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ジャンルイジ・ブッフォン

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

ジャンルイジ・ブッフォンGianluigi Buffon1978年1月28日 - )は、イタリアカッラーラ出身の同国代表セリエAユヴェントス所属のサッカー選手。ポジションはGK

日本においてはブフォンと表記されることもある日刊スポーツ読売新聞提供のYOMIURIなど。愛称ジジ(Gigi)。

プレースタイル

高い身体能力と正確な判断力を併せ持ったユヴェントスイタリア代表の守護神。もちろんキャッチング、飛び出しのタイミング、ハイボールの処理、精神力、どれをとっても超一流であり、脈々と受け継がれているイタリア代表の名GKの系譜に名を刻む選手である。

やや身体が硬く、コーディネーションの能力が不足しているものの、学習能力が高く、一度ミスしたプレーは二度と繰り返さない。また、心臓に毛が生えていると言われるほどプレッシャーに強く、どんな試合であっても高いパフォーマンスを披露する。

他のGKに比べ足元の技術が高く、バックパスの処理・相手のロングボールへの処理にも定評がある。そのため、チームとしてDFラインを高く保つことも可能となっている。

唯一、PKストップだけは得意とは呼べない。苦手というわけではないが、世界一のGKと評される彼にしては物足りないというレベルである。2006年・W杯決勝やEURO2008・スペイン戦でのPK戦のようにPKストッパーとしての高名はあまり聞かないが、チャンピオンズリーグ2002-03決勝・ACミランvsユベントスのPK戦で見せたように、そのPKストップレベルは世界レベルではある。

人物

父(アドリアーノ)は砲丸投、母(マリア・ステラ・マソッコ)は円盤投、2人の姉(グエンダリーナ、ヴェロニカ)は共にバレーボールオリンピック選手、そして1962年ワールドカップ・チリ大会のイタリア代表正GKロレンツォ・ブッフォンを親戚(祖父の従兄弟)に持つというスポーツ一家に生まれた。

幼少時は「よく点を決めていた」と本人が言うように、トスカーナ州選抜に選出されたり、1988-1989シーズン、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで行われたインテルエラス・ヴェローナの前座試合に出場するなどフォワードや右サイドアタッカー(少年時代の憧れの選手はローター・マテウス)として活躍。

しかし、12才のとき「とりあえず1年間だけGKをやってみよう」とGKに挑戦。その年(1990年)に開催された1990 FIFAワールドカップカメルーン代表GK、トーマス・ヌコノのプレーに感化されGKへ転向した。

チェコ代表のファン。

ゲーム好きであり、オフの時間は殆どをゲームに費やしている。

2007年12月、長男が誕生し憧れのプレーヤー「トーマス・ヌコノ」から名前を取って「ルイス・トーマス」と名づけている。

略歴

クラブでの活躍

ACパルマエルメス・フルゴーニGK育成コーチ兼スカウトに見いだされ、同チームの下部組織に入団。
下部組織入団からわずか4年でネビオ・スカラ監督によってACパルマのトップチームに昇格。その時ブッフォンはまだ17才だった。1995年11月19日ファビオ・カペッロ監督率いるACミラン戦でセリエAデビュー(17歳9ヶ月)。その試合でこの年のバロンドールを受賞するジョージ・ウェアの至近距離からのシュートを顔面でセーブするなどスーパーセーブを連発し、0-0の引き分けに貢献した。結局、このシーズンは9試合に出場した。
正GKとしての地位を確固たる物とし、のちにユヴェントスで再びチームメイトとなる、リリアン・テュラムファビオ・カンナヴァーロと共に強固な守備陣を形成。チームはセリエA2位という躍進を果たす。
堅守を武器にチームはコッパ・イタリア優勝、UEFAカップ優勝、イタリア・スーパーカップ優勝という快挙を成し遂げる。
キャリア初となるセリエA全試合出場を果たし、2001年7月、ACパルマでプレーした5年間でセリエA168試合出場159失点(1試合平均0.94失点)という実績を引っ提げ、GKとしては史上最高額の移籍金となる5230万ユーロ(約56億円・当時)でエドウィン・ファン・デル・サールの後釜を探していた、マルチェロ・リッピ監督(前イタリア代表監督)率いるユヴェントスに加入。当初はGKにこれほど多額の移籍金を支払ったユヴェントスに懐疑的な見方をする専門家が多かったが、「サッカーをよく理解していない者の戯言」とブッフォンは反論し、その年のスクデット獲得に大きな貢献をする。
昨シーズンに引き続きユヴェントスはセリエAを優勝。UEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝2nd legのレアル・マドリード戦でルイス・フィーゴPKを止めるなど大活躍し、決勝に進出。しかし、オールド・トラフォードで行われたACミランとの決勝戦でPK戦の末、敗れてしまう。なお、このシーズンはUEFAチャンピオンズリーグのMVP(GKとしては史上唯一)と最優秀GKに選出されている。
3月FIFAが100周年を迎えるにあたって、元ブラジル代表ペレ氏が選出したFIFA 100(偉大なサッカー選手125人)に選出される。
8月14日に行われたACミランとの親善試合でカカと激突し、右肩を脱臼。長期の戦線離脱を余儀なくされ、ユヴェントスはその代役としてクリスティアン・アッビアーティをACミランから獲得。一旦、同年12月1日コッパ・イタリアフィオレンティーナ戦で復帰するが、ファビオ・カペッロ監督のまだ十分に回復していないとの判断により、その後の試合には出場せず。1月15日レッジーナ戦で再度復帰。以降は正GKの座を奪還した。
カルチョ・スキャンダルでイタリアサッカー界が揺れる中、ブッフォン自身にも違法なサッカー賭博に関与したのではないかとの容疑が掛かり、パルマ地検とトリノ地検から事情聴取を受ける(後に無実であることが判明)。
所属チームであるユヴェントスの八百長行為によりチームがセリエBへ降格することが決定し、ファビオ・カンナヴァーロジャンルカ・ザンブロッタなど多くのチームメイトが移籍していく中、アレッサンドロ・デル・ピエーロパベル・ネドベドらと同じくユヴェントスに残留する意向であることを代理人を通じてラジオで発表した。
2006 FIFAワールドカップでの活躍によりバロンドール受賞が噂されたが、投票の結果2位に終わり、イタリア代表のチームメイトであるファビオ・カンナヴァーロにその栄誉を譲った。
ブッフォンはチーム最多となる38試合に出場し、ユヴェントスをセリエB優勝に導いた。シーズン中からUEFAチャンピオンズリーグ出場のため、他チームへ移籍するのではないかと噂されたが、シーズン終了後にユヴェントスとの契約を2012年まで延長した。
2008年3月にユヴェントスとの契約を2013年まで延長した。

