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F-15 (戦闘機)

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
F-15マクドネル・ダグラス社(現ボーイング社)の開発した大型の制空戦闘機イーグルEagle)の愛称を持つ。 __TOC__

概要

Wikipedia画像へのリンク(アラスカ州エルメンドルフ空軍基地第43戦術戦闘飛行隊(当時)所属のF-15A(74-0105号機と74-0099号機))
第4世代ジェット戦闘機に分類される、長射程ミサイルの運用能力と高性能なレーダーを持つ双発の大型制空戦闘機である。また、イーグルを駆るパイロットは「イーグルドライバー」と呼ばれる。

アメリカ空軍で保有・運用したF-4の後継として開発された。二枚の垂直尾翼を持つとはいえ平凡な平面形の主翼に水平安定版を組み合わせた保守的な設計のまま当時としては画期的な機動性を実現した機体である。採用国は2007年現在までに空戦における被撃墜記録はないとしている2005年現在、米・イスラエルは実戦における空中戦での被撃墜はゼロとしているが、複数の交戦相手国がF-15撃墜を主張し、ソ連も交戦当事者ではないものの、戦地に派遣したオブザーバーによりMiG-23など自国製の戦闘機が数機のF-15を撃墜したと記録しており、現代でもロシアなどではこれを「事実」としている。。単座型と複座型の2種類があるが飛行性能・戦闘能力に大きな差はない。

一機当りのコストが約3,000万ドル(アメリカ空軍での単価)と高価な機体となったため、アメリカ空軍ではF-16との「Hi-Lo-Mix」運用を甘受し、また購入可能な国は限られた。それに加えてその能力から政治的・軍事的に親密な国への売却に限られた結果、新造機からの運用はアメリカの他イスラエル日本サウジアラビアの3ヵ国のみの総計1,233機で終わった。

F-4と共に冷戦下のアメリカ空軍とマクドネル・ダグラス社を代表する戦闘機といえる。現在では主力の座を派生型のF-15Eや、後継機であるF-22に譲りつつある。

開発の経緯

前史

1956年に配備の始まったサイドワインダーを装備したF-86が58年の台湾海峡における大規模な空中戦などで戦果をあげたこの際、台湾のF-86が中国のエース王自重操縦のMiG-17をサイドワインダーで撃墜したことは良く知られている。。これを受け、アメリカ空軍では今後の戦闘機同士の戦闘は「遠距離から射程の長いミサイルを発射して相手を撃墜するものになる」という「ミサイル万能主義」が主流となり、対空兵装としての機銃は軽視されるようになっていった。また、1950年代のソ連によるM-4バイソンTu-95ベアといった新型爆撃機の配備を重大な脅威と看做して対抗する必要を唱える「ボマーギャップ」論が広まった。そのためにアメリカ空軍は要撃機と爆撃能力の拡充に重点を置くこととなった。

これらの結果、新規開発の比重は対戦闘機戦闘を主目的とした制空戦闘機から(核)ミサイルによる爆撃機要撃のためのF-102を始めとした要撃戦闘機や、対地攻撃力を補充するF-105のような戦闘爆撃機に移っていった。当初F-86の後継とされたF-100も徐々に戦闘爆撃機に転用され、F-101F-104も運動性を軽視した仕様となった。

結局、アメリカ空軍はベトナム戦争開始時期に充分な格闘戦能力を持つ機体を持たず、緒戦での同士討ちに対する文民のヒステリックな反応として押し付けられた有視界外戦闘を禁止した交戦規定により、旧式のMiG-17相手の格闘戦闘に巻き込まれて苦戦を強いられた。幸運にも1961年当時の国防長官ロバート・マクナマラの推し進めた空海両軍の機種統一により導入したF-4戦闘機が比較的機動性に優れていたためベトナム戦争を凌ぐことはできた。

