内閣総理大臣 (ないかくそうりだいじん) は、日本の行政府である内閣の首長。国会議員の中から国会の議決で指名され(憲法第67条)、これに基いて、天皇によって任命される(憲法第6条)。
総理大臣または総理と略され、首相とも通称される。
歴史
憲法制定前
明治維新以降、日本の政治は五箇条の御誓文に示された「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」の方針を実現するために設けられた太政官制度によって行われてきた。しかし、奈良時代から続くこの政体は古色蒼然としていて新時代にはそぐわないものであったばかりか、制度面においても、天皇を輔弼するのは太政大臣・左大臣・右大臣であり、これによって「指揮」される参議と各省の卿には輔弼責任がない、また太政大臣が極度に多忙なかたわら左右大臣の職責は不明瞭という、迂遠かつ非効率なものであった。
1880年(明治13年)ごろから参議伊藤博文はこの太政官制の改革を試みはじめたが、これに対して保守派の右大臣岩倉具視が反発した。当時の伊藤には岩倉に対抗するだけの政治力がなかった(明治14年の政変による大隈重信追放が岩倉が宮中を動かして進められたために、伊藤も岩倉との衝突によって「第二の大隈」になる可能性があった。)。そのため、伊藤はいったんこの提案を引き下げて1882年(明治15年)3月から伊東巳代治、西園寺公望らとともに渡欧し、ドイツ、オーストリア、イギリスなどで憲法を含む立憲体制の調査に当たったが、この時から「文明諸国と同等の政府」の骨格が具体的に構築されていく。そして、岩倉の死後に帰国した伊藤はドイツで研究した立憲体制に則した政治体制構想の実施を進めようとした。
これに対して、岩倉と同じく保守派の太政大臣三條實美らは、右大臣に伊藤を充てるという人事改革案で応酬した。しかし伊藤はこれを丁重に断り、代わって黒田清隆を推したが、今度は酒乱の気がある黒田に保守派が尻込み、結局この「改革合戦」は引き分けに終わった。だが伊藤もこれにひるまずに提案したのが、内閣制度だった。「君主立憲政体なれば、君位君権は立法の上に居らざる可からずと云の意なり。故に、憲法を立て立法行政の両権を並立せしめ(立法議政府、行政宰相府)恰も人体にして意想と行為あるが如くならしめざる可からずと云」という伊藤の語録にあるように、憲法とセットにして近代的内閣制度をつきつけられては、保守派も反対の名目がない。伊藤の作戦勝ちであった。
1885年(明治18年)12月22日、太政官達第69号で (1) 太政大臣、左右大臣、参議及び各省卿の職制を廃し、新たに内閣総理大臣、並びに宮内、外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、司法、文部、農商務及び逓信の各大臣を置くこと、(2) 内閣総理大臣及び各大臣(宮内大臣を除く)をもって内閣を組織すること、が定められ、ここに内閣制度が始まった。このとき同時に定められた内閣職権によって、内閣総理大臣には「各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承テ大政ノ方向ヲ指示シ行政各部ヲ統督ス」(2条)と、形の上では強力な権限を与えられていた。
しかし1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が発布されると、「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(55条1項)との定めから、行政権は形式上各国務大臣の輔弼により天皇が自ら行うものとされ、内閣は各大臣の協議と意思統一のための組織体と位置付けられた。これを受けて、同年12月24日に公布された、内閣官制により、「内閣総理大臣ハ各大臣ノ首班トシテ機務ヲ奏宣シ旨ヲ承ケテ行政各部ノ統一ヲ保持ス」(2条)と、その権限は弱められ、その結果「首班」とは「同輩中の首席(ラテン語:PRIMUS INTER PARES)」を意味するものと解釈されることになった。
1946年(昭和21年)11月3日に公布された日本国憲法には、「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する」(66条1項)とあり、これにともない翌1947年(昭和22年)1月16日に施行された内閣法では、「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する」(第6条)など、その権限は大幅に強化された。これらの改革は、旧憲法下における内閣総理大臣の権限が極めて弱かったために軍部の独走を許したことを反省したものである。
旧憲法下の内閣総理大臣は、それぞれが天皇に対して輔弼の責任を負う各国務大臣の「首班」という位置付けでしかなかった。したがって、いったん閣内に意見の不一致が起こると、内閣総理大臣にできることといえば反対派を説得することくらいで、これが失敗すれば内閣総辞職するしかなかったのである。これを利用したのが陸軍だった。「陸海大臣に任じられるものは現役の大将中将に限る」という軍部大臣現役武官制をテコに、内閣が軍部の意に沿わない場合、陸軍大臣は単独で天皇に辞表を提出して辞めてしまい、かつ軍は後任を推薦しないのである。陸軍大臣を欠いては内閣は存続し得ない。
新憲法下の内閣総理大臣は、閣内に意見の不一致が起こった場合は、反対派に辞職を迫るか罷免して自らの意見を通すことができる。また何らかの理由で大臣が突然辞職しても、内閣総理大臣はその後任を任意に任命することができる。この顕著な例が解散権である。憲法上、衆議院の解散は内閣の助言と承認により天皇が行うことになっているが(7条3号)、これはつまり「解散権は内閣に属す」ということであり、「閣議決定なしには解散はできない」ということである。しかし一般には「解散権は内閣総理大臣の専権」だと解釈されている。これは解散に反対して閣議書への署名を拒否する大臣がいたとしても、内閣総理大臣はその大臣を罷免した上で、自らが兼務して閣議書へ署名することができるからである。仮に全閣僚が反対したとしても、内閣総理大臣はすべての大臣を罷免・兼務してでも解散を閣議決定できる(一人内閣)。したがって、内閣総理大臣が解散を行うと決めた場合、これを阻止する手立ては法令上はないのである。このように、大臣に対する任意の罷免権の効果は極めて大きい。
職務
日本国憲法と現行の内閣法が規定する内閣総理大臣の地位は次の通り。
地位
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行政権は、内閣に属する(憲法65条)。
