読み込み中...靖国神社問題(やすくにじんじゃもんだい)は、靖国神社(本来の表記は靖國神社)をめぐってしばしば議論の対象となる各種の問題を指す。日本のマスメディアでは「靖国問題」と略称することが多い。
靖国神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案により明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。後に、1853年(嘉永6年)のアメリカ東インド艦隊の司令官、ペリーの浦賀来航以降の、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる。1877年(明治10年)の西南戦争後は、日本国を守護するために亡くなった戦没者を慰霊追悼・顕彰するための、施設及びシンボルとなっている。
「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という意見の一方、政教分離や歴史認識、近隣諸国への配慮からも政治家・行政官の参拝を問題視する意見があり、議論が起きている。終戦記念日である8月15日の参拝は日中戦争・戦争)の戦没者を顕彰する意味合いが強まり、特に議論が大きくなる。
日本人が戦争を行った際「死ねば靖国で会おう」と誓ったことから、靖国神社は日本の侵略戦争のシンボルであるとして、中国(中華人民共和国)、韓国(大韓民国)、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の3カ国が参拝が行われる度に激しい反発を繰り返しており、外交問題となっている。
中国、韓国、北朝鮮以外には、靖国参拝に公式に反発する国はない。個人としては華僑出身のいわゆる中国系のシンガポール首相、リー・シェンロンが不快感を表明したことがある『朝日新聞』 2005年5月18日付。アメリカの在郷軍人会のなかにも批判があるといわれている。また、戦争の被害を蒙ったとする台湾やアジアの人々からの反発もある。また、当時日本領であった台湾(中華民国)からも徴兵による戦死者が多数出ており、一部で批判がある。(台湾人日本兵、高砂義勇隊の項を参照)。
一方で、戦没者を慰霊追悼・顕彰するため、後述するように多くの外国の元首が訪れていることも事実である。
具体的な論点としては以下の三つに大きくまとめることができるだろう。
#政教分離に関する問題 #:靖国神社を国家護持による慰霊施設としようとすること、政府・地方自治体が公費支出によって玉串奉納すること、次いで内閣総理大臣・国会議員・都道府県知事など公職にある者が公的もしくは私的に靖国神社に参拝することに関して、日本国憲法第20条が定める政教分離原則に照らし違憲であるとする問題。 #歴史認識・植民地支配に関する問題 #:1と同じく、公職者の参拝に端を発して議論されることが多いが、靖国神社に参拝することが戦死者を英霊としてあがめることで戦争自体を肯定的にとらえる神社の歴史観(神社付属の博物館「遊就館」の展示内容と説明も含む)を認め、これによって日本軍が戦場とし、あるいは台湾・朝鮮半島等戦争当時の植民地として支配していた諸国民に不快感を与え外交的な摩擦も生んでいることに関する問題で、植民地から徴兵され戦死した人々の合祀への遺族の異議も含まれる。また、極東国際軍事裁判で戦争犯罪人として裁かれた人々の合祀を認めるか否かを中心とする国内外の戦争責任認識の問題。 #戦死者・戦没者慰霊の問題#:アジア太平洋戦争における日本軍の軍人・軍属の戦死者(戦病死者・戦傷死者を含む)を慰霊する国家レベルの施設が無く、戦前から引継がれる神道形式によって祭る靖国神社が実態として担っている問題。また、クリスチャン等宗教的に相容れない遺族からの合祀拒否の問題もある。さらに、広く戦没者を国全体で慰霊する施設が無いことも問題となっている。
靖国神社は大日本帝国時代の陸軍省・海軍省が共管し、戦争遂行の精神的支柱の一つであった国家神道の最重要の拠点であったため、終戦後直ちに廃絶の議論が起きた。このことについては日本を打ち破り占領した連合国においてもかねてから施設自体の棄却も視野に入れてて来たが、GHQは安定的に占領を続けるために必要との判断から1945年10月に存続を決定。同年12月15日に神道指令を発して国家神道を廃止すると共に靖国神社の国家護持を禁じ、神社と国家の間の政教分離を図った。また、翌1946年に制定された宗教法人法に基づき、靖国神社は同年9月に宗教法人となったことで自ら国家護持体制からの離脱を明確にした。
1947年に施行された日本国憲法では第20条において下記のように信教の自由を保障し、政教分離原則を掲げている。
1951年のサンフランシスコ平和条約締結・翌1952年の発効によって連合国の占領が終わって日本は独立し、連合国占領期間中は実質的に封印された状態となっていた靖国神社に関する議論は憲法の合憲・違憲を巡る問題へと移行し、主に第1項および第3項に基づいた問題点が賛否両面から指摘されていくこととなる。なお、占領下の1949年に出された国公立小中学校の靖国神社訪問などを禁じた文部事務次官通達について、2008年3月27日の参議院文教科学委員会で渡海紀三朗文部科学相は同通達が「既に失効している」と明言し第169回国会 参議院 文教科学委員会 第3号 平成20年(2008年)3月27日(議事録)、今後第2項を巡る問題が発生する可能性がでてきている。
靖国神社を国家護持による慰霊施設としようとする靖国神社法案が1969年に議員立法案として自由民主党から提出されたことで神社の政教分離に関する議論が再燃した。これ以降、毎年の法案提出と廃案を繰り返した後、1973年に提出された法案が審議凍結などを経て1974年に衆議院で可決されたものの参議院で審議未了の廃案となり、これを最後とする自由民主党による法案上程が止むまで靖国神社法案が靖国神社問題における政教分離の課題で最大のものとなった。