さらにマクマナラ国防長官はコスト削減と合理化を図るべく、空軍主体で開発する戦闘爆撃機を海軍向けに艦隊防空用の要撃機に発達させ共通化を図るTFX計画を進めたが、重量増加、エンジン(TF30)のストール、海軍用の新ミサイル(AIM-54)や新火器管制装置(AWG-9)の開発遅延といった問題が山積し、結局、空軍用のF-111Aのみ実用となった。だが、ようやく実用化に漕ぎ着けたF-111Aもコスト高や運動性能等の問題を抱えていた。

F-X開発
海軍はTFX実用化断念後の1965年に次期戦闘攻撃機VFAX(後に中止)や次期戦闘機VFX(後のF-14)の開発研究を開始していた。空軍もF-111どころかF-4さえ重すぎて制空戦闘に不適と考え、同年4月、F-Xの開発研究に着手した。 1966年3月、ノースアメリカン・ロックウェル、ロッキード、ボーイングの3社とTactical Support Aircraft(戦術支援機)に関する4ヶ月間の概念作成研究契約を締結した。同9月3社の研究結果の評価を完了したが開発方針の決定には至らなかった。その概要は以下の通りである。
  • 機体重量約27t(60,000lb+)
  • 瞬間最大速度M2.7 最大速度M2.5
  • 推力重量比0.75
  • F-111よりも良好な加速・上昇等飛行性能を有し、可変後退翼を備える
  • 中射程空対空ミサイル・爆弾を装備
この様な中、1967年7月に行われたモスクワ・ドモデドボ空港での航空ショーMiG-25が突如出現して上空を高速で通過していった。ソ連はこの航空ショーにMiG-23,MiG-25,Su-15を初めとした試作機や実験機を含む多種の機体を第三世代戦闘機として出品した。MiG-25の公開も周到に演出されたものであり、大きな衝撃を受けた西側の航空機専門家はソ連の意図通りにその実体以上の過大な評価を下した。

アメリカ空軍首脳も公開された機体に対抗し得る機体を自軍に保有していないと考え、ソ連の爆撃機に加え、戦闘機にも危機感を募らせていった。

空軍での制空戦闘機の検討時期に、各方面のキーマンからファイター・マフィアと呼ばれる少人数のグループが出現していた。その中の一人、ジョン・ボイドは自らの「Energy-Maneuverity理論」を基にした判断によりF-Xの最初のRFPを却下し最終版に改定したそれでも不十分と考えた彼らはF-X以降も活動を続け、LWF(Low Weight Fighter:軽量戦闘機)計画としてF-16およびYF-17F-18の原型)を実現した。

1967年8月にマクダネル・ダグラス社とジェネラル・ダイナミック社と戦闘機に関する6ヶ月の概念作成契約を締結した。

モスクワ航空ショーの翌年の1968年9月に、アメリカ空軍は国内の航空機メーカー8社と研究契約を結び提案要求(RFP)を出した。RFPの主な内容は以下の通り。
  • マッハ0.9、高度30,000ftにおける高G機動でバフェットを生じない
  • 上記空力特性を持つ翼を使い、広い飛行速度高度域で充分なEnergy-Maneuverity運動能力を持つ
  • 空中給油、または増槽のみで大陸間のフェリーが可能
  • 搭載兵器システムは全任務に対して一人で操作可能
  • 現実的な空対空戦闘を想定して4,000飛行時間の疲労寿命の安全係数を4として試験で証明する
  • 最新の技術を利用したコックピット艤装を行い、特に近接格闘戦ではヘッドアップディスプレィを利用する
  • 理論整備工数は1飛行時間あたり11.3人時のレベル
  • 構成機器の平均故障時間は上記整備工数内で対応
  • コックピットは360度の全周視界
  • 機内設備で主エンジンを起動
  • 機体構造、電気、油圧、操縦システムは戦闘状況下で無事に基地に帰投できる高度の生存性を持つ
  • 対戦闘機戦闘装備状態の総重量は40,000lb(約18.1t)級
  • サブシステム、構成部品、装備品は少なくとも試作品による実証済みのものに限る
  • 最大速度は高空においてマッハ2.5
  • ルックダウン能力を持つ長距離パルス・ドップラー・レーダーを備える