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内閣は、法律 (内閣法) の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する(憲法66条1項)。
内閣総理大臣は「行政府の首長」と位置付けられている。
資格
内閣総理大臣に指名される時の資格は、文民であり、国会議員であること、この2点のみである。ただし実際には、衆議院において最大勢力を占める政党の党首、又は連立を組む複数の党のいずれかの党首がその責に任じる。また国会議員として首班指名を受け続ける限り、内閣総理大臣の再選に制限はない(ただし、実際には内閣総理大臣の所属する党の党首としての任期制限が内閣総理大臣の任期制限となっている)。定年も存在しないが、この点でも与党内部の国会議員の定年制が一つの歯止めとなる。
内閣総理大臣就任後に国会議員でなくなった場合(議員辞職をした場合、除名された場合、落選した場合、参議院議員の首相が参議院の改選選挙において立候補しない場合)の内閣総理大臣の地位について法律では明記されていない。しかし、法理論上は内閣総理大臣の資格は国会議員とされている。また内閣の見解として、内閣総理大臣が国会議員でなくなった場合は「内閣総理大臣が欠けたとき」に該当し、内閣総辞職しなければならないと解釈している。
代理
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内閣総理大臣が欠けたとき、または衆議院総選挙の後に初めて国会の召集があったときは、内閣は、総辞職しなければならない(憲法70条)。
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旧内閣は、次の内閣総理大臣が任命されるまでは引き続きその職務を行う(憲法71条)。
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内閣総理大臣に事故のあるとき、または内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が臨時に内閣総理大臣の職務を行う(内閣法9条)。
内閣総理大臣が外遊などの一時的な理由で国内で職務を行えない場合にも、この内閣法第9条に基づいて国務大臣の1人が内閣総理大臣臨時代理としてその職務を行う。以前は組閣時に内閣総理大臣臨時代理予定者に指名された国務大臣を副総理と呼ぶ慣行があったが、2000年(平成12年)4月以降、組閣時に内閣総理大臣臨時代理の就任予定者5名を指定して官報に掲載するように方針が改められた。これにより、原則として内閣官房長官たる国務大臣が第1順位となった。
「内閣総理大臣が欠けたとき」とは、「内閣総理大臣が死亡又は失格などの理由によって欠けたとき」と内閣では解釈している。
主任の大臣
内閣総理大臣は内閣府の主任の大臣であるが、自らを助けるものとして内閣府に特命担当大臣を置くことができる。内閣総理大臣は、また内閣官房と内閣法制局の主任の大臣でもあるが、こちらは内閣官房長官と内閣法制局長官が事務を統括している。
権限
日本国憲法及びその他の法令が規定する内閣総理大臣の権限は次のとおり。
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他の国務大臣を任命し、任意に罷免すること(憲法68条)。
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在任中の国務大臣に対する訴追に同意すること(憲法75条)。
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内閣を代表して議案を国会に提出すること(憲法72条)。
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内閣を代表して一般国務及び外交関係について、国会に報告すること(憲法72条)。
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内閣を代表して行政各部を指揮監督すること(憲法72条)。
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法律及び政令への連署をすること(憲法74条、権限であると同時に義務でもある)。
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閣議を主宰すること(内閣法4条2項)。
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内閣総理大臣及び主任の国務大臣の代理を指定すること(内閣法9条、10条)。
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行政各部の処分又は命令を中止せしめ、内閣の処置を待つことができる(内閣法7条、「中止権」)。
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緊急事態の布告を発すること(警察法71条)。
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布告時における警察の統制(警察法72条)。
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自衛隊の最高指揮監督権を有する(自衛隊法7条)。
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武力攻撃事態又はその発生が切迫していると認められるに至った事態に際して、自衛隊の全部又は一部に出動を命ずる(自衛隊法76条、「防衛出動」)。
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間接侵略又はその他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては治安を維持することができないと認められる場合には、自衛隊の全部又は一部に出動を命ずる(自衛隊法78条、「命令による治安出動」)。
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防衛出動又は治安出動による自衛隊の全部又は一部に対する出動命令があった場合において、特別の必要があると認めるときは、海上保安庁の全部又は一部をその統制下に入れること(自衛隊法80条)。
