読み込み中...強行採決(きょうこうさいけつ)とは、議会の審議において採決に賛成する勢力が、採決に反対する勢力がいるにもかかわらず採決を行うことをいう。一般には、与党などの多数派が野党の了承なく採決することを指すことになる。
しかし、それでも与野党が合意に達しない場合は、与党が単独で採決日を決めて採決を行うべきか否かが与党内で検討される。
委員会審議における強行採決は、通常、与党の若手議員が質疑打ち切りの動議を審議途中に挙手して口頭で提案し、それを可決する本会議の場合、打ち切り動議には議員20人以上による提案が必要となる。か、委員長の職権で質疑終局の宣告をして採決に移る。これに対して、野党が議案の採決を阻止を企図する場合もある。物理的な議事妨害としては、委員長の入室を妨害する、委員長のマイクを奪う、などが挙げられる。このほか、牛タン戦術や審議拒否などの手法が採られることもある。本会議の場合、議長の本会議場入場を阻止する、牛歩戦術を行う、内閣不信任決議案・議長不信任決議案等を提出する、などの手法が挙げられる。
委員長が与党議員であると比較的円滑に採決が行われるが、野党議員の場合は一般にそのままでは強行採決は不可能となる。このため、野党が委員長ポストを占める「逆転委員会」に付託される内閣提出法案は、野党に宥和的な内容となる傾向があるたとえば増山(2003)が1970年代の保革伯仲期の逆転委員会について分析している。 。また、逆転委員会で法案審議が滞った場合、本会議が中間報告を求め、直ちに本会議での審議に移行して採決させるという手法が採られることもある。
与党による採決強行は、議事運営に関する慣例の反故であるため、その議事運営方法は民主主義に反するなどとして野党やマスメディアが批判する。近年では通信傍受法(盗聴法)案(1999年)、イラク特措法案(2003年)、国民年金法改定案(2004年)の採決などで見られた。また、与党が一方的に審議を打ち切ることから、「与党による審議拒否」とのレトリックが用いられることもある。
一方、野党が採決で議題を否決しようとせず最初から採決そのものを否定するのは、議案を可決することによる問題点を審議過程で野党が明らかにしても、殆どの場合、与党の党議拘束に基づく数の論理を背景に議案が可決されるためであるよって、与党議員の造反が見込める場合は、野党が強行採決を批判せずに本会議の採決で否決しようとすることもある。数少ない具体例の1つとしては、いわゆる郵政国会における郵政民営化法案の採決(2005年)が挙げられる。。このため、与党議員への造反工作を殆ど行わずに議事妨害に終始していることから、野党の対応への批判もある。
いずれにせよ、与野党ともどこまで強硬な姿勢を維持できるかは、世論の動向に拠りケースバイケースである。
が挙げられる。このような事情から、円滑に法案を成立させるためには、与党が野党の法案修正協議に応じるモチヅキは、このような国会審議の制度的制約が野党のヴィスコシティ(viscosity、粘着性)を高めているため、自民党の長期政権下にありながら法案修正や廃案が比較的多い、と論じた。か、与党が強行採決に踏み切ることとなる。
これに対して、多くの西側民主主義国の議会では、などにより、強行採決があまり行われない。なぜなら、野党にとっては廃案を目的とした採決の引き延ばしの意味が薄く、また、与党にとっては議会制度を理由とした早期採決への誘因が乏しい上に、むしろ与党議員の造反による政権へのダメージを考慮するためである。
日本の強行採決は、多くの場合は事前に与党側から野党側やマスメディアへ通告されることが慣例となっており、抜き打ちではないため、純粋な意味での強行採決ではなく、議員のパフォーマンスであるとの指摘もある。その意味で、長らく政権交代のない55年体制、国対政治で醸成された日本的慣習・慣例であるとも言える。ただし強行採決そのものは、戦前の帝国議会から存在した。強行採決の基本的な流れは、戦前から完成されていたと言える。
