読み込み中...いじめ(苛め、虐め)とは、相手の肉体的・心理的苦しみを快楽的に楽しむことを目的として行われる様々な行為。実効的に遂行された嗜虐的関与(内藤朝雄「いじめの社会論」)。多くの場合、閉鎖的な集団で、集団内部では認知されたまま、外部には隠されて継続的に行われる。単純な喧嘩や暴力とは区別される。それを実行すること、誰かにやらせること、それを傍観することによって承認することすべてがいじめと言える。行為者、行為集団によってそれがいじめだと自覚されている場合と自覚されていない場合、あるいは合理化、正当化されている場合とがあり、後者には罪悪感がなくむしろ正しいこと、相手のためになっていることを行っているという錯覚すらあることが特徴。また、サディズムとは他人を精神的又は肉体的苦痛を与えることによって性的快感を得ることなので、いじめとはあまり関連性はないが、例外もある。
最近は物を隠す(いたずらする)、交換日記で悪口を書くなどといった「心に対するいじめ」も注目されている。シカトなどは陰湿且つ水面下で行われることから、教師や周囲が気づかないうちに深刻な事態ということになりやすい。
日本に限らず、欧米でもいじめは深刻な問題になっている。英語の表記は、bullying。いじめによると見られる自殺も、アメリカでも増大化の一途で、いじめと自殺(suicide)を組み合わせた「bullycide」(いじめ自殺)という造語も流布している。
なお、現在の日本では単に「いじめ」といった場合、学校で子供が行なういじめを指すことが多いが、実際には大人の社会でもいじめに相当する現象は存在している。職場いじめを参照。また、ネット上のユーザによるネットいじめも存在する。
また、教育再生会議の第一次報告に関連して、いじめを繰り返す児童・生徒に対する出席停止措置などの現在の法律で出来る事は教育委員会に通知するように、2007年1月22日、安倍晋三首相が伊吹文明文部科学相に指示した。
いじめには、学校・職場などにおける個人レベルのもの、団体・企業内の抗争など多種多様な局面があり、一部は社会問題化している。いじめに至る原因は多様であり、原因別の細かな対処が要望される。
# 故意の場合。 ## 常に自分の意思を抑圧されるような環境におかれている場合(心理的なストレスの大きい環境の場合)。(例:徹底されたあるいは過度の管理教育・偏差値主義・競争主義教育、職場、スポーツ、恋愛、嫁姑関係など) ##: → 周囲の環境を「自分の意思に反する課題を強要する専制的な場」と否定的にとらえるのではなく、学業・仕事は必要と割り切り、「自分の将来・目標に対して最適な場であり、自分の意思に反する課題は、自分に必要なこの共同体に所属するために、パスしなければならない課題だ」と肯定的にとらえ直す。 ## 自分の力を確認することで安心を得ている場合(もしくは自分の力を見せ付けて快感を得ている場合)。議論が人身攻撃・個人攻撃の方に逸れる時にも発生しやすい。(例:相手の上にいることを示す・自分の意思のみを通す・相手がいつも従うことを確認する) ##: → 力を見せ付けることは自分の欲求を抑えられないということであり、つまりは、人間的に成熟していないことを周囲に示しているのにすぎないのだと説く。もしくは、長期的にみれば自分を孤立させる結果になることを説明する。また、職場であるならば、相手の気持ちを傷つけてまで支配関係を明確にすることは、業務の効率を落とす結果にしかならないことを理解させる。(例:パワーハラスメント) ## 未知のもの・自分と違うもの・他者に対する恐怖から生じる、偏見・憎しみ・差別。 ##: → 教育によって互いを知り、意見を聞く対話の場を作り、話し合いの上で、決断し、実行すること。(出典:国連アナン事務総長の世界寛容デーへのメッセージ) ## 職場において、リストラ策の一環として自分から辞めるように上司や人事部が誘導する場合。 ##: → 人員削減以外にもリストラの方法はあることを会社側に理解させる。労働組合などに働きかける。労働基準監督署に訴える。 ## 楽しさからする場合。人間の欲求の一つ。楽しいからする、というあたりまえの状態。 # 本人に悪意のない場合。 ## 人とのつきあい方が判らない場合、実現不可能な欲求への不適切な対処・不適切なストレスの緩和方法を行う傾向がある場合。(例:憂さ晴らしに苛めるなどの、不適切で屈折した方法で快感・満足感を得ようとするなど) ##: → ソーシャル・スキルの習得。