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武力攻撃事態等に至り、対処基本方針が定められたときは、内閣に設置される「武力攻撃事態対策本部」の対策本部長(内閣総理大臣をもって充てる場合)として、所要の権限を行う(武力攻撃事態平和確保法14条)。
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上記14条の総合調整に基づく所要の対処措置が実施されない場合、内閣総理大臣として地方公共団体の長等に対し、対処措置を実施すべきことを指示すること(武力攻撃事態平和確保法15条)。
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気象庁長官から地震予知情報の報告を受けた場合において、地震防災応急対策を実施する緊急の必要があると認めるときは、閣議にかけて、地震災害に関する警戒宣言を発する(大規模地震対策特別措置法9条)。
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裁判所による行政処分等の執行停止に対して異議を申し述べる(行政事件訴訟法27条)。
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イギリス:首相(Prime Minister)
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フランス:首相(Premier ministre。英:Prime Minister)
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ドイツ:連邦首相(Bundeskanzler, -kanzlerin。英:Federal Chancellor)
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イタリア:閣僚評議会議長(Presidente del Consiglio dei Ministri。英:Presidents of the Council of Ministers)
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カナダ:首相(Prime Minister, Premier ministre)
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ロシア:連邦政府議長(Председатель Правительства Российской Федерации。英:Chairman of the Government)
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中国:国務院総理(国?院?理。英:Premier of the State Council)
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韓国:国務総理(????。英:Prime Minister)
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北朝鮮:内閣総理(英:Prime Minister)
また、
行政府である内閣府の長としての、各種許認可権を持っている。特に、内閣府の外局の一つである
金融庁に関連する許認可権が多い。(
銀行法や
貸金業法、
金融商品取引法などが挙げられるが、具体的な法律名は多岐に渡るため割愛。)
また1991年までは、都道府県知事の罷免権も認められていた。
語源と呼称
呼称
内閣制度の設立にあたって、英国式の「プライムミニスター」の訳語をどうするかが問題となった。内閣制度が発足する前から伊藤や彼の側近だった伊東巳代治や金子堅太郎などは日記や備忘録などに「首相」「宰相」という語を用いていた。しかし保守派の太政大臣・三條實美を納得させるためには、日本の指導者の呼称は大化の改新から連綿と続く「〜大臣」である必要があった。
内閣制度発足当時から内閣総理大臣のことは一般に「首相」と呼ばれた。それにならって「外務大臣」は「外相」、「大蔵大臣」は「蔵相」などと他の「大臣」も「相」と呼ばれるようになり、「枢密院議長」までもが「枢相」と呼ばれた。これはかつて「太政大臣」を「相国」、「左大臣」を「左府」、「内大臣」を「内府」などと縮めたのと似ている。
語源
首相の「相」は、かつて中国で皇帝の下で政務を司った官職の「宰相」や「丞相」の「相」が語源。日本でも平安時代以降には太政大臣を「相国」または「大相国」と呼んでいたことがある。後に宰相が複数になると、その首席のものを「首相」または「首揆」と呼ぶこともあった。
表記
テレビのニュース番組の内閣総理大臣の呼称のテロップは、各社ごとに表記が異なる。在京キー局においては、NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビでは「首相」と表記し、テレビ朝日、テレビ東京では「総理」または「総理大臣」と表記している。新聞のラテ欄の表記もそのようになっている。
ラジオのニュース番組では、アナウンサーの発音の容易さや聴取者の聞き取りやすさ等を考慮し、「首相」ではなく「総理」、「総理大臣」と表現することが多い。
新聞においては、内閣総理大臣を「首相」と略して表記することが多い。全国紙5紙では読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞の5紙全てで「首相」との表記が日常的に使用されている。ブロック紙3紙も、北海道新聞、中日新聞(東京新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井含む)、西日本新聞の3紙全てで、「首相」との表記が全国紙同様に使用されている。内閣総理大臣の6文字より首相の2文字を用いたほうが、より伝えるべき多くの記事を載せるスペースが確保できるためである。
日本以外の「内閣総理大臣」
日本以外においても、議院内閣制や半大統領制の政治形態を採る国を中心に、首相の役職が置かれている。しかし、「内閣総理大臣」は日本固有の官職名であり、外国の首相に対しては原則として使用しないこととなっている。
