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ソースティン・ヴェブレン

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ソースティン・ヴェブレンThorstein Veblen,1857年7月30日 - 1929年8月3日)は、19世紀・20世紀初頭期アメリカ経済学者社会学者である。

来歴

1857年、ノルウェー移民の子として、ウィスコンシン州に生まれる。1874年、ミネソタ州カールトン・カレッジに入学。1891年に、コーネル大学にリーダーとして勤め、1892年にシカゴ大学に赴任して1906年まで在職。1906年からスタンフォード大学、1909年からミズーリ大学へと移るが、学問上の異端の立場と狷介な性格、教職への不向きなどから、大学人の世界へはついに馴染まない。政府の調査事業のためワシントンD.C.へ、雑誌『ダイヤル』の主筆・新社会科学学院という私立夜間大学の講師としてニューヨークへ赴く。1927年以降は、カリフォルニア州のパロアルトの山荘に引きこもって貧困と孤独の生活を送り、1929年8月3日、“大恐慌”の直前に没す。なお、数学者オズワルド・ヴェブレンは彼の甥にあたる。

思想・業績

ヴェブレンの、自分が生きた時代への批判は、マルクスとは異なった視点からの現代産業社会への分析となっている。

最初の著作『有閑階級の理論』では、いわゆる“金メッキの時代”(Gilded Age)の富豪たちの生活様式が人類学の言葉で説明され、彼らの邸宅・贅沢な調度品とパーティー・豪華な衣装は、野蛮人たちのポトラッチ・羽根飾り・狩猟・祭祀と同列に見なされている。ヴェブレンの超然とした記述は、客観的で抑制されているだけ、皮肉を鋭く感じさせる。この本が当時の読書界に反響をおこしたのは、『衒示消費』『衒示余暇』『金銭的競争』『代行消費』などの新奇で印象深い用語とともに、こうした特異な文体に負うところが大きい。さらにヴェブレンが「見せびらかし」と断じた奢侈や余暇は、悪趣味と怠惰の汚名をかぶり、アメリカであからさまには享受できなくなってしまった。

ヴェブレンは『営利企業の理論』において、現代の産業を二分して分析している。すなわち、物を作る目的の産業(Industry)と、金儲けの手段としての営利企業(Busines)との二分である。ビジネスは産業を推進せずに、むしろ産業を侵食していくというのが、ヴェブレンの資本主義論である。

『技術者と価格体制』では、さらに進んで技術者の集団(Technocrat)のソヴィエトによって、生産を統制すべきであると主張した。社会資本は決して利潤追求の対象として市場の条件によって左右されてはならない。社会資本の各部門は、専門的知見にもとづき管理されなければならない。このような具体的な提言は、ヴェブレンの抱いていた急進的な改革思想をもっともよくあらわす。さらに、後のミーンズバーリーによって採りあげられた「所有と経営の分離」の問題が、すでにこの本で提出されている。

ヴェブレンは制度派経済学の創始者と呼ばれる。私的所有より「社会資本」を考慮し、営利企業は産業体制を管理し消費者に消費財を公正に分配する任務には適していないと考えた点において、彼の学説は公認の経済学者のそれとは隔絶していた。ヴェブレンの知見は、大恐慌とアメリカでのケインズ学派の受容後に、再発見されたといった方がよい。最も早い時期(1936年)にヴェブレンを肯定的に紹介したのが、やはり異端の経済学者とみられていたホブスンであったことは興味深い。ヴェブレンの影響は、ジョン・ケネス・ガルブレイスなどに及んでいるが、まとまった学派をつくったとは言い難い。

著作

  • 『有閑階級の理論』1899年
  • 『営利企業の理論』1904年
  • 『製作者本能と産業的技能の地位』1914年
  • 『ドイツ帝国と産業革命』1915年
  • 『平和の本質にかんする研究』1917年
  • 『アメリカの高等学術』1918年
  • 『特権階級論』1919年
  • 『近代文明における科学の地位』1919年
  • 『技術者と価格体制』1921年
  • 『不在所有者制』1923年

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