この後、政府・地方自治体による靖国神社への公費支出を伴う玉串奉納と、首相をはじめとする政府閣僚や地方自治体首長らの参拝が日本国憲法による政教分離原則に抵触するか否かへと議論の焦点が移っていく。
靖国神社に反対する立場の人物は、靖国神社への参拝は政教分離に反するという見解を示すのが一般的であるが、総理大臣が他の宗教法人、明治神宮や伊勢神宮に参拝しても、何ら問題とはならないことから、靖国神社への参拝のみが問題であるといえる。
日本では、信教の自由は、「何人に対しても」これを保障するとされているため、政治家であっても宗教および思想について制限を加えることができないとする考え方が一般的である。しかし一部の人々は、政治家は国の機関であり、参拝は同条3項の国の機関による宗教的活動に該当すると主張、政治家が靖国神社に参拝することは憲法違反であるという説を採る。また、政治家が参拝することが、間接的な靖国神社への特権となるという説を採る人々も存在する。
日本では、宗教性の有無に関して「参拝は宗教的行為ではなく、習俗的行為であるから政教分離原則には抵触しない」とする主張と、「参拝は宗教的行為であるから問題である」とする主張が対立している。首相の公式参拝について、神道形式に則った参拝が「憲法20条との関係で違憲の疑いを否定できない」という認識は1980年(昭和55年)の政府見解でも確認されたが、後の1985年(昭和60年)中曽根康弘内閣当時に発足した「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」は「宗教色を薄めた独自の参拝形式をとる事により公式参拝は可能」と判断、その方法であれば「首相の参拝は宗教的意義を持たないと解釈できる」とし、「憲法が禁止する宗教的活動に該当しない」との政府見解が出されたhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/dai2/siryo1_7.html 内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社公式参拝について 藤波内閣官房長官談話 昭和60年(1985年)8月14日(首相官邸公式ウェブサイト)。首相の参拝行為の宗教性について幾つかの裁判で争われているが、各裁判の判決は参拝の際に玉串料などを公費で支出したことについてのみに合憲・違憲の判断をしており、参拝自体が違憲であるとする判決は無い。
公人においても公私を区別するべきだという論点がある。これは第66代総理であった三木武夫が1975年8月15日、総理としては初めて終戦記念日に参拝した際に、私的参拝4条件(公用車不使用、玉串料を私費で支出、肩書きを付けない、公職者を随行させない)による「私人」としての参拝を行った以降、特に論じられるようになったものである。靖国神社に対して玉串料などを公費で支出した参拝は、第72代総理であった中曽根康弘による1985年の参拝が訴訟の対象となり(後述)、1992年の2つの高等裁判所判決で憲法の定める政教分離原則に反する公式参拝と認定され、これらが判例として確定、明確に違憲とされており、これ以降の議論は「私人」としての参拝が許容されるものであるかどうかを巡っての解釈の問題となっている。
「国政上の要職にある者であっても私人・一個人として参拝するなら政教分離原則には抵触せず問題がない」という意見がある。これは、公人であっても人権的な観点から私人の側面を強調視するもので、「首相個人の信仰や信念も尊重されるべきであり、参拝は私人とし行われているものであるならば問題がない」という立場をとっている。「アメリカ のように政教分離をうたっていながら、大統領や知事就任式のときに聖書に手をのせ神に誓いをたてることは問題になったことは一度もない」ということも論拠の一つに挙げられている。
一方、「公用車を用い、側近・護衛官を従え、閣僚が連れ立って参拝し、職業欄に『内閣総理大臣』などと記帳するという行為は公人としてのそれであり、政教分離原則に抵触する」という意見がある。こちらは、実効的な観点を重く取り上げ、「首相が在職中に行う行為は私的であっても、多少の差はあれ、全て政治的実効性を持つため、私的参拝であっても靖国神社に実質的に利益を与えるものだ」として問題があるとしている。
第87〜89代総理・小泉純一郎は、2001(平成13)年8月13日の首相就任後最初の参拝をした後、公私の別についての質問に対し「公的とか私的とか私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心を込めて参拝した」と述べた。これ以降、特にこの論点が大きくクローズアップされている。
参拝によって政府が、特定の宗教を差別的に優遇しているか否について、もし優遇しているとすれば、それは他宗教の信者や、その宗教を信じていない者を差別していることになり、その判断としては、参拝によってその宗教が利益を得るか、という基準が挙げられる。
例えば、首相や大臣が参拝する事によって、その宗教の好ましい社会的認知が広がり、布教に有利という見方ができる。この見方によれば、首相や大臣の参拝行為は靖国神社や伊勢神宮という個別の宗教法人にとって信者獲得の利益に繋がり、もし参拝が無かったら他の宗教団体へ入信したかもしれない人々を誘導した可能性を上げ、これは差別的優遇に該当すると解釈できるとする一部の意見もある。実際に、小泉純一郎首相による靖国神社への参拝が始まって以降、参拝客が急増している。この現象については、靖国神社問題に関するマスメディアの報道が大きく影響しているとの意見もある新田均著『首相が靖国参拝してどこが悪い』(PHP研究所 2005年8月2日 )ISBN 978-4569643656 、p.205。