たとえば、イギリスの首相(Prime Minister)も、ドイツの連邦首相(Bundeskanzler, -kanzlerin。英:Federal Chancellor)も、イタリアの閣僚評議会議長(Presidente del Consiglio dei Ministri。英:Presidents of the Council of Ministers)も、ロシアの連邦政府議長(Председатель Правительства Российской Федерации。英:Chairman of the Government)も、国ごとに正式名称は異なるが一律に「首相」と呼ぶことが多い。
また、漢字文化圏の国においては、首相の職名に「総理」の語を含む例もある。たとえば中国の国務院総理(国?院?理。英:Premier of the State Council)などが挙げられるが、その場合も一律に「首相」と呼んでいる。
なお、かつて韓国と中国にも「内閣総理大臣」という名称の役職が存在した。
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主要8ヶ国における首相の例
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「総理」の語を含む首相の例
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「内閣総理大臣」と呼称された首相の例
逸話など
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三條實美の処遇
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内閣制度移行に際し、誰もの関心は誰が初代総理になるかであった。衆目の一致するところは、太政大臣として名目上ながらも政府のトップに立っていた三條實美と、大久保利通の死後事実上の宰相として明治政府を切り回し内閣制度を作り上げた伊藤博文だった。しかし三條は、藤原北家閑院流の嫡流で清華家の一つ三條家の生まれという高貴な身分、公爵である。一方伊藤といえば、貧農の出で武士になったのも維新の直前という低い身分の出身、お手盛りで伯爵になってはいるものの、その差は歴然としていた。太政大臣に代わる初代内閣総理大臣を決める宮中での会議では、誰もが口をつぐんでいる中、伊藤の盟友であった井上馨は、「これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくてはだめだ」と口火を切り、これに山縣有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成、これには三條を支持する保守派の参議も返す言葉がなく、あっさりこれで決まってしまった。初代総理を決めたのは英語力だったのである。
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伊藤の内閣総理大臣就任に伴い、三條は内大臣として宮中に回り、天皇の側近として明治天皇を「常侍輔弼」することになったが、そもそも内大臣府は三條処遇のために創られた名誉職で、その実は二階に上げてはしごを外したようなものだった。これに対して、かつて三條に仕えていたことがある尾崎三良(元老院議官)は、三條に対して強く抗議すべきであると進言したが、三條は「国家将来のためのことであり、私自身の問題ではない」として、尾崎に対して軽挙を戒めている(『尾崎三良自叙略伝』)。また、さすがの明治天皇も気の毒に思ったのか、1889年(明治22年)10月25日に第2代内閣総理大臣の黒田清隆が条約改正をめぐる政局混乱の責任を取って内閣総辞職すると、天皇は黒田の辞表をのみ受理して他はすべて却下し、三條に内閣総理大臣を臨時兼任させた。臨時「代理」ではなく、「兼任」であり、しかも天皇が次の山縣有朋に組閣の大命を下したのはそれから2ヵ月も経ってからのことだったので、この2ヵ月間は一つの内閣が存在したものとして「三條暫定内閣」と呼ばれる。ただし、それでも三條實美は歴代内閣総理大臣には数えないことになっている。
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選挙
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現職内閣総理大臣が選挙で落選した例はないが、内閣総理大臣経験者が選挙で落選した例として片山哲(1949年・1963年)と石橋湛山(1963年)の例がある。
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学歴
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歴代の内閣総理大臣には東京帝国大学出身の者が多いが、新制大学移行後の東京大学出身者はまだいない。
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年齢
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内閣総理大臣は国会議員でなければならない。法理論上、衆議院議員の被選挙権を得る25歳から就任することができる。法的には、衆参いずれの議院に属するかを問わず、国会議員であれば誰でも立候補が可能であるが、政治経験等が重視されることが多く、1年生議員が就任する確率は極めて少ない(細川護煕が衆議院当選1回で首相に就任しているが、就任以前に参議院議員・熊本県知事の経験があった)。
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日本の歴代総理大臣の中で最年少記録を保持しているのは、1885年の初代伊藤博文(当時44歳)で現在も破られていない。歴代最年長記録は1945年の鈴木貫太郎(当時77歳)である。戦後最年少としては、2006年の安倍晋三(当時51歳)である。
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栄典
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内閣総理大臣経験者に対する栄典については、在任期間に応じ、位階は従一位、正二位又は従二位、勲等勲章は大勲位菊花章頸飾、大勲位菊花大綬章又は桐花大綬章(旧・勲一等旭日桐花大綬章)のいずれかに叙される。ただし、辞退・不祥事等による見送り事例は除かれる。
各種記録
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在任
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最長在任数記録: 桂太郎