イタリア代表

  • 代表デビュー
1997年10月29日モスクワで行われた1998 FIFAワールドカップ欧州予選プレーオフ・ロシア戦の第1戦(ジャンルカ・パリュウカの負傷による途中出場)。ちなみに18歳11ヶ月での代表デビューはイタリア代表のGK史上2番目の若さ。
20才の若さで最終メンバーに選出されるも、出場機会はなし。チームは準々決勝でフランスに敗れる。
大会直前に左手を故障し、メンバーに選出されず。
正GKとしてプレーするも、ベスト16で韓国に敗退。4試合出場5失点。
3試合2失点(うちPKで1失点)と奮闘したもののグループリーグ敗退。
自身のサッカー賭博疑惑による試合への影響が心配されたが、驚異的なセービングを連発。大会7試合を通じて2点しかゴールを許さず(1点はクリスティアン・ザッカルドオウンゴール、1点はジネディーヌ・ジダンのPK、いわば2点とも特殊な形の失点であり、試合の流れの中でゴールを割られることはなかった。また、ファビオ・カンナバーロも素晴らしい活躍を見せ、後にバロンドールを二人で争うこととなる。)、さらに、W杯史上4番目の長さとなる460分連続無失点という記録を達成し、イタリアを優勝に導き、最優秀ゴールキーパーとしてレフ・ヤシン賞を受賞。
調子の上がらないチームの中、グループリーグ第2節のルーマニア戦でアドリアン・ムトゥのPKを止めるなど獅子奮迅の活躍を見せたが、チームは準々決勝でスペインにPK戦の末、敗れた。また、大会直前にファビオ・カンナバーロが負傷離脱したため、ルーマニア戦を除く3試合をキャプテンとして臨んだ。4試合出場4失点。

獲得タイトル

クラブ

代表

個人

背番号にまつわるエピソード

  • 2000-2001年シーズン開幕前に背番号88で選手登録を行ったのだが、ユダヤ人の市民団体の猛反発に会い、結局背番号77に変更した。
  • *8はアルファベットで8番目=Hを指し、88=HH=Heil-Hitlerを表す記号としてネオナチなどが実際使っていたのと、この前年にもファシスト的スローガン「降伏する人々への死」と書かれたシャツを着て問題になったこともあり、ネオナチ主義者であると言う噂もイタリア国内では流れていた。
  • *これに対して本人は「今年はケガをする前の状態に戻らなきゃいけないしボクの個性を見せなきゃいけない大切なシーズンなんだ。『誰でも玉が1つある』って決り文句がある。8は玉が2つでできてる数字だ。88なら4つの玉を持てるじゃないか」と弁明していた。
  • *最初は00や01を希望していたらしかったのだが、リーグからダメ出しされて88を選んだらしい。
  • *翌年、ユヴェントス移籍時に背番号に希望があるか聞かれた時は「問題になるといけないので、クラブに任せる」と答えたらしい。なお元々ユベントスはあまり大きい番号を認めない(ジャンルカ・ビアリが99の希望を出した際は却下されている)。

所属クラブ

脚注

外部リンク


''この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。

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