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村上世彰

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

村上 世彰(むらかみ・よしあき、1959年8月11日 - )は、大阪府大阪市出身の投資家

シンガポールに移住したが保釈中のため、現在は六本木ヒルズの住人。渋谷区松涛に時価11億円ともいわれる豪邸を建設中で、村上がその近隣への挨拶も既に済ませていたことがニュースで報じられた。

人物

M&Aコンサルティングを核とする村上ファンドを創設した人物。現金や遊休優良資産を抱えていながら有効活用していない会社株式を取得し、日本の株主の(もしくは一般化された日本人像として)ほとんどが消極的なのに対し、資産を有効活用し企業価値を上げるよう提案などを行い、株主を軽視する経営者に対して株主総会などで経営陣を批判・叱咤することなどから、「もの言う株主」として注目を集めた。

ニックネームは「せしょう」。世彰をよしあきでなく、せしょうと読む人が多いためだという。

経歴

M&Aコンサルティング設立前

主に中華民国との貿易を営んでいた華僑貿易商の勇の男子として大阪道頓堀界隈に生まれる。大阪市立道仁小学校を卒業。なお、小学生の頃には、すでに株取引のキャリアはスタートしていた、という伝説まがいの話がある。これは、父親が、小遣いの支払いを廃止する代わりに、100万円の現金を渡したことに端を発するもので、この資金を元手に、株式市場で小遣いを捻出していたとされる。

その後、灘中学校・高等学校に進学。高校時代はせんだみつおの弟子になることが夢であり、「せんだの人生には偽りがない」という文章を文集に残している。また、高校時代に後にパートナーとなる丸木強と出会っている。しかし学校に行っても学校行事には参加せず、校内の割り当て仕事(たとえば掃除当番)も「試験や受験が近づいたら、学校に行くよりも家で勉強する方が効率がいい」「掃除なんかやっている暇があれば、自分だけ先に帰って勉強したい」との理由で不参加を通していた小山雄人「村上世彰の罪と罰 モラルなき友との四半世紀 」(『新潮45』2006年9月号)。

高校では220人中200番まで成績が下がったこともあった小山雄人「村上世彰の罪と罰 モラルなき友との四半世紀 」(『新潮45』2006年9月号)。。教科は理系が得意であったが、文系が苦手なために1年間の浪人生活を経て、1979年、東京大学文科1類(法学部進学課程)に進む。

大学生活は、父の所有する高級マンションから、ポルシェに乗って通学するという豪華なものであった。1983年東京大学法学部を卒業。東大法学部同期の友人に参議院議員林芳正伊藤芳朗弁護士(伊藤は灘高の1年後輩)などがいる。同年、通商産業省(現経済産業省)に入省。通産省時代に近未来小説「滅びゆく日本」を執筆する。上司が反対したため出版には至らなかった。

通産省時代は在南アフリカ日本大使館一等書記官としてアパルトヘイト時代の南アに赴任。口が災いして左遷された結果だったと伝えられている小山雄人「村上世彰の罪と罰 モラルなき友との四半世紀 」(『新潮45』2006年9月号)。

M&Aコンサルティング設立後

1999年、「ルールを作る立場からプレイヤーになりたい」と通産省を退官し、M&Aコンサルティングを設立。ケイマン諸島籍の投資信託として「MACジャパン・アクティブ・シェアオーバー・ファンド」を設定し、傘下の特定目的会社投資事業組合、MACアセットマネジメントなどの組織・企業を通じて日本企業への投資を開始する。のち、2006年5月10日シンガポールへの進出を発表した。

村上ファンドライブドアから重要情報を得てニッポン放送株を買っていた」というインサイダー取引の疑惑がマスコミで騒がれ始め、東京地検特捜部の捜査の動きがマスコミに流れはじめるが本人は疑惑を否定。2006年6月5日、11時に東京証券取引所で記者会見を行い、これまでの姿勢から一転ライブドアの当時の取締役などから重要な情報を「聞いちゃった」と告白した、東京地検特捜部の取調べに対する調書にサインをしたことを明らかにし、証券取引法違反(インサイダー取引)の容疑を全面的に認めたが、それは意図的なものではなくあくまでも過失だったと暗に主張した。また、ファンドマネージャーの職を退くと共に証券業に今後関わらない意向も表明した。その後同日17時前、東京地検特捜部の捜査によって逮捕勾留された。

逮捕後の近況

その後、2006年6月23日証券取引法のインサイダー取引容疑で起訴される(村上ファンド事件)。東京地検特捜部の主張によると、一連の取引で得た利益は30億円で、インサイダー取引としては過去最高額だという。

2006年6月26日に、保釈東京地裁に認められ、保釈金5億円を小切手で支払い保釈された。村上本人は「家族や社員が心配だ」と早期の保釈を望んでいたとされている。

2006年9月15日東京地検東京地裁、村上の弁護人の3者により公判前整理手続が行なわれた。村上は当初、ライブドアによるニッポン放送株大量買い占め情報を堀江貴文前社長から聞き、ニッポン放送株193万株を買い付けたというインサイダー取引の容疑の起訴事実を認めていたが(その時、村上が「聞いちゃったかと言われれば・・・聞いちゃってるんですねぇ」と言ったことは有名)、この情報を知った時期を村上はこの日、「ライブドアが取締役会で正式決定した後」と述べ、起訴事実を一転・全面否認した。