(例:判断力、行動力、コミュニケーション力、実現不可能な葛藤や欲求への適切な対処方法の習得(補償・昇華)、健全なストレス緩和法の習得(得意な学業・仕事での目標の達成による充足感、スポーツや趣味など)) ## いじめに加担していても主体的ではない場合。見て見ぬ振りをしている場合。(例:教師が児童生徒とグループになっていじめる場合)##: → 必要な法律知識を与える。自分もいじめの対象にされたくないという理由で被害者を放置した場合、ケースによっては犯罪になる可能性があることを知る(不作為による共同正犯・従犯)。
また、加害者および加害者に同調する者は、いじめは被害者の方が悪いのだと、自分達の行為を正当化し被害者に責任転嫁をすることが多く、同時に被害者への偏見を周囲に広めることもある。また、被害者が「自分にも責任がある」という視点を内面化すると、被害者がいじめに対処する気持ちを失わせ、自己を蔑視するようになり、自殺や自傷などの行為に走る場合も多い。いじめが長期化・悪質化すると、徐々に周囲が被害者を蔑視する事態も生じる。このように問題が固定化し複雑化すると被害者や周囲によるいじめへの対処は困難となる。
誰でも被害者になりうる。いじめられる側が苛めによって泣いたり苦しまなければ苛める意味がなくなっていじめをやめる、という意見もあるが、勉強・恋愛など、ひとつしかない勝利者の座席を競いあう場合、いじめる側は勝利をつかむまでいじめを止めない。
被害者が加害者側が主張する「欠点」を是正・改善することでいじめの軽減・終焉に至る例もあるが、いじめの悪質化・長期化が進行していない場合である。悪質化と長期化が進行している場合、加害者や周囲にとって被害者へのいじめ・差別・蔑視が事実上当然のことと認識されているので、欠点の是正・改善に効果がなく、その場合は、転校・転職・転居なども有効な手段として考えられる。
下記の方法で距離をとったり、ストレスを上手に発散することも、有効な対処であるとされる。また、被害者が児童・生徒である場合、必要以上に他人に依存せず自分で問題解決をする姿勢をある程度身に付けることも、教育上の観点から有益であるという意見もある。ただし、辛くなったらすぐに周りに相談することが大切である。「いじめ」は大変多くのパターンがあり、一概に言えることなど限られているからだ。こういった場合、自分よりも周りが力になってくれることがある。
いじめの防止において最も重要な存在は周囲であり、周囲がいじめの行方を左右するといっても過言ではない。なぜなら、苛められる人間は、学校や会社などの集団生活の場で一緒に円満にやっていくために、喧嘩によってその場から閉め出されるという状況を回避するために沈黙し、苛める側に対して有効な主張や抵抗を行うことができないことが多いからである。
いじめの周囲にある場合、特に苛められる側に入れられることを恐れて傍観者となることを選択し、いじめを止めさせることが出来ない場合にも責任が生じる可能性はある。将来を悲観した被害者が自殺に走るなどして刑事事件となった場合、事態を知りつつ放置した人間は、いじめをあおった人間同様、加害者と同罪とみなされることがある。 いじめは犯罪であり、周囲は苛める側に対していじめをやめるよう指導する法的責任がある。周囲の動向により、被害者が孤立化が進行することが多い。加害者が意図的に被害者を孤立させる場合もあれば、そうでなくても周囲の保身や事なかれ主義による場合も多く、いじめの長期化の場合は、加害者及び周囲の被害者への偏見・蔑視による。被害者の孤立によっていじめ問題が複雑化し、解決が極めて困難となる(大平光代(前・大阪市助役)の著書「だから、あなたも生きぬいて」(講談社)にもこのような現象が記されている)。
周囲には、いじめがあると知った場合、強い意志をもって対処することが求められる。具体的には、冷静にいじめを分析し、有効な問題解決を得ることが求められる。
例1)苛める側がどうにもならない人物(聞く耳を持たない、自己修正機能に欠ける、など)である場合、クラス替え・席替え・転部・転勤・異動・転職・人間関係の整理など、穏便に両者の間に距離をおくことが有効な回答となる。
例2)苛められる側の成績が優秀なために苛める側の嫉妬感情を生み、いじめを深刻化させた場合は、(年功序列ではなく)適正な評価基準を導入することにより回答を得ることができる。
例3)体育で苛められても、国語の授業を通して、各人の意見や反論能力により、挽回の余地もある。