また、特定の宗教施設において、すべての戦没者を慰霊する事自体が、信教の自由に対する侵害であるとする意見もある。
更に宗教的問題から離れて純粋に利益均衡で見ると、小泉純一郎首相による靖国神社への参拝によって、過去に日本の侵略を受けた中国・韓国との関係が悪化しており、経済や対北朝鮮政策(特に拉致問題)において少なからず損失を招いているという問題もある。とりわけ、中国がA級戦犯合祀を問題としていることが、利益均衡論議の焦点となっている。
この問題を取り上げた主要な訴訟をあげる。
玉串料公費支出については、岩手県靖国神社訴訟における1991年の仙台高等裁判所の判決理由傍論として示した違憲言及の後、愛媛県靖国神社玉串訴訟にける1997年の最高裁判決で違憲が確定した。
中曽根康弘の首相公式参拝には違憲判決がなされた。一方、小泉純一郎の首相参拝には合憲判決がなされている。ただし、傍論として違憲言及をされた合憲判決がある。
1979年12月19日、岩手県議会が国に靖国神社公式参拝を実現するよう意見書を採択し、政府に陳情書を届けたことと、1962年から靖国神社の要請で玉串料や献灯料を支出していたことは、政教分離原則に反するとして、その費用を返還するよう住民らが求めた訴訟である。
盛岡地方裁判所は1987年3月5日、いずれも合憲の判断を示し、住民らの訴えを全面的に退けた。住民側の控訴に対して仙台高裁は1991年1月10日、判決主文によって被告の岩手県への公費返還請求を棄却したもの、傍論として公式参拝・玉ぐし料公費支出は違憲であるという判断を示したhttp://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/iwateyasukuni.htm たむたむ(多夢太夢)松山大学法文学部教授 田村譲教授ウェブサイトサイト 岩手靖国違憲訴訟より。。傍論とはいえ政教分離原則の点から違憲であるという判断がされたのはこの判決が初めてである。
傍論とはいえ「違憲判断」が示されたのは不利益で、最高裁で判断を仰ぐ必要があると県は主張、上告したが仙台高裁は不適法として却下、県は高裁の決定を不服として特別抗告したが、最高裁第2小法廷は「抗告の理由がない」として棄却した。
愛媛県靖国神社玉串訴訟(えひめけんやすくにじんじゃたまぐしそしょう)とは愛媛県知事が靖国神社に対し玉串料を「戦没者の遺族の援護行政ために」毎年支出した事に対し、政教分離原則に反するとして、その費用を返還するよう住民らが求めた訴訟である。
1審の松山地裁は違憲判断、2審の高松高裁は「公金支出は社会的儀礼の範囲に収まる小額であり、遺族援護行政の一環であり宗教的活動に当たらない」として合憲判断を示した。最高裁判所は政教分離原則の一つとなった目的効果基準が違憲判決を出した訴訟である。
中曽根康弘が首相在任中の1985年8月15日に公式参拝したことに対する訴訟。中曽根康弘は首相在任中に10回にわたり参拝しているが、1985年8月14日に、正式な神式ではなく省略した拝礼によるものならば閣僚の公式参拝は政教分離には反しないとこれまでの政府統一見解を変更したことを受けて、1985年の参拝で閣僚を引き連れて玉串料を公費から支出する首相公式参拝に踏み切ったため、特に問題とされた。(これをきっかけに、信仰上の相違と靖国神社法案に反対する立場から「日本遺族会」に属していない、あるいは脱会していた遺族が「平和遺族会全国連絡会」を結成するに至ったhttp://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/57/rn1987-392.html法政大学大原社会問題研究所(編著) 『日本労働年鑑 第57集』 第四部 労働旬報社 1989年6月26日発行、P392 労働組合と政治・.社会運動 社会運動 概況。
九州靖国神社公式参拝違憲訴訟における1992年2月28日福岡高裁判決では、公式参拝の継続が靖国神社への援助、助長、促進となり違憲と判示福岡高等裁判所 平4年(1992年)2月28日、判時1426・85。関西靖国公式参拝訴訟における1992年7月30日大阪高等裁判所判決では、公式参拝は一般人に与える効果、影響、社会通念から考えると宗教的活動に該当し、違憲の疑いありと判示大阪高等裁判所 平成4年(1992年)4月30日、判事1434・38、判タ789・94 。いずれも確定判決となり、玉串料を公費から支出する首相公式参拝は憲法の政教分離原則に反する違憲が確定した。
中曽根は1985年8月15日を最後に首相在任中の参拝を止めたが、これは訴訟を理由とするものではなく、翌1986年の終戦記念日前日の8月14日の官房長官談話によれば、公式参拝が日本による戦争の惨禍を蒙った近隣諸国民の日本に対する不信を招くためとしている 本年8月15日の内閣総理大臣その他の国務大臣による靖国神社公式参拝について(首相官邸)。中曽根は後に、自身の靖国参拝により中国共産党内の政争で胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだという示唆があり、「胡耀邦さんと私とは非常に仲が良かった。」、「それで胡耀邦さんを守らなければいけないと思った。」と述べている産経新聞社刊『正論』(平成13年9月号)「私が靖国神社公式参拝を断念した理由」昭和61年8月15日付け、中国共産党胡耀邦総書記宛て内閣総理大臣書簡、世界平和研究所(著)『中曽根内閣史―資料篇』(世界平和研究所 1995年11月) ISBN 978-4895141130 。
小泉純一郎が首相在任中に参拝したことに対する訴訟。