2006年11月30日に初公判。村上は起訴事実を否認、その後も一貫して無罪を主張し続けた。2007年6月12日に結審し、村上は「反省すべき点は多かったが、意図的に法を犯すことはしていない」と改めて否認した。

東京地裁(高麗邦彦裁判長)は同年7月19日、村上に対して懲役2年、罰金300万円、追徴金11億4900万円(求刑:懲役3年、罰金300万円、追徴金11億4900万円)の実刑判決を言い渡した。インサイダー取引事件での実刑判決は異例であり、また追徴金の額も史上最高である。村上側はこの判決に対して即日控訴の手続きをとった。なお閉廷後直ちに村上は拘束されたが、追加の保釈金2億円を再び小切手で支払い釈放された。

2007年12月26日NPOに寄付する中間支援団体チャリティ・プラットフォーム(チャリ・プラ)の理事に就任。週刊東洋経済2月16日号。

村上ファンド(通称)

かつて日本では、企業・銀行等による株式持合いなどの慣習が根強く、株主が経営者に対して意見をする社会通念が育ちにくかったため、村上の行動は「もの言う株主」として注目を浴びることとなった。欧米、特にアメリカでは株主が経営者に意見をすることは広く行き渡っており、これら投資家は「アクティビスト・ファンド(活動的投資家)」と呼ばれる。しかし一方で、「村上ファンドの実態はグリーンメーラー総会屋ファンドであり仕手筋であった」と批判する意見もある。

運用資産額は2006年3月末で4444億円(日本証券投資顧問業協会提出資料より)を超えており、3705億円が海外の大学財団などから、739億円が国内で、オリックス農林中央金庫石油資源開発ウシオ電機立花証券などからの出資があるとされている。個人では、1999年同ファンド設立時に富士通総研理事だった、第29代日本銀行総裁2003年3月20日〜)の福井俊彦が1000万円出資していた事が、2006年6月13日に公にされた。

またファンドの運用利率は高く、同ファンド設立後2000億円以上の運用益を上げており運用利率が高い事から多額の出資を呼び込み急成長したのではないかとする意見などがあるが、ゼロ金利政策量的金融緩和政策をとる日本政府・日本銀行などの政策により、低金利の日本円を借りて資産運用をする国内外の投資家ヘッジファンドなどの投資スタイルが2001年以降常態化しており、それら資金が流れ込んだ結果、巨額の運用資金を持つファンドが誕生したとする意見もある。

  • 東京スタイルニッポン放送の株式購入と、両社への株主地位向上・資本政策の見直し等の提案でその名を知らしめ、ライブドアによるニッポン放送の経営陣に対しての敵対的買収でも動向が注目された。
  • 大阪証券取引所阪神電気鉄道などの株式購入でも話題になった。特に後者に対しては子会社である阪神タイガース株式上場を株主の立場から提案し、ファンが球団の株式を持つことが企業価値向上に繋がるのではないかと主張したが、プロ野球ファンなどから批判があった。このとき村上は「ずっと阪神の大ファンです」「阪神の打順を今でも言える」「蔦の絡まる阪神球場がずっと好きだった」と発言したが、村上の知人からは「いつから彼は、阪神ファンになったのか? 子供の時から熱狂的な巨人ファンだったではないか?」と批判された小山雄人「村上世彰の罪と罰 モラルなき友との四半世紀 」(『新潮45』2006年9月号)。
  • 村上ファンドの投資行動がきっかけに、投資ファンドの保有比率が明らかにならないまま、一部投資家が思惑で同ファンドに追従するため株価が激しく動くなど、相場の不安定感をもたらしているなどの批判があったとされている。金融審議会首相の諮問機関)は投資ファンドなどの純投資を目的とする機関投資家を対象にした大量保有報告制度の特例について、これまで保有比率が5%超10%以下であれば3カ月毎の報告で済んでいたものを、保有比率5%以上、2週間毎の報告に改めるきっかけとなり、2006年6月7日金融商品取引法を含む「証券取引法等の一部を改正する法律案」が成立した。
  • そして2006年6月、インサイダー取引の疑惑で東京地検の捜索を受け、村上が株投資への引退を表明したのを機に、委託投資者から同ファンドへの出資の解約を求められており、グループは存続危機を迎えるのではないかと報道された。その後、村上ファンドは事実上解散することとなった(1審判決が出された2007年7月19日現在、登記上は存続しているが、残務処理のための社員数人が残っているのみとなっている)。

著書

  • (赤石浩一、小川典文と共著)『市場「淘汰」されるサービス業?顧客「選択」されるサービス業-サービス?プロバイダーが市場原理と国際競争にさらされる時代 』、ダイヤモンド社、1999年2月 ISBN 4-478-50163-7
  • 村上世彰編著 / 大石邦弘ほか著『アウトソーシングの時代-2010年、33兆円市場を拓く事業群』、日経BP社、1999年4月 ISBN 4-8222-9114-6
  • (小川典文と共著)『日本映画産業最前線』、角川書店、1999年5月 ISBN 4-04-883576-9

参考文献

  • 『週刊東洋経済』第6021号(特集=徹底解明村上ファンド)、東洋経済新報社、2006年5月20日。
  • 大鹿靖明(著) ヒルズ黙示録 朝日新聞社 2006年初版

脚注

関連項目

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