読み込み中...オマル・ハサン・アフマド・アル=バシール(??? ??? ???? ?????? ?Omar Hasan Ahmad al-Bashīr, 1944年1月1日 - )は、スーダンの大統領(1993年10月 - )兼首相。1989年に軍事政権を成立させ、政権を掌握。エジプト陸軍士官学校卒。2000年12月再選。国民会議議長。なお、日本の主要マスコミは「バシル大統領」と表記している。NHKのみ、「バシール大統領」と表記。
アル=バシールは後の北部州の小さな村ホシュ・バンナガに生まれ、初等教育を受けた。家族とハルツームに移り、中等教育を終えるとスーダン軍に入隊した。カイロの士官学校に学び、階級を上げ落下傘部隊となり1973年にはエジプト軍と第四次中東戦争に従軍した。母語はアラビア語である。1975年から1979年にはアラブ首長国連邦での駐在武官、1979年から1981年に部隊指令官、1981年から1987年まではハルツームの機甲落下傘旅団長であったProfile:, BBC, 25 November, 2003.。
スーダンに戻るとスーダン人民解放軍に対する作戦に動員された。1981年に准将となり、1989年に民族イスラム戦線のハッサン・アル=トゥラービーの煽動下で軍事クーデターにより政権を掌握した。アル=バシールは権力を掌握するとすぐにすべての政党や労働組合などを禁止し、報道を抑圧し、議会を解散した。救国革命指導評議会を置き、元首、首相、軍司令官、防衛相を兼務した。アラブ系の部族に黒人系を襲わせた他、黒人系の民族間でも対立を煽り、人種差別を徹底させ、1991年の新刑法及び治安警察の導入、ムスリムの判事の採用などでキリスト教や伝統宗教が普及している南部にシャリーアを強要し、南部の村を空爆し女性や子供を奴隷化するなどして、北部対南部の内戦を拡大させた。英米やキリスト教系の「援助団体」により「イスラム教徒対キリスト教徒」の構図で語られることが多いが、シャリーアや民族対立を利用しながらも、大衆防衛軍という名の準軍組織による作戦展開などは米国が中南米で行ってきた作戦に酷似している。またダルフールや東部戦線、ヌバ山地など低開発地のムスリムを含む勢力も弾圧に対して抵抗している。
この内戦で20年にわたり約100万人強の難民と数百万の国内避難民が発生し、約200万人が飢餓や戦闘の犠牲となった。
2004年にはスーダン西部のダルフールで民兵に約7万人を虐殺させ、2万人以上の難民を発生させた。
このことから、毎年行われている『ワシントン・ポスト』の付録誌『パレード』の「世界最悪の独裁者ランキング」という特集記事で、2005年〜2007年度にかけて3年連続の第一位に選ばれた。2008年度は一位の座を北朝鮮の金正日に奪われ、第二位となった。
1998年8月、スーダンの首都ハルツームがケニア、タンザニアにあるアメリカ大使館爆破事件への事実上の報復としてアメリカ軍の空爆を受けた際、抗議する市民集会に姿を見せ、「空爆された工場は単なる薬品工場だ」と演説、アメリカに激しく反発した。
オランダ・ハーグにある国際刑事裁判所はバシールを、ダルフールにおける人道に対する罪、ジェノサイド罪で起訴すると発表した。 同裁判所が現職の国家元首を起訴するのは初めてとなる。
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