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駆け込み寺

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

縁切寺(えんきりでら)とは、江戸時代において夫との離縁を望む妻が駆け込み、尼僧として修行することで離婚を成立させるための寺。主なものに鎌倉東慶寺群馬(旧、上野国新田郷)の満徳寺がある。駆込寺駆け込み寺(かけこみでら)とも呼ばれる。

両者とも「武家」の聖地にある。鎌倉は武家政権の聖地であり、上野国は得川(徳川)発祥の聖地であった。 関幸彦『「鎌倉」とはなにか』山川出版、2003年、93頁。

縁切寺とは

夫側からの離縁状交付にのみ限定されていた江戸時代の離婚制度において縁切寺は妻側からの離婚請求を受付て妻を保護し離婚調停を行う特権を公的に認められていた。調停にあたっては夫をはじめとする当事者を強制的に召喚し事情聴取を行った。 縁切寺では女性用の駆込場所という性質上、妻側の意向にそって離縁を成立させる方向で調停が行われた。 この調停特権は幕府によって担保されており当事者が召喚や調停に応じない場合は寺社奉行などにより応じることを強制された。 この縁切寺の調停管轄は日本全国に及ぶとされておりどこの領民であっても調停権限に服するものとされていた。 一般には縁切寺で妻が離婚を勝ち取るには尼として数年間寺入り(在寺)する義務があったかのように理解されているが尼となるのは調停が不調となった場合の最終手段であり実際には縁切寺の調停活動により離婚が成立し尼となることなく親元に戻るケースが大部分を占めていた。 駆け込もうとする妻を連れ戻そうと夫が追い掛けて来ると言う事も度々あった様子で、その様子を描いた図画、川柳も存在する。 しかし、寺の敷地内である門から内側に妻の体が一部分でも入れば夫であっても連れ戻してはならない事になっており、また体の一部でなく、投げた簪が敷地内に入ったもしくは門に刺さった場合も夫は妻を連れて帰ってはならなかった。

当時の町役人の職務手引書には「縁切寺から召喚状が送達された場合は開封しないで速やかに夫に離縁状を書かせ召喚状とともに返送すること」と記されていた。

関連項目

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