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吉田栄作

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
吉田 栄作(よしだ えいさく、1969年1月3日 - )は、神奈川県秦野市出身の俳優歌手。所属事務所ワタナベエンターテインメント矢沢永吉浜田省吾を尊敬している。

妻はモデルの平子理沙。182cm(実際の身長は184cmと『ぶっちゃけ!99』、また『2時っチャオ!』でも発言)、72kg。

人物

1988年に「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」でのグランプリ獲得がきっかけとなり、映画『ガラスの中の少女』でスクリーン・デビュー。阿部寛風間トオルらと共にモデルやモデルオーディション上がりという、新しいタイプのイケメン俳優のハシリだった。当時のトレンディドラマにも多数主演して人気を博し、1991年、当時世界的に流行し始めた「クライムサスペンス」を思わす『もう誰も愛さない』の主演は大きな反響を呼んだ。吉田らが俳優としても成功を収めたことで、モデル上がりは顔だけで中身が無い、と言われる事なく、多くの後続が続いた。なお現在隆盛を極めているモデル上がりの女優、女性タレントはこの頃はまだ存在しなかった。吉田らの成功は、演技力は別として男女タレントのルックスを大きく向上させたといえる。

1989年に『どうにかなるさ〜Chasing My Dream』で歌手としてもデビュー。1990年1991年紅白歌合戦出場。(1990年は『心の旅』、1991年は『もしも君じゃなきゃ』を歌唱)

1990年代は加勢大周織田裕二と3人で「トレンディ御三家」「平成御三家」と呼ばれ、吉田は長男格であった。しかし、あまりにも自尊心の高さをアピールする芸風が一時一人歩きし、1995年に芸能界を一時期休業。役者修業のため渡米。この時期にモデルの平子理沙と結婚した事にかこつけて「ヒモ」と揶揄する芸能マスコミが多かった。

1998年に帰国後、ドラマ『流通戦争』(NHK系)で国内での俳優業に復帰。その後、『マネーの虎』(NTV)の司会者として人気を博する。以来、精力的にテレビドラマや新国立劇場での舞台演劇等に出演し、優れた演技で高い評価を得る。

逸話

  • 若い時はツッパリで有名。ナベプロに入っても先輩中山秀征と口もきかなかったが、たまたま飛行機で一緒になり、矢沢永吉が好きという話で意気投合。しかしどっちが好きか、で言い合いになりお互い譲らなかったが、「これでもか」と吉田が矢沢永吉著「成りあがり」をポケットから取り出した。なおアメリカに俳優の修行をしにいくときに「俺は絶対ジャンボになってやる」と言った事がある。
  • 「ビッグになる」と秦野から上京したが、東京は近すぎたので、その先江東区あたりで部屋を探した。ところが思ったより家賃が高かったので先の方まで行き、結局江戸川区平井に住むことにした。東京の端っこの方で、サクセスストーリー第1章には申し分無いと感じたらしい。
  • 笑っていいとも』初出演の時は尊敬するアーティストである浜田省吾の話を披露した。一番好きな曲である「MONEY」の一節「最高の女とベッドでドン・ペリニヨン(Dom Pérignon)」の箇所が特に好きで、今でこそ最高級シャンパンであるドンペリと言えばよく知られているが、当時はあまり知られていなかったため、ドン・ペリニヨンを「女性といやらしいことをする」という意味だと思い込み、ビッグになって金を掴んだら「女とドン・ペリニヨンする」のが目標だったらしい。
  • デビューからまもなく大ブレイクした年にベストジーニスト賞を受賞。感想を求められ、「受賞出来ると思ってました。来年は加勢大周くんにあげてください」とコメント。とにかく強気で自尊心が強く、ドッキリ番組(自転車でトレーニング中に?無免許?で検挙されるという仕掛け)で馬鹿にされたことに怒り、テレビ番組と分かった後もセットを蹴飛ばし、ニコリともせず走り去ったことがある。
  • 一時期の吉田栄作の有名度を示すエピソードがある。「とんねるずのオールナイトニッポン」というラジオ番組に「どうしてお前はそんなに熱いんだ!」というコーナーがあった。リスナーが吉田の本当の発言やリスナーが創作した吉田の発言を評論するもので、最後は「おい、栄作〜(命令形)」で終わる葉書が多く、最後に吉田を誹謗中傷するものが多かった。現在でも押尾学をネタ元に変えた「お塩語録」という類似したネット上を中心としたジョークがある。
  • 芸能活動一時休止以前は、「俺はアーティスト」と自らを総合的な芸術家と考えているコメントが多かった。
  • 帰国後は、実力派の俳優として地に足の着いた活動を続けており、『亡国のイージス』などでは演技力を評価する声も多い。
  • マネーの虎』ではナレーションで毎回のように「無類の○○好き」と呼ばれていたが、これは明らかに事実でないものも多く、一種の「お約束」のギャグである。

歌手活動

シングル

  • 『どうにかなるさ〜Chasing My Dream』(1989年9月6日)
  • 『抱きしめたい』(1989年12月1日)
  • 『心の旅』(1990年5月9日、チューリップのカバー曲)
  • 『プラトニック〜あと1センチ傘が寄ったら』(1990年8月29日、有賀啓雄のカバー曲)
  • 『導火線』(1990年11月28日)
  • 『V-ビクトリー-』(1991年2月20日)
  • 『僕は何かを失いそうだ』(1991年8月21日、「代打教師 秋葉、真剣です!」主題歌)
  • 『もしも君じゃなきゃ』(1991年11月1日、「愛さずにいられない」主題歌)
  • 『いつだって今が始まり』(1992年4月18日)
  • 『ONE WAY TRIP』(1992年9月2日)
  • 『陽の当たる場所へ』(1993年4月1日)
  • 『おまえがいなけりゃ』(1993年5月12日)
  • 『BORO BORO』(1993年7月25日)
  • 『今を抱きしめて』(NOA(仙道敦子とのデュオ)名義、1993年11月3日、「徹底的に愛は…」主題歌)
  • 『MAY』(1994年3月24日)
  • 『Bluebird』(1994年7月25日)
  • 『丘の上の鐘』(1994年11月16日)
  • 『真夏の路上』(1995年6月25日)
  • 『MURPHY'S LAW』(吉田栄作 with B-reix名義、1995年9月25日)

アルバム

出演

ドラマ

NHK総合
日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京

映画

バラエティ 

吹替作品 

舞台

外部データ

  • 吉田栄作のclub(ワタナベエンターテインメントによるページ。本人のブログ)
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