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阿南惟茂

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

阿南 惟茂(あなみ これしげ、1941年1月16日 - )は日本外交官。駐中国大使を歴任(2001年‐2006年)。外務省内のチャイナスクール(中国語語学研修組)の重鎮として知られる。

来歴

1941年、東京生まれ。父は終戦時に陸軍大臣を務めていた阿南惟幾で6人兄弟の末子である。阿南陸軍大臣は閣議でポツダム宣言の受諾に反対しつつ、陸軍の暴走を抑えて終戦に持ち込まれたのを見届けた後、1945年8月15日早朝に割腹自決している。義理の伯父に宮城事件の関係者である竹下正彦中佐(当時軍務課内務班長)、義姉に講談社現社長の野間佐和子。兄の阿南惟正(新日本製鐵元副社長→太平工業元社長)は靖国神社の氏子総代を務める。

東京大学法学部政治学科を卒業。外務公務員採用上級試験に3回目の挑戦で合格し、大学卒業後の1967年外務省に入省した。同期には次官になった竹内行夫大島賢三、駐韓大使、外務審議官になった高野紀元ら。入省後は中国語研修組に所属し、一貫して中国畑を歩んでいる。在中国日本国大使館参事官、情報調査局企画課長、アジア局中国課長、大臣官房会計課長、在アトランタ総領事、在中国大使館公使、アジア局長、内閣外政審議室長などの要職を歴任した。

入省後中華民国(台湾)留学時に知りあったアメリカ合衆国ルイジアナ州出身のヴァージニアと結婚した。

中国大使

2001年1月に駐中国特命全権大使に任命された。「中国側にきちんとモノが言える」「様々な問題で中国の反発に動じず、強く出られる人物」という選考基準に基づき、自民党の橋本・森両氏の後押しを受け大使に抜擢される。同年4月に発足した小泉政権の下で2006年まで5年間在任。彼の在任期間に日中間に幾つかの問題、事件が持ち上がった。これらの事件における阿南の言動について、「中国におもねっている」との批判が一部で生じた。他方、靖国参拝や歴史教科書などの問題を巡って中国との衝突も辞さなかった小泉政権の下で5年間解任されなかったことは、日本の対中外交の内幕が一部のメディアで描かれているほど単純ではないことを物語っている。後任者(宮本雄二)もチャイナ・スクールからの抜擢。

瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件に際しては、事件発生4時間前の定例会議で亡命者を追い返す指示をしていたことで物議をかもした。当時在中国のヨーロッパ各国および韓国大使館、領事館などで発生していた北朝鮮人亡命者の駆け込み事件に関して、5月8日大使館内の定例会議において、『不審者が館内に入ろうとしたら追い返せ』、『ともかく来たら追い返せ。仮に"人道的に問題になって批判されても面倒に巻き込まれるよりはマシ"だ』」との指示を与えていたと報道された。

1990年代末以降、中国国内における所謂「脱北者」の急増に伴い、北京市では、「脱北者」による外国大使館・外国人学校への駆け込み事件が頻発し、各国大使館はその対策として警備体制を大幅に強化した。2002年5月8日、日本大使館でも大使により大使館の警備強化が指示されたが、その同じ日に、瀋陽市内の日本総領事館に「脱北者」の一家が駆け込もうとして中国の武装警察に取り押さえられるという事件が発生した。この事件により、日本国内では「脱北者」家族(「ハンミちゃん一家」)への同情が高まり、メディアでは、5月8日における大使の警備強化の指示に対して批判・疑問が示されるようになった。5月8日の館内会議における指示のなかで阿南は「不審者が館内に入ろうとしたら追い返せ」という主旨の発言をしたとされ、この発言が人道性という観点から批判の対象となったが、具体的な発言内容に関する新聞各紙の報道はどれも推察の域を脱しておらず、新聞ごとに報道内容と取り扱いにかなりの差異が見られた。5月8日の大使指示は、同日に瀋陽事件が発生したために、メディアでは大きく取り沙汰されたが、大使館における人の出入りに対するチェック体制の強化という指示そのものは大使館のセキュリティーに関する常識範囲内のものであったため、政府与党内では特に問題視されるということはなかった。また、野党民主党がおこなった瀋陽事件に関する調査では、北京大使館の警備の強化に関する指示と瀋陽総領事館駆け込み事件との間には直接的な因果関係はなかったとされた。最終的に、阿南は5月8日の指示の内容ではなく、「瀋陽総領事館に適切な助言を与えなかった」という理由で外相とともに減給処分を受けた。

2002年6月に中国の驚異的な経済成長ぶりを示す報告書を部下から提出された時、「これでは中国へのODAを減らせと言われる(チャイナスクールが動かせる資金が減る)」と叱り飛ばし、下方修正させたと産経新聞が報道。なお、中国政府が発表する経済発展の数値(GDPやインフレ率など)に関しては、誇張や整合性の欠如といった問題があることは以前から多くの専門家によって指摘されている(地方政府の発表を集計したもので、中央の目標に沿った数値を維持しないと当該地方官僚は栄達の道を断たれてしまう)。また、日本政府は2008年を最後に対中ODAを打ち切ることを既に決定している。

2005年7月頃、小泉純一郎首相宛てに靖国神社への参拝の中止を要請する異例の具申書を公電にて打電したと産経新聞が報道(2006年8月12日)。

一連の上記の行動に付いて、一部の右派保守系メディア、評論家から、終戦の責任を負って自決した父阿南惟幾の行動と比較され、激しくバッシングを受ける。2006年に退任。後任は当初、飯村豊インドネシア大使の起用が予定されていたが、結局チャイナ・スクール出身の宮本雄二沖縄担当大使が就任した。

退任後も、「中国と日本は未来永劫隣国同士なので、対立より友好を促進すべき」と言う姿勢には変わりがない。しかし、政治・経済の実情、特にチャイナ・リスクに関しては「在任中は言えなかったが」として下記の指摘をしている。
  • 社会主義体制・一党独裁のままの資本主義経済化は相当な歪みを生んでおり、2008年中には体制の危機が起きるかも知れない。
  • 首脳も人民も資本主義と言う物を良く理解していない。法整備も進まず(中華人民共和国の経済#民事法体制の不備)、貸し倒しが頻発し、個人投資家は株式市場を一攫千金のギャンブルとしか捉えていない。
  • ハイアールのように起業して成功しても、結局政府系の公社の方が資金的に優遇されているため太刀打ちできない。その公社は放漫経営の所が多く、利権の温床になっている。
  • 一方で、経済成長と並行するようにして、三農問題など農村部の疲弊は急速に進んでいる。ODAの打ち切りもそちらにしわ寄せが行っている(中華人民共和国の経済#広がる経済格差)。
  • その影響で食料不足も起こりつつあり、インフレが起こっている。土地を強制徴用されて都会に出て来た農民が失業すると言う問題もある。
  • しかし、失業率やインフレなどに関する政府発表の数字は粉飾されており全く信頼が置けない。SARSへの対応や国防費なども同様である。
  • 地方において暴動が頻発しているのは事実。しかし、多くの地域では暴動も起こせないほど貧しくまた人民への教育も行き届いていない。

その上で、こうした負の側面を対岸の火事とするのでなく、隣人として助けを差し伸べるのが日本の責務であると主張する『最近の中国事情(講演録)』学士会会報 2008年第5号。

脚注

関連項目

外部リンク

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