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2886日
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: 第一次:1901年6月2日〜1906年1月7日
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第一次:1901年6月2日〜1906年1月7日
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: 第二次:1908年7月14日〜1911年8月30日
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第二次:1908年7月14日〜1911年8月30日
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: 第三次:1912年12月21日〜1913年2月20日
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第三次:1912年12月21日〜1913年2月20日
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最長連続在任数記録: 佐藤榮作
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2798日
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: 第一次〜三次:1964年11月9日〜1972年7月7日
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第一次〜三次:1964年11月9日〜1972年7月7日
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最短在任数記録: 東久邇宮稔彦王
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54日
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: 1945年8月17日〜10月9日
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1945年8月17日〜10月9日
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最年長在任記録: 大隈重信
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78歳6ヵ月
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: 1916年10月9日の退任時。
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1916年10月9日の退任時。
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最年少在任記録: 伊藤博文
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44歳3ヵ月
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: 1885年12月22日の就任時。
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1885年12月22日の就任時。
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最年長就任記録:鈴木貫太郎
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77歳
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: 1945年4月7日の就任時。
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1945年4月7日の就任時。
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最多回数任命(指名)記録: 吉田茂
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5回
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: 1回目:1946年5月22日
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1回目:1946年5月22日
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: 2回目:1948年10月15日
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2回目:1948年10月15日
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: 3回目:1949年2月16日
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3回目:1949年2月16日
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: 4回目:1952年10月30日
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4回目:1952年10月30日
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: 5回目:1953年5月21日
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5回目:1953年5月21日
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病気
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病気により在任中死去した内閣総理大臣: 加藤友三郎、加藤高明、大平正芳