- 2004年4月7日
第3932号 損害賠償等事件(判時1859・76)(なお、外部リンクは原告や原告・被告双方の訴訟代理人弁護士等の表示が省略されてており、また正確でない場合がありますので、正確を期する場合は判例集に当って下さい)。 HTML、PDF
- (合憲判決(傍論として違憲言及))福岡地方裁判所で合憲判決がなされるとともに、傍論として違憲言及がなされた。主文に於いては原告の損害賠償請求を棄却した。一方、裁判長の亀川清長は小泉純一郎首相の靖国神社参拝(2001年8月13日)について、政教分離違反で違憲と言う見解を示した。総理大臣の公式参拝を違憲としたのは、1991年の仙台高裁判決に次いで二例目で、現職の総理大臣による参拝を違憲と判断した初の例となった。亀川裁判長は憲法判断に踏みこんだ理由として、「裁判所が違憲性についての判断を回避すれば、今後も同様の行為が繰り返される可能性が高いというべきであリ、当裁判所は、本件参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え、前記のとおり(違憲と)判示する」とした。小泉首相は少なくとも16回、記者団の前で「違憲の意味がわからない。参拝は続ける」旨、繰り返し表明した)福岡地方裁判所 判決言い渡し:平成16年4月7日、平成13年(ワ)
- 2004年10月21日
- 前述の福岡地裁判決において、主文に於いて原告の損害賠償請求を棄却した一方で、傍論で「参拝は違憲である」とする「ねじれ判決」を出したことに対し、国民運動団体「英霊にこたえる会」(会長: 堀江正夫元参院議員)が国会の裁判官訴追委員会に裁判を担当した亀川清長裁判長ら3裁判官の罷免を求める訴追請求状6036通を提出した。請求状によれば、訴追理由について、「判決は(形式上勝訴で控訴が封じられ)被告の憲法第32条『裁判を受ける権利』を奪うもので憲法違反」、「政治的目的で判決を書くことは越権行為。司法の中立性、独立を危うくした」としている(弾劾裁判も参照)。
- 2004年11月25日
- (合憲判決)千葉地方裁判所(裁判長: 安藤裕子)は、小泉純一郎首相の靖国神社参拝(2001年8月13日)について、参拝は公務と認定した上で、原告の慰謝料請求を棄却した。その理由として、安藤裁判長は、公用車を使用したり、内閣総理大臣の肩書きを用いたりしているため、参拝は客観的に見て職務であると認定し、その上で公務員個人には国家賠償法における責任はないとした。また、「信教の自由や、静かな宗教的な環境で信仰生活を送るという宗教的人格権を侵害された」として慰謝料の支払いを求めた原告側に対し、判決は「信仰の具体的な強制、干渉や不利益な扱いを受けた事実はなく、信教の自由の侵害はない。宗教的人格権は法的に具体的に保護されたものではない」として退けた。
- (合憲判決)「靖国訴訟」東京高裁(浜野惺(しずか)裁判長)は1審の千葉地裁判決を支持、原告側控訴を棄却。
- 小泉首相は、2001年8月13日、秘書官同行の上公用車で同神社を訪れ「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳、献花代3万円を納め参拝した。これに対し、千葉県内の戦没者遺族や宗教家ら39人からなる訴訟原告は、この参拝は総理大臣の職務行為として行なわれており、政教分離を定めた憲法に違反すると主張。小泉首相と国に1人当たり10万円の損害賠償を求めていた。
- 判決要旨: 1審判決は、首相の参拝を「職務行為」と認定したが、今回の2審判決では、参拝は小泉首相の「個人的な行為」と認定。また、参拝は職務行為ではないため、原告側主張は前提を欠くとして合憲判断を示した。
- #神社本殿での拝礼は、個人的信条に基づく宗教上の行為、私的行為として首相個人が憲法20条1項で保障される信教の自由の範囲。故に礼拝行為が内閣総理大臣の職務行為とは言えない。
- #献花代は私費負担。献花一対を本殿に供えた行為は、私的宗教行為ないし個人の儀礼上の行為。いずれも個人の行為の域を出ず、首相の職務行為とは認められない。
- #「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した行為は、個人の肩書を付したに過ぎない。
- #神社参拝の往復に公用車を用い、秘書官とSPを同行させた点。総理大臣の地位にある者が、公務完了前に私的行為を行う場合に必要な措置。これをもって一連の参拝行為を職務行為と評価することは困難。
- #閣議決定(1982年4月17日)により、毎年8月15日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされ、2001年8月15日も全国戦没者追悼式が実施。しかし参拝は13日であり、政府追悼式と一体性を有さない。
- ※控訴棄却後の首相談話: 「私は総理大臣の職務として参拝しているものではないと申しているわけですから。どういう判決かまだ見てないですけど」
- 2005年9月29日付け 『東奥日報』掲載「靖国訴訟判決要旨」(共同通信配信)に加筆修正。
- (合憲判決(傍論として違憲言及))(1)参拝は、首相就任前の公約の実行で、(2)参拝を私的なものと明言せず、公的立場での参拝を否定もせず、(3)発言などから参拝の動機、目的は政治的なもの――と指摘したうえで「総理大臣の職務としてなされたもの」と認定。「国が靖国神社を特別に支援し、他の宗教団体と異なるとの印象を与え、特定の宗教に対する助長、促進になると認められる」と違憲であることを言及した。高裁で初めて違憲の言及がなされた。ただし、この違憲言及はあくまで傍論によるものである。裁判自体は賠償の請求を退け国側の勝訴となった。