1968年12月、提出された各社案を基にマクドネル・ダグラス社フェアチャイルド社ノースアメリカン・ロックウェル社の3社を選出して詳細提案のための6ヶ月の研究契約を結び、各社は期日通り設計案を提出した。フェアチャイルド社案は胴体の両側の変形デルタの主翼の半幅にエンジンナセルを置き二次元型エアインテークから排気ノズルを一直線に配置した双発一枚垂直尾翼の機体で、ノースアメリカン・ロックウェル社案はオージー翼を持つブレンデッド・ウイング・ボディ構成の胴体下に二次元型エアインテークを付けた胴体内並列双発一枚垂直尾翼の機体だった。これらに対しマクドネル・ダグラス社案の機体は、前縁45度というそれほど大きくない後退角を持つ広い面積の主翼を持っていた。これは当時の超音速戦闘機にはまず採用されることのないものだった当時の完成予想図では尾部下面にF-16Su-27の様なフィンを備え、キャノピーの形状も現状のものと異なっていた。

原型機発注
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Wikipedia画像へのリンク(主翼先端及び水平尾翼の形状が異なるのがわかる)
1969年12月にアメリカ空軍はマクドネル・ダグラス社と開発契約を結んだ。開発にあたり当初12機、1972会計年度で8機の前生産型を発注し、それぞれ以下のような作業やテストが割り当てた。
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F1 ( 1号機)(71-0280) 性能領域の探求、運用特性、外部搭載物テスト F2 ( 2号機)エンジンテスト F3 ( 3号機)アビオニクス開発、気流速度計測(これ以降の機体はAPG-63火器管制装置を搭載) F4 ( 4号機)構造テスト F5 ( 5号機)機関砲・兵装・兵装架射出テスト(これ以降の機体はM61A1 ガトリング砲を搭載) F6 ( 6号機)アビオニクスのテスト、及び飛行制御・ミサイル発射評価 F7 ( 7号機)兵装、燃料、兵装架 F8 ( 8号機)スピンテスト、高迎角評価 F9 ( 9号機)機体、エンジン適合評価 F10 (10号機)レーダー、アビオニクステスト T1 (11号機)複座型評価。後にF-15S/MTDとなる T2 (12号機)複座型。マクドネル・ダグラス社のデモンストレーター。後にF-15Eプロトタイプとなる。 F11 (13号機)実用テスト F12 (14号機)コンフォーマル燃料タンク装備機:実用テスト F13 (15号機)実用テスト F14 (16号機)気象環境テスト。テスト終了後にイスラエルに売却 F15 (17号機)使用されず、イスラエルに売却 F16 (18号機)実用テスト、及びデモンストレーター後にイスラエルに売却 F17 (19号機)「ストリークイーグル計画」に使用 F18 (20号機)使用されず、イスラエルに売却

1972年6月26日に初号機がマクドネル・ダグラス社セントルイス工場で完成。同日、ロールアウトを記念した式典が行われた。

後日一旦分解されC-5輸送機によりカルフォルニア州エドワーズ空軍基地への搬入・再組み立てを受け7月27日モハーヴェ砂漠上空でマクドネル・ダグラス社チーフテストパイロットのアービン・L・バローズにより約50分間の初飛行を実施した。1973年7月には飛行回数1,000回を数え、その間に最大速度マッハ2.5、最大到達高度18,290mを記録した。

2年余りに及ぶ原型機による試験・評価作業による修正は以下の細部変更に止まり、原設計の堅実さを証明することとなった。
  • 主翼端後部の切り落とし
  • 水平安定板へのドッグ・トゥースの追加
  • エア・ブレーキの大型化とそれに伴う開度制限
    • レイクンヒース基地(イングランド) - 第48戦術戦闘航空団第493戦闘飛行隊
    • フロリダ空軍州兵(ジャクソンビル国際空港) - 第125戦闘航空団第159戦闘飛行隊
    • ハワイ空軍州兵(ヒッカム空軍基地) - 第154航空団第199戦闘飛行隊
    • マサチューセッツ空軍州兵(バーンズ空港) - 第104戦闘航空団第131戦