与党が強行採決する際は、国会対策委員長同士や会談や委員会の理事懇談会といった非公式な場で、野党側に対して「○時○分に採決に踏み切る。」あるいは「○○議員の質疑終了後、質疑を終局する。」などと事前通告されている。このため、採決間近になると、与野党の議員が集結の準備を整えており、マスコミ各社のカメラもスタンバイを終えている。採決する時間も、NHKの生中継がしやすい時間帯を選んで設定されている。一方、一部の野党が出席して強行採決に踏み切る予定が、段取りを間違え全野党議員が欠席のまま採決してしまったため、数時間後に改めて野党議員の出席の上で強行採決をやり直した例もある。また、与野党対立を激化させないため、委員会で強行採決を行ったあと、当該委員会の委員長が引責辞任することもある。
このように、与野党が対立する法案にあって、どうしても妥協点が見出せない場合、ギリギリの落とし所として、強行採決が選択される。与党は法案を可決させるという「実」を取り、野党側は「体を張ってこの法案を阻止しようとした。」という姿を国民にアピールする「名」を取る。その意味では、与党が野党の顔を立てたものとも言える。
戦前では、1929年に行われた治安維持法改正案の審議がその一例である。本会議で山本宣治が反対討論を行おうとしたところ、与党立憲政友会が審議打ち切りの動議を提出し、山本は討論できないまま強行採決された。
最近の例では、1999年に行われた通信傍受法案の採決では、野党内でも本気で廃案を目指す議員と、従来通り国対などで打ち合わせを済ませた議員で対立があったと伝えられた。最後まで本気でやり合うか、落としどころを見つけて適当に退くかといった軋轢が表面化したのは、55年体制終結に伴う変化という見方がある。また、前者の議員には打ち合わせの内容が知らされないケースがままあるようである。
2006年の改定教育基本法採決でも、委員会での強行採決の後、衆議院での内閣不信任決議案提出に加え、参議院でも安倍晋三内閣総理大臣問責決議案提出を日本共産党、社民、国民新は要求したが、民主が問責決議提出を阻止し、ほとんど無抵抗のまま可決を許している。この時も、共産、社民など本気で廃案を狙う議員には、取引の内容は知らされなかったようである。
2007年の第166回国会では、とりわけ強行採決が多かった。与党が5月30日の厚生労働委員会での年金時効特例法案、社会保険庁解体・民営化法案など、年金記録問題を中心に、本会議や委員会を含め17回も強行採決を連発した。度重なる強行採決に反感を覚えるマスコミ・国民が多く、第21回参議院議員通常選挙での与党大敗の一因となった。
強行採決は与党しか行わないものと思われがちだが、政権基盤が不安定で、委員会において政権与党の提出議題への否決派が多数を占めている場合や参議院で野党が過半数を占めているねじれ国会の場合は、野党が与党の了承を得ずに審議を打ち切る形で強行採決を行う場合がある。
政権基盤が不安定な例として、1948年2月の片山内閣の予算案否決がある。社会党右派を首班とした片山内閣は政権が進むにつれて次第に社会党右派左派の意見対立などによって政権内部の基盤が不安定になっていた。そして、1948年2月5日、予算案における与党調整が整わないうちに、衆議院予算委員会では24人の与党議員が席を外している隙を野党が狙って、与党でありながら社会党左派であり首相と対立していた鈴木茂三郎予算委員長の議事の元で24対1による野党議員の過半数で予算案が否決された。片山内閣はこの予算案否決をきっかけに総辞職となった。
参議院で野党が過半数を占めて強行採決を行った例として、2007年11月2日の参議院外交防衛委員会において北澤俊美委員長の議事による守屋武昌前防衛事務次官の証人喚問決議、同年11月27日の参議院財政金融委員会における峰崎直樹委員長の議事による守屋武昌前防衛事務次官と額賀福志郎財務大臣の証人喚問決議がある。証人喚問決議は1955年以降全会一致が慣例だったが、参議院では野党民主党によって破られた。しかし、与党の反発、後者は、全会一致を求める共産、国民新の意見もあり、最終的に喚問は与党の意向に沿う形となった(前者は延期して喚問され、後者は無期限延期となった)。
2008年6月、参議院で後期高齢者医療制度廃止法案が与党の合意なく、参議院厚生労働委員会で岩本司委員長の議事によって採決で可決され、本会議でも可決された。
マスコミは与党の強行採決を批判的スタンスで報道することが多いが、野党の強行採決を批判する報道はほとんどない。
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