- 小泉総理は、この判決について同日の衆議院予算会議で「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」とし、「(今後の参拝に与える影響は、)ま、ないですね、(判決自体は)勝訴でしょ」と述べた。10月1日付産経新聞社説など、ねじれ裁判と批判する声も出た。
- : 大沢孝征弁護士は、TBSテレビ『みのもんたのサタデーずばッと』(2005年10月1日放送)出演中、この判決について以下のようなコメントをした。
- : 「まったく同じ行為をですね、東京高裁は私的行為だといってんですよ、職務行為では無くまったくの私的行為だと。だから憲法判断しないということで、原告の請求を棄却している。今回の場合は、大阪高裁はその翌日なんですけれども、これは職務行為で、憲法違反に当たると、しかし信教の自由を侵害していないから賠償は認めないと、こういう判断をしているわけですね。と、どうなるかと言うと、国側は勝訴したわけです。だから(国側は)上告できない。となると、原告側が、(今回の判決は)憲法判断していないからと、上告しない限り(原告側が上告しなければ)、最高裁に行く事は無いんですよ。つまり(大阪)高裁の判決は確定してしまう。そうするとね、ちょっとやや、違和感があるのはね、本来ストレートに判断すべきなのは、信教の自由を犯したかどうかという憲法判断すれば、請求は棄却されちゃって、それで済んじゃう訳でしょ。でも、その前の職務行為を憲法違反と言った以上は、もう1つの方(職務行為を憲法違反とした判断)もね、賠償を認めないとね、それを正面から認めて、最高裁の判断を仰げば良いと、僕は思うんです。そうしないで、そっちの方は認めないという事になると、(大阪高裁の判事が)自分の判断だけを確定させようとしたのかなって、言うような余計な勘繰りを与えて、本来司法っていうのは、政治的判断は好ましくない場所なんで、それをしたのではないかという批判を(今回の大阪高裁の判決は)招きかねないんですよ。だから高裁の判断として、あそこを憲法違反と言った以上は、最後まで憲法違反で、賠償を認めるべきだったんではないか。そうしたらもう、東京高裁(の判決と)とまさにストレートに当たりますから。」(括弧内の言葉を加筆)
昭和天皇は、戦後は数年置きに計8度(1945年、1952年、1954年、1957年、1959年、1965年、1969年、1975年)靖国神社に参拝したが、1975年11月21日を最後に参拝が行われなくなった。この理由については、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたから等の意見があったものの具体的な物証は見つかっていなかったが、宮内庁長官であった富田朝彦による「富田メモ」に、これに符合する記述が発見されたとする意見がある。
ちなみに昭和天皇の子・孫を含む天皇家全体もA級戦犯の合祀以降の参拝を止めており、平成の今上天皇になっても参拝中止は続いている。なお、天皇家以外の宮家皇族の参拝は現在でもある。
1988年当時の宮内庁長官であった富田朝彦が昭和天皇の発言・会話を手帳にメモしていた『日本経済新聞』 2006年7月20日。この富田メモは、富田朝彦の遺族が保管していた手帳に貼り付けたものである。昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたことが明確に記されている。そのメモの記述の該当部分を以下に示す。
日本経済新聞社が設置した社外有識者を中心に構成する「富田メモ研究委員会」は、富田メモを調査の上、「他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない」と結論付けた。
戦後、歴代総理大臣は在任中公人として例年参拝していたが、1975年(昭和50年)8月、三木武夫首相(当時)は「首相としては初の終戦記念日の参拝の後、総理としてではなく、個人として参拝した」と発言。同年を最後に、それまで隔年で行なわれていた天皇の参拝が行なわれなくなったのは、この三木の発言が原因であると言われていた。
桜井よしこら保守論客の多くが主張していたものであるが、一方では、昭和天皇最後の参拝が三木首相参拝の3ヵ月後の同年11月であり、三木発言の後に昭和天皇が参拝したことと矛盾するため、当時から原因とはならないと指摘されていたが、富田メモの発見により等閑視されるにいたった。
日本人遺族の中で合祀に賛同していない者おり、靖国神社に対して霊璽簿から氏名を削除し合祀を取り消すよう求めている。しかし、靖国神社は、いったん合祀した霊魂は一体不可分となるので特定の霊のみを廃祀することは不可能であり、分祀(分遷)しても元々の社殿から消えはしないので無意味であると主張し、これに応じていない(A級戦犯に関しても同様)。
第二次大戦期に日本兵として戦った朝鮮や台湾出身の元軍人軍属も多数祀られているが、中には生存者が含まれていたり、遺族の一部からは反発も出ている。
例えば、2001年6月29日、韓国や台湾の元軍人軍属の一部遺族計252名が、日本に対し戦争で受けた被害として24億円余の賠償金を求めた裁判(原告敗訴)があり、原告の内55人は「戦死した親族の靖国神社への合祀(ごうし)は自らの意思に反し、人格権の侵害である」として、合祀の取り消しを求めた。2003年2月17日には、小泉靖国参拝・高砂義勇隊合祀反対訴訟の原告団長として高金素梅・台湾立法委員が代表となり訴訟を起こした。(なお、合祀に対する台湾人内部の見解の相違については、台湾国内の微妙な政治的問題も相俟っているとの指摘もなされている。)「親族の意に反した合祀は日本によるアジア侵略の象徴である」との批判がある一方、「英霊として日本人と分け隔てなく祀ることは日本だけでなく台湾や朝鮮の元軍人軍属への最大級の敬意の現れであり、日本の台湾や韓国における統治政策が欧州各国による東南アジア植民地政策とは一線を画していたことを示すものだ」とする意見もある。また、合祀しなかった場合、日本人は台湾・韓国人元軍人軍属を平等に扱わなかったと別の面で批判されるとの指摘もある。
