読み込み中...中川 秀直(なかがわ ひでなお、1944年2月2日 - )は日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。元自由民主党幹事長。岳父の中川俊思も衆議院議員を務めた。
財政再建に対しては、上げ潮派とされている。消費税を増税するよりも、まず、政府の無駄な出費を減らし、欧米並みの名目経済成長率で極力解消させる方針を自著などでかねがね主張し、これを「悪魔的手法」と評した与謝野馨を筆頭とする財政再建重視派と対立しているとも言われる。
自由民主党新聞販売懇話会会長代行であり、新聞の特殊指定、再販制度維持を主張。日本新聞販売協会の顧問でもあった。その分身でもある日販協政治連盟から多額の政治献金を受けている。新聞・出版業界の利害を代弁する活字文化議員連盟会長でもある。
古賀誠、二階俊博らとともに、人権擁護法案の積極推進派としても知られている。
外国人材交流推進議員連盟の会長として移民の大幅に受け入れに積極的であると言われる。日本の総人口の10%(約1000万人)を移民が占める『多民族共生国家』を50年がかりで作ると宣言している。日本を”移民国家”として定義し、「移民法」の制定や「移民庁」の設置を提言している。
小泉内閣時代の皇室典範改正問題では、「安定的な皇位継承」のために皇位の女系による継承を支持した。
2006年6月に、統一教会の集団結婚式(天宙平和連合祖国郷土還元日本大会)に祝電を送った事実が報道されたhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-25/2006062515_01_0.htmlが、。
2006年11月、「会社のためと称して会社にぶら下がっている正社員はたくさんいる。企業の生産性をいうとき、ホワイトカラーが最大の問題ではないか」と、企業の立場に立ち、ホワイトカラーのあり方に疑問を投げかける発言をした。
新聞記者出身らしく、自らのホームページhttp://www.nakagawahidenao.jp/のコラム連載を一日も欠かしたことがない。各紙社説や論説記事のほぼ全文を引用して叩き台とし、自らの所見を「中川の眼」と題し展開するスタイルが多い。
2007年2月18日に行なった宮城県仙台市での講演で、「首相が入室したときに起立せず、閣議が始まっても私語をやめないなど、忠誠心がない閣僚は官邸から去るべき」「閣僚や官僚には、首相に対する絶対的な忠誠心が必要だ」などと発言し、安倍内閣閣僚の緊張感が欠けていることを嘆いた。
中川の発言が報道されると、2月20日の毎週火曜日の定例閣議で、閣僚たちは内閣総理大臣が入室するやいなや一斉に起立して「おはようございます」とあいさつするなど、これまでと打って変わった態度をとるようになった。
当該発言に対し、厚生労働大臣柳沢伯夫からは「お互いに意見交換してるだけだ」、外務大臣麻生太郎からは「中川さんの言いたいことがよく分からない」、さらに、内閣総理大臣安倍晋三から「こういうのまでおしゃべりととらわれちゃうんだね」と反発を受けた。2月22日には派閥領袖からも批判が相次ぎ、津島雄二は「一部に忠誠心を持ってほしいという方がいるが、我々に大事なことは国家、国民に対して責任を果たすことに尽きる」との正論を表明し、高村正彦も、小泉純一郎が「『鈍感力』が大事だ」と発言したことを踏まえ「閣僚の一挙手一投足には相当鈍感であったほうがいい」と皮肉交じりの批判を行った。
2月22日、自由民主党本部にて安倍に面会した中川は「ちょっと言い過ぎました」と陳謝した。安倍も「(安倍内閣の閣僚は)ちゃんとやっていますからどうぞご心配なく」と返答した。だが「必要ならまた言います」との中川の言葉には安倍は沈黙を保ったままだった。3月23日、朝日ニュースターの番組にて、自由民主党参議院幹事長片山虎之助は、中川の忠誠心発言に触れ「いい過ぎだ。国務大臣の任免の権限は自由民主党幹事長ではなく(内閣)総理(大臣)の権限だ」と指摘した上で、「たかだか与党の幹事長がいうことではない。分をわきまえないと」と中川を厳しく指弾した。
閣僚の問題発言(「産む機械」「米軍沖縄基地」)などが目立つ中、内閣官房長官塩崎恭久を呼びつけて叱責した。党の幹事長が内閣官房長官を叱責するのは異例であり、産経新聞では「党高官低」を印象付けたと報じられた。
