には等間隔で朝と夕に搾乳を行うことが多い。
昔(1960年代頃まで)は人の手で搾乳を行い、搾った生乳(せいにゅう)をバケツに取り、さらに牛乳缶と呼ばれる20リットル程度の金属製容器に貯蔵していたが、2004年現在では工程のほとんどが機械化されており、畜舎内に走るパイプラインと牛の乳房をミルカー(搾乳機)で接続して搾乳するパイプライン方式が一般的であるが、規模が大きくなるにしたがい、省力化を図るために牛を搾乳室(ミルキングパーラー)に追い込んで集約的に搾乳するミルキングパーラー方式も増加しつつある。
搾乳後の生乳はパイプラインでバルククーラー(生乳を冷やす冷蔵タンク)に送られ冷却・一時貯蔵、その後タンクローリーにより集荷され、牛乳工場へ運ばれる。
乳牛は搾乳しないまま放置すると、乳房炎という病気になるため、きめの細かい管理が必要である。通常日本では、年中無休で、1日2回搾乳が一般的であるが、1日1回搾乳、季節繁殖による夏期を中心とした搾乳等多様化しつつある。 近年は従業員の交代制による1日3回の搾乳や、搾乳ロボットの導入もあり、省力化や乳量の増加につながっている。また酪農ヘルパー制度の普及により、酪農家でも休みがとれるようになってきたが、ヘルパーの利用に当たっては相応の金銭負担が生じており、まさに「休日を購入する」ような状況にある。
乳量の多いホルスタイン種乳牛が主流。乳質向上のため、農家によっては数十頭のホルスタイン種のグループに数頭のジャージー種(脂肪分などの成分が高い)を導入する場合もある。
牧草は乾燥させた乾草(かんそう)として給与するか、保存のために密封、乳酸発酵させてサイレージとして給与することが多い。かつては牧草を気密度の高い塔型サイロに入れて発酵させていたが、この方式は機械の故障が多発し、維持管理に多額の費用がかかることから廃れ、現在では平面型のバンカーサイロ等が使用されるようになった。また通常のサイロよりも簡易的な牧草をロール状に巻き取り、これをビニールで包んで発酵させるラップサイレージが主流となりつつある。
乾草 サイレージ 濃厚飼料 ルーサン ビートパルプここで生産した乳製品は薬などの材料となり、庶民に渡ることはなかった。
その後、千葉県白子町出身の前田留吉が、オランダ人より酪農に関する技術を学び、1863年に横浜で牛乳の生産を開始した。これにより庶民でも牛乳を手に入れる事ができるようになった。明治以降、北海道の開拓が始まり、欧米の酪農技術を取り込んでということになり、初めて近代的な酪農経営が行われるようになった。
農家の手によって酪農がおこなわれるようになるのは、第一次世界大戦の前後とされ、畜産業の一環として行われた。第二次世界大戦の影響で一時期衰退したが、戦後、政府による酪農振興法の制定、学校給食や、食事の欧米化による乳製品の需要拡大により再び発達した。
1970年代からは過剰生産により乳価が下落するようになり、体力のない小規模農家は多くが離農、大規模農家は経営効率化のための施設拡大を進めた。同時に、各地の小規模な地場乳業メーカーも、多くが統合されたり廃業したりした。近年では競合飲料の台頭により飲用牛乳の消費量が減退傾向にあるため、生乳の余剰問題が顕著となっている。またこれに伴って生産者乳価も低陰傾向にある。