「日本の立場を説明し、近隣三国の理解を求める事が望ましい」という従来からの意見と、長年理解を得られずに参拝するなという要求が繰り返される事から、「そもそも内政干渉であるから日本はその立場を貫くべき」という意見があり、(後者の立場からは妥協策として)以下のように様々な解決策が模索されている。
アーリントン国立墓地は、敷地内に複数のキリスト教会が在るものの、国家によって選ばれた人物について、埋葬の際にはキリスト教に限らずどの宗教でも、あるいは無宗教でも自由に選択できる。
『慰霊』や『追悼』といった行為が、すでに宗教的な観念であり、無宗教の『慰霊』や『追悼』は不可能である。そのような施設としてはすでに千鳥ケ淵戦没者墓苑があり、今さら新たに建設する必要はない。また、そもそも靖国神社とは、全ての戦没者を追悼する為の施設ではなく、アーリントン国立墓地のように国の為に戦い、または殉じた者に敬意を表する為の施設である。諸外国の首脳は戦士の墓苑等に儀礼上、参拝する義務があるが、単なる戦争犠牲者の追悼施設への参拝義務は生じない。
日本の神道とは、過去に仏教との神仏習合があったように、宗派の対立を生じさせないものであり、経典を定めて縛りを掛けているわけでもない。よってあらゆる宗教、宗派の参拝を是とする為、最善の方法として選ばれた施設である。また日本古来からの伝統宗教が外来宗教よりも重視されるのは諸外国においても当然とされ、特に問題ないといえる。また靖国神社は戦前、戦中は陸海軍省から、戦後は厚生省から戦死者名簿を預かり、祭神に祀っているので一方的な選定とは言えない。
靖国神社では、戦没者としていったん合祀されたものの後になって生存していることが明らかになった場合、祭神簿に「生存確認」との注釈を付けるにとどめ、霊璽簿は削除・訂正しない。この処置は、横井庄一や小野田寛郎、そして韓国など海外の生存者についても同様である特集: 靖国問題を考える(その1)追悼のかたち、模索 打開策にもハードル(『毎日新聞』 2006年8月15日東京朝刊)。また、この記事によれば、「死亡していない以上、もともと合祀されておらず、魂もここには来ていない」と靖国神社は説明している。言い換えれば、とりあえず死ぬのを待ってそれから改めてお祀りする、ということでもある。そういう状態を、A級戦犯の分祀の項目で例示した「廃祀」と見なすことができるかどうか。
霊璽簿を一切変更せずただ名前を追加するのみという靖国神社の態度は、生存者だけでなく内外の遺族の削除要求に対しても一貫している。
2006年9月2日付けの各紙報道によれば、朝鮮戦争中の1950年10月に米軍の要請で北朝鮮元山市沖で掃海作業中、乗船していた掃海艇が機雷に触れ爆発、殉職した海上保安庁職員(当時21)の男性遺族(79)が、靖国神社合祀を申請していたが、神社側が合祀要請を拒否していたことが明らかになった。神社側は、8月25日付回答書で「時代ごとの基準によって国が『戦没者』と認め、名前が判明した方をお祀りしてきた」、「協議の結果、朝鮮戦争にあっては現在のところ合祀基準外」とした。海上保安庁は、日本国憲法が発効していたことから、遺族に口外を禁じ、事故記録も廃棄されたという。男性遺族は「戦後の『戦死者』第1号であり、神社には再考を求めたい」と話している『朝日新聞』 2006年9月2日付夕刊 「靖国神社、朝鮮戦争で死亡した元海保職員の合祀を拒否 asahi.com関西」。なお、この職員には、戦没者叙勲はされたものの、恩給は支給されていない。
特攻作戦に関与した海軍中枢部の将官のうち、終戦直後の8月15日に「オレも後から必ず行く(死ぬこと)」と言ってそれを実行した宇垣纏は、靖国神社に祀られていない。終戦直後に部下と共に特攻した(特別攻撃隊#宇垣纏)行為が、停戦命令後の理由なき戦闘行為を禁じた海軍刑法31条に抵触するものであり、また、無駄に部下を道連れにしたことが非難されてもおり、部下も含め戦死者(あるいは受難者)とは認められていない。しかし、特攻作戦の命令を下した人物として自決により責任を取った、と評価する有識者の中からは、靖国神社に合祀すべきとの意見が出ている。そのため郷里である岡山県護国神社の境内には、彼と部下十七勇士の「菊水慰霊碑」が建立されている。
戦後、折口信夫は、神道における人物神は、特に政治的な問題について、志を遂げることなく恨みを抱きながら亡くなった死者を慰めるために祀ったものであり(所謂御霊信仰を指す)、「護国の英雄」のように死後賞賛の対象となるような人物神を祭祀することは神道教学上問題がある、と述べている。
戊辰戦争・明治維新の戦死者では新政府軍側のみが祭られ、賊軍とされた旧幕府軍(彰義隊や新撰組を含む)や奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外。西南戦争においても政府軍側のみが祭られ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外。戊辰戦争で賊軍とされて戦死者が靖国神社に祭られていない会津藩士の末裔で戦後右翼の大物だった田中清玄は、「(靖国参拝とは)長州藩の守り神にすぎないものを全国民に拝ませているようなものなんだ。ましてや皇室とは何の関係もない」と述べている『田中清玄自伝』文芸春秋刊。
軍人・軍属の戦死者・戦病死者が対象で、戦闘に巻き込まれたり空襲で亡くなった文民・民間人は対象外。また、戦後のいわゆる東京裁判などの軍事法廷判決による刑死者と勾留・服役中に死亡した者が合祀され、合祀された者の中に文民が含まれた。