2007年9月12日、安倍晋三首相は突如辞任を発表。参議院選挙で歴史的敗北を喫した後もその職に留まり、政策遂行への意欲を示し続けていただけに、突然とも言うべき辞任宣言には様々な憶測が乱れ飛んだ。その決定的な理由とされたのが所謂「麻生クーデター説」である。つまり、インドなどアジア諸国外遊を終え帰国後発足した安倍改造内閣で安倍はまったく人事権を行使できず、幹事長に就任した麻生太郎と官房長官の地位に就いた与謝野馨が完全に人事の主導権を握り、最も信頼していた麻生に裏切られたと感じた安倍が絶望の極地に達し、辞任へとつながった。これがクーデター説と言われるもので、安倍首相辞任の同日に放送された「NEWS ZERO」で流布され始める。これにより、町村派内で麻生擁立論が急速にしぼむなど、安倍後任に当初絶対的有利とされていた麻生は一夜にして失速、翌日出馬表明した福田康夫元官房長官に為公会を除く全派閥幹部や小泉純一郎前首相が支持を表明し、福田総裁への流れが作られることになる。だが、このクーデター説は後にデマであることが明らかになる。『週刊新潮』、『週刊文春』両9月27日号はクーデター説は悪質なデマであり、この件をマスコミに流したのが中川であると断じている。また、「クーデター説」定着に一役かったとされる片山さつきとはかねてから近しい関係にあり、郵政選挙の際、中川は応援に出向いている。
2000年、写真週刊誌等に中川が愛人(とされる女性)と一緒に撮影した写真やビデオが掲載され、内閣官房長官辞任に追い込まれた。
2000年10月、東京放送、フジテレビジョン、テレビ東京など主要テレビ局は、中川が愛人(とされる女性)に捜査情報を漏らす会話の録音テープを公開した『ニュース23』東京放送系列、2000年10月26日放送分。。この録音テープの内容は、「警視庁保安課が内偵捜査している」ことを女性(捜査対象者本人)に漏洩しているやり取りであった。さらに、当該女性は覚せい剤取締法違反容疑で家宅捜索を受けた経験があった。
職務上知り得た秘密を捜査対象者に漏らす行為は国家公務員法違反、捜査妨害容疑に該当する可能性があり、野党から追及された。2000年10月26日の衆議院内閣委員会では仙谷由人や長妻昭らが中川に対し直接質問するなど、国会審議でも取り上げられた。
長妻が提示した録音テープのやり取りによれば、中川とされる人物が「ともかく、なにか、覚醒剤の関係で警察も動いているよ、多少」「第2号――平成12年10月26日(木曜日)」『第150回国会 内閣委員会 第2号(平成12年10月26日(木曜日))』衆議院、2000年10月26日。「警視庁の保安課が動いているから。覚醒剤の動きが確かにあるよ。本当に……」「いや、君の関係を内偵しとるちゅうんだよ」と女性に対して発言しており、情報の出所については中川とされる人物が「それは警察情報だよ」「そう、私の方の情報だ」と発言している。このテープのやり取りについて、長妻は「どう考えてもあなたの声なんですよ、言い回しも含めて」と主張したが、中川は「そういう会話をした覚えはございません。記憶もございません。そしてまた、そのような情報を得てそういうことを伝えるなどという、そんなルートもなければ、そういうこともございません」と答弁し明確に否定した。
また、中川の寝室内で撮影した愛人とされる女性の写真についても、国会で取り上げられた。その際の中川の答弁によれば、中川の運転手に対し見知らぬ女性が中川邸を見たいとねだったため、運転手が女性の要求に従い寝室に案内したことがあり、雑誌に公開された写真はそのときに撮影したものではないか、としている。中川の説明に対し、長妻は「常識で考えておかしい」「不可解な話」であると指摘している。
しかし、10月27日になると中川の主張は一転し、中川は録音テープの会話は「自分の声であったかもしれない」と表明し、一連の愛人騒動の責任をとる形で内閣官房長官辞任を発表した。
2006年7月、参議院議員世耕弘成、和歌山県知事木村良樹とともに競売入札妨害容疑で逮捕された容疑者からゴルフの接待を受けていたことが発覚。ゴルフにかかった費用は全て容疑者が負担した。
2007年2月22日、民主党代表代行菅直人により、広島県東広島市の中川の自宅や後援会事務所が財団法人所有の土地に建てられていることが発覚した。
財団法人は公益法人(税制上も優遇されている)であり、政治家の後援会や個人の自宅として私的使用することが問題視されている。また、菅は、財団法人設立の経緯から、中川の義父が亡くなった際に相続税を支払っているのか疑問を呈した。
中川自身は、財団法人所有地に自宅や後援会事務所を建設した事実は全面的に認めている。また、当該の土地は義父が1961年に財団法人に寄附し設立したと説明している。違法性については、家賃を財団法人に支払っており、中川は法的にも問題ないとしている。
消費者金融など貸金業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)から政治献金を受けていると日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は伝えたパーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日 。
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