読み込み中...ブラー(Blur)は、イギリスロンドン郊外出身のロックバンド。
1989年にシーモア(Seymour)名義でインディーズデビュー。1991年に現在のブラー名義でデビューした。デビュー時はそのポップな曲調からブリットポップムーブメントの代表格として一世を風靡したが、以後はローファイなオルタナ、ゴスペル、アフリカ音楽、エレクトロニカからポスト・ロック的なアプローチまで、様々に音楽性を変化させながら現在に至っている。後進のバンドに与えた影響は大きく、90年代のUKシーンを代表する存在としてリスペクトを寄せる者は多い。2003年から活動休止中。
しかしこの頃はまだ一部の評論家からはシューゲイザー、マンチェスター・サウンドに影響されて出現したバンド程度でしか認識されていなかった。
しかし後の1997年の映画「トレインスポッティング」のサントラに「レジャー」に収録されているシングル曲でもない「シング」が抜擢され話題を呼び再評価されている。
シングル「ポップシーン」リリース以降バンドは2ndアルバムの製作に入りブリットポップの発明に取掛りかかることになる。
1993年に2nd『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』をリリースし、高く評価され徐々に頭角を現す。
翌年1994年に3rd『パークライフ』をリリース。ここからリリースされた『ガールズ&ボーイズ』、『パークライフ』が大ヒットし、この時期に英国で頻出したポップバンドを纏めて呼んだ総称、ブリットポップの代表格と呼ばれるようになる。更に翌年の1995年、ブリットポップ三部作の完結編と呼ばれる『ザ・グレート・エスケープ』をリリースし、シングルカットされた『カントリー・ハウス』が同日発売だったオアシスの『ロール・ウィズ・イット』と売り上げを競うという茶番に巻き込まれる。(マスメディアの煽りによるものであったというのが事実)。同時期アメリカでのツアーは不盛況に終わってしまい、バンドは一時脆弱な状態に陥る。
バンド全体が機能不全に陥ってやや疎遠状態にあったデーモンとグレアムが手紙で遣り取りしお互いの仲を深め合ったエピソードがありこれが基で『ブラー』復活のきっかけにもなる。
そして1997年、原点に戻るという意味でもあろうセルフタイトルの5th『ブラー』をリリース。これまでの捻くれたポップスの路線を排し、アイデンティティであるロンドンと相対する存在にしていたアメリカに接近する。この時期デーモン・アルバーンは『ペイヴメント』のスティーブン・マルクマスと友人であったらしく、ローファイやガレージなど、アメリカのインディーズに影響を受けた楽曲へと大きくハンドルを切った。またこのアルバムは予てからアメリカンインディーズに傾倒していたギターのグレアム・コクソンが最も「働いている」アルバムとしても知られている。全英1位を記録。中でも収録曲の「Song 2」は世界的に知られる曲になりブラーの代表作の中の一つにもなった。
1999年には6th『13(サーティーン)』をリリース。『テンダー』でゴスペルの形式をとるなど、更に実験性を増し、新たな土壌を開拓していった。この年、初の苗場開催となったフジロック・フェスティバルにて大トリを務めたが、近年ではほとんど演奏しない「パークライフ」等のブリットポップ全盛期の楽曲を多く含むベスト的なセットリストを披露した。また、この頃から個人活動が盛んになり、一時活動休止状態に入る。デーモンはゴリラズ(Golliraz)への参加やマリで現地の音楽に触れ、グレアム・コクソンはソロ・アルバムを作り、アレックス・ジェームスは他バンドに参加したり曲を提供したりしている。
2002年に新アルバムのレコーディングに入るものも4人とも個性的な音楽嗜好の為作業に行き詰まり、グレアムがバンドとの距離を置き始める。一方、新アルバムのプロデュースをファットボーイ・スリム(ノーマン・クック)に依頼し、グレアム抜きでマリでレコーディングが始まった。2003年初頭にグレアムが正式に脱退を表明し、前後して7th『シンクタンク』をリリース。マリでの経験から、原点音楽への傾倒を見せ、また同時に政治的色彩を色濃くしていくなど、更にそのスタイルを変化させていった。全英1位を記録。同年のサマーソニックではヘッドライナーで出演。
2003年12月、天文学に興味のあったアレックスとデイヴの提案でイギリスの火星探査機 ビーグル2にアルバム『13(サーティーン)』より『ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン』と言う楽曲を火星で流すというプロジェクトに挑んだが、残念ながらビーグル2からの返答はなかった。尚CGで作られたこのビーグル2を基にして作ったPVはDVD盤の『ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン』に収録されている。
2007年現在、脱退したグレアムの復帰に関して、アレックスやデイヴがコンタクトを取り、関係は修復されつつあるとされながらも、正式な復帰に関するアナウンスはされていない。