- 賛成派:宇野精一、小堀桂一郎、中西輝政、堺屋太一、佐々淳行、宮崎哲弥、中嶋嶺雄、児玉清、諸井虔、西尾幹二、岸田秀、林原健、ひろさちや、俵孝太郎、入江隆則、井沢元彦、吉富勝、水谷研治、竹内宏、加藤寛、岡田英弘、小川和久、平川祐弘、竹内久美子、加瀬英明、篠沢秀夫、岡野雅行、赤塚行雄、佐瀬昌盛、谷沢永一、江森陽弘、橋爪大三郎、日下公人、上坂冬子、石堂淑郎、古森義久、徳岡孝夫、三宅久之、屋山太郎、立川談志、河上和雄、神谷不二、岡崎久彦、渡部昇一、小田晋、養老孟司
『文藝春秋』2005年7月号掲載アンケートより。
- 反対派:渡邉恒雄、村山富市、中江要介、衛藤瀋吉、矢吹晋、田原総一朗、内田樹、近藤誠、堀田力、森田実、加藤尚武、田口ランディ、斎藤精一郎、金森久雄、大谷昭宏、山内昌之、池部良、保阪正康、小林信彦、森毅、平松守彦、小谷野敦、小林カツ代、山口二郎、上田耕一朗、江坂彰、平野貞夫、川勝平太、大野晋、阿刀田高、石田衣良
なお、小林よしのりをはじめとした保守派の中には、「とにかく参拝さえすればいいというものではない」といった批判も出ている。
2005年6月11日、日本遺族会会長で自由民主党の古賀誠ら幹部が、「首相の靖国神社参拝は有り難いが、近隣諸国への配慮、気配りが必要」との見解をまとめる。
2005年6月17日、6月11日の古賀らの見解以後、遺族会会員から「方針転換し、参拝中止を求めるものではないか」と懸念の声が相次いだのを受け、「今後も総理大臣の靖国神社参拝継続を求め、靖国神社に代わる新たな追悼施設は認めない。A級戦犯の分祀は靖国神社自身の問題だ」とし、「総理は中韓両国首脳の理解を得るよう努力するべきだ。」という従来通りの方針を確認した。
2006年4月18日、関西経済同友会は、「歴史を知り、歴史を超え、歴史を創る」と題した提言を発表http://www.kansaidoyukai.or.jp/Default.aspx?tabid=132。いわゆる歴史認識問題は、中韓両政権が国内体制維持に反日感情を利用している一方、日本側は、政府高官を含め、日本人自身が歴史を知らず、生煮えの歴史対話となっていると指摘。日本は、中韓両国とのより良き関係構築の観点から毅然とした態度で外交交渉に臨むことが肝要と述べ、靖国神社問題に関しては、日中国交正常化の原則に則り、相互内政不干渉とすべきで、この点は日韓間でも同様であると述べた。
2006年5月9日、経済同友会は、「今後の日中関係への提言」を発表http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2006/060509a.html。日中両国首脳の交流再開の障害に小泉首相の靖国参拝があると指摘し、参拝の再考を求めた。これに対し首相は「商売のことを考えて行ってくれるなという声もたくさんあったが、それと政治は別だとはっきり断っている」と述べた。公明党の神崎武法代表は10日、経済の現場に悪影響が出始めたとの危機感を表明したが、小泉首相は10日夜「日中間の経済関係は今までになく拡大しているし、交流も深まっている」と参拝による影響を明確に否定した。2005年度の日中の貿易額は七年連続で増加し、過去最高になっており、記録を更新中と伝えられた(2006年4月)矢先のことであった。
これら2国が「問題」としているのは、A級戦犯が合祀されている宗教施設に首相が公式参拝することである、と要約することもできる。
近隣3国のうち、中国に関しては、靖国神社問題は特殊である。中国では20世紀末期から21世紀初頭にかけて脱社会主義化が進んできており、中国共産党も同時に求心力を失うことを懸念していた。そのため日本を敵視することで支配の正統性を確保し、政権を維持しようとしているという指摘がある。すなわち、中国政府は靖国神社問題を政治的プロパガンダとして利用しているという解釈である。この意味において、日本国首相が靖国神社参拝をやめないことは、中国政府にとっては好都合であるという見方もできる。他方、日本にとって、一見すると靖国参拝は外交上意味のあることではないように思えるが、「日米同盟」と中国という構図があることを考えると、実は靖国神社参拝はアメリカを意識した外交であるということに注意すべきであろう。中国にとっては日米同盟が強固なものとなるのはあまり面白くないはずであり、その意味からすると靖国参拝をやめよという中国の主張はなんら政治的裏の無い言葉のように思える。このように、靖国問題は中国政府にとってメリット、デメリットをもたらすものであり、また日本にとってもアメリカとの外交上中国を牽制することが必要であるという政治的な難しい問題を内包しており、単純に解決は難しい問題である。
しかしながら、サンフランシスコ講和条約第25条によれば、「…第21条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権限又は利益を与えるものではない。…」と定め、その第21条には、「この条約の第25条の規定にかかわらず、中国は、第10条及び第14条 (a) 2 の利益を受ける権利を有し、朝鮮は、この条約の第2条、第4条、第9条及び第12条の利益を受ける権利を有する。」とある。
日本や韓国は法治国家なので感情論で法を曲げることは本来許されないが、靖国神社について超法規的処置を中国や韓国から求められ続けている(靖国神社の「戦犯」分祀・廃社など)。
また中国、韓国では、靖国神社付属の博物館「遊就館」の展示内容と説明が軍国主義の名残であるとして問題視する意見もある。中国、韓国だけでなく、欧米の一部では“War shrine”(戦争神社)や“Military shrine”(軍事神社)と揶揄され、特に遊就館の展示が「恥知らずにも戦争を美化している」と批判されることがある(USA Today、Financial Timesなど)。なお、韓国政府は2006年、A級戦犯の分祀だけでは靖国問題の解決にはならないとの認識を、政府方針として確定している。