いじめが発生していることが明らかになった時点で、学校であれば担任や校長・教頭、職場であれば管理職の地位にある人間が管理責任を問われ、減俸等の処分を受けたりその後の昇進などで不利な扱いを受ける場合も少なくない。このため、本来であればいじめの解決に積極的に取り組むべきであるはずの管理者が、実際にはいじめの存在を認識しながらもその事実を報告せず覆い隠そうとするケースも珍しくなく、いじめの結果被害者の自殺など取り返しのつかない事態が発生した後も「いじめの事実はなかった」などと公式の報告書に記載される場合もある。この結果、被害者の家族が学校や職場に対する不信感を増幅させることも多い。
また、担任自体がいじめ加害者となるケースもあり、1986年の中野富士見中学いじめ自殺事件のようにいじめに加担したり、あるいは2006年の筑前町立三輪中学校の事件のようにいじめを誘発する発言を行ったケースもある。また、1984年の大阪産業大学付属高校同級生殺害事件のケースでは相談を受けた事実を担任は否定し、結局保身に走る形となった。
いじめは「起きないのが最良」であり、いじめが起こるような環境を作った時点で管理者に責任があるという見解にも一理あるのは確かだが、それにより管理者が自らの保身を優先させた結果、いじめが発生した場合に適切な対処が行われない、いじめに関する実態調査に対し管理者の立場にある人間が非協力的な態度を取るなど(実際滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件を契機としたいじめ実態調査に対し、北海道教職員組合が調査に協力しないよう指示したという例もある)、逆に一種のモラル・ハザードを生んでしまっているという意見も出てきている。
その他、教師自身が自身の教育性を見せ付けるため、もしくは教師としての自己満足をかなえる場合、自分の教育に否定的な生徒をわざといじめに追い込ませ結果論として自分を頼らせるというケースも存在する。この場合いじめはあくまで生徒間の間でおこっている為、担任がいじめ加害者となるケースとしては露見する場合は少なく、物事の大小含めて教師が加害者であったという認識は希薄となる。
このほか、特に学校において暴力を伴ういじめが行われている場合に、それを止めるため教師がやむを得ずいじめる側の人間を殴るなどの行為を行った場合、近年日本において体罰全般を否定的に見る風潮が強まっていることから「教師による体罰だ」として(いじめる側の人間の)保護者から苦情を受け、結果として教師が処分されるといったケースも見られ、これも管理者のいじめに対する対応を萎縮させている一因となっている。
いじめについては諸氏により様々なことが言われてきたが、ここにきてやっと批評の対象となるものが出てきた。
内藤朝雄は社会学的・心理学的手法を用いて、2001年に『いじめの社会理論』を発表した。その中で内藤は「人間関係が濃厚すぎる集団内において生じる欠如を埋めようとする偽りの全能感」としていじめの理論化を行った。そしてその対策として「学級制度の解体」「警察の介入」を挙げた(2007年刊の『〈いじめ学〉の時代』は、その入門編である)。
森口朗は2007年の『いじめの構造』で、内藤の理論をベースに独自の「スクールカースト」の概念を導入した。これはクラス内の序列のことで、人気や「空気を読む能力」の多寡により上下し、下位になるほどいじめられやすくなるという。今までの論者が素通りしてきたこの概念を取り入れて、森田は修正藤田モデルという四分類を作った。これによりいじめのモデルはかなり整理され、見通しが良くなった。そして分類毎にいじめの発生するメカニズムを考察し、具体的な対策を提示した。
いじめ被害者は、下記の法規定によって保護される。
各法規定は、被害内容を下記の2つに大きく区分する。(一般に「いじめ」は後者をさすことが多いが、前者も該当する)悪辣かつ長期化したいじめの場合、被害者の心の傷は深く、性格そのものが変容する場合がある。深刻な心理的・肉体的・性的虐待を受けたあとでは、いじめそのものが解消したあとでも、本人のみではケアが困難となる。その場合には、精神科医やカウンセラーに相談することも重要である。
精神科医の宮元政於によると日本はいじめは行動を修正させる方法、すなわち「個人に集団の論理を受け入れさせる手段」として積極的に許容されており、その点が「欧米諸国のいじめとは決定的に異なる点」だという。このいじめという方法が大人の世界でも頻繁に用いられている点も異なり、欧米ではいじめは主に子供の世界の話で、他人をいじめる大人はちょっとおかしい、もっといえば嗜虐的とみなされるという。