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加藤友三郎は大腸癌を患っていた。青山の自邸で家族に看取られ静かに死去。
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加藤高明は心臓麻痺による急性心不全。かねてより慢性腎臓炎と心臓疾患があったが、議会で突然病状が悪化し約六時間に後死亡。
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大平は心筋梗塞による急性心不全。選挙運動中に過労と不整脈で倒れ虎の門病院入院。十二日後心筋梗塞を起こし死亡。
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病気により執務不能となり退任、ほどなく死去した内閣総理大臣: 小渕恵三
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脳梗塞。首相官邸で発症、順天堂医院に緊急入院するが昏睡状態となり退任。意識が戻らないまま約一ヵ月半後に死亡。
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病気により退陣した内閣総理大臣: 石橋湛山、池田勇人、安倍晋三
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石橋は急性肺炎。風邪をこじらせ肺炎を起こした上、脳梗塞の兆候がある事も判明。「1ヵ月静養が必要」との診断を受けて即日退陣を表明。その後病状は回復し余生を全う。
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池田は喉頭癌。治療のため国立ガンセンターに入院したが、約1ヵ月半後に退陣を表明。九ヵ月後東大病院で病部摘出手術を受けたが、術後まもなく肺炎により死亡。
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安倍は胃腸機能の低下による衰弱。元から胃腸に持病を抱えていたとされるが、参議院選挙の惨敗や、相次ぐ閣僚の不祥事への批判による重圧、首相としての激務がたたった。辞意表明の後、慶應義塾大学病院に緊急入院したが、首相臨時代理は置かなかった。後継総裁が選出された後、辞任に至る経緯についての記者会見を行い退陣。
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身体障害者の内閣総理大臣: 大隈重信
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大隈は首相就任前の黒田内閣外相時代に爆弾テロで片足を失った。その後2度首相を務める。
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テロ
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クーデター
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クーデターに倒れた内閣総理大臣経験者: 高橋是清、齋藤實
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高橋は赤坂の自邸に乱入した武装青年将校により銃撃される。銃弾3発を被弾したうえ軍刀で刺し抜かれ即死。当時高橋は大蔵大臣(二・二六事件)
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斎藤は四谷の自邸に乱入した武装青年将校により銃撃される。機関銃弾を40数発浴び即死。当時齋藤は内大臣(二・二六事件)
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存命にもかかわらず新聞に死亡記事が出た内閣総理大臣: 岡田啓介
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首相官邸に乱入した武装青年将校により岡田と容貌がよく似ていた義弟で秘書の松尾伝蔵が銃撃される。松尾を岡田と誤認した青年将校が総理死亡を発表(二・二六事件)
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戦争責任
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疑獄
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経歴
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学歴
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出自
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閨閥
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栄誉
辞令の書式
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辞令は縦書きで、発令年月日は和暦、数字は漢数字での記載となる。漢数字には壱・拾などの大字は用いられず、また、十の位は簡略化せずに記載される (例:「一七年」でなく「十七年」、「二一日」でなく「二十一日」)。
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国会の指名奏上
国会は衆議院議員○○君を
内閣総理大臣に指名いたし
ました。
よってここに奏上いたしま
す。
平成○年○月○日
衆議院議長 (自署)
衆議院事務総長 (自署)
日本国憲法第六条第一項に
依り○○を内閣総理大臣に
任命するについて
右謹んで裁可を仰ぎま
す。
平成○年○月○日
内閣総理大臣 氏 名
裁可を表すため、この書面に天皇はみずから「可」の文字の印章を押印する。
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任命の辞令 (官記) (※「任命する」の後に「。」は付されない)
氏 名 (新内閣総理大臣)
内閣総理大臣に任命する
御名御璽
平成○年○月○日
内閣総理大臣 (自署) (前内閣総理大臣)
関連項目
外部リンク