前述の李登輝元総統の意見に対する批判。以下は全て中国情報局ニュースの2001/08/10(金)のこの記事より。
シーファー駐日大使の発言のように、アメリカ政府は、日本の靖国参拝に干渉することはない。ただし、個人では賛否両論の意見がなされている。以下に主な発言を説明する。
「日本は独立国として中国の不当な要求に耳を貸さず、参拝すべき」という意見が多い。
日米同盟を重視する小泉政権の靖国参拝に対してこれまで米国政府は靖国問題に対するあえて強気の姿勢は避けてきた。ただし連邦政府・大統領府とも公式には言及しないものの、議会の“戦中派”議員からは批判の声が上がっている。
以上、下院外交委員会の公聴会にて。
シンガポールからは繰り返し参拝批判の声が上がっている。
首相、リー・シェンロンは「同神社には(第2次大戦の)戦争犯罪人が祭られており、シンガポールを含む多くの国の人々に不幸な記憶を呼び起こす。戦犯をあがめる対象にすべきではない」と発言している『共同通信』 2005年5月18日。
同じく上級相ゴー・チョクトンも「日本の指導者は靖国神社への参拝をやめ、戦没者を祭る別の方法を探るべきだ」と述べた『日本経済新聞』 2006年2月6日。
またシンガポール外務省は小泉首相の2006年度の参拝を受けて、「小泉首相の靖国神社参拝を遺憾に思う。シンガポール政府は靖国問題に関する立場を繰り返し表明してきたが、それに変化はない」、「東アジア域内で緊密な連携関係を築くという大局的な共通利益に助けとはならない」と批判したnewsclip 2006年8月15日小泉首相の靖国参拝に遺憾表明=シンガポール政府。
ただし、リー・クァンユー元首相のように「靖国問題は中国が心理的なプレッシャーをかけているだけで、日中友好の底流は変わらない」ロイター通信 2006年5月23日と述べるものもいる。
マレーシアの前首相で東アジアサミットの提唱者でもあるマハティールは毎日新聞の取材に対し、「首相の靖国神社参拝は、中国だけでなく、韓国も怒らせてしまう。日本が行ういくつかの行為は、日米同盟を継続するのに役立っているのだろうが、米国の支援者である韓国を敵に回すことになってしまう」、「首相である限り、自分を公的な自分と個人である自分を分けることはできない」『毎日新聞』 2005年12月9日と述べたり、他所でも「日本は戦争で傷ついた近隣諸国の感情を考慮するべき」、「死者を弔うのはどこでもできる。近隣国の不安をかきたてない方法があるはず」『朝日新聞』 2005年8月3日と述べたりした。
新聞ではアメリカのワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズ、USAトゥデー、ロサンゼルス・タイムズ、クリスチャン・サイエンス・モニター、イギリスのフィナンシャル・タイムズ、ガーディアン、フランスのル・モンド、ベトナム・ハノイのアンニン・トゥドー、タイの英字紙『バンコク・ポスト』などで批判されている。
以上、世界は靖国をどう見ているか(靖国神社問題関連資料)より重引(個人サイト)。その他批判的意見は同サイトに詳しい。靖国神社問題にまつわる歴史を以下に取り上げる。訴訟となった事件については「#首相公式参拝・玉串料公費支出の訴訟」の節を参照。
- 東久邇稔彦(1回): 1945年8月18日
- 幣原喜重郎(2回): 1945年10月23日、1945年11月20日
- 吉田茂(5回): 1951年10月18日、1952年10月17日、1953年4月23日、1953年10月24日、1954年4月24日
- 岸信介(2回): 1957年年4月24日、1958年10月21日
- 池田勇人(5回): 1960年10月10日、1961年6月18日、1961年11月15日、1962年11月4日、1963年9月22日
- 佐藤栄作(11回): 1965年4月21日、1966年4月21日、1967年4月22日、1968年4月23日、1969年4月22日、1969年10月18日、1970年4月22日、1970年10月17日、1971年4月22日、1971年10月19日、1972年4月22日
- 田中角栄(5回): 1972年7月8日、1973年4月23日、1973年10月18日、1974年4月23日、1974年10月19日
- 三木武夫(3回): 1975年4月22日、1975年8月15日、1976年10月18日
- 福田赳夫(4回): 1977年4月21日、1978年4月21日、1978年8月15日、1978年10月18日
- 大平正芳(3回): 1979年4月21日、1979年10月18日、1980年4月21日
- 鈴木善幸(9回): 1980年8月15日、1980年10月18日、1980年11月21日、1981年4月21日、1981年8月15日、1981年10月17日、1982年4月21日、1982年8月15日、1982年10月18日
- 中曽根康弘(10回): 1983年4月21日、1983年8月15日、1983年10月18日、1984年1月5日、1984年4月21日、1984年8月15日、1984年10月18日、1985年1月21日、1985年4月22日、1985年8月15日
- 橋本龍太郎(1回): 1996年7月29日
- 小泉純一郎(7回): 2001年8月13日、2002年4月21日、2003年1月14日、2004年1月1日、2005年10月17日、2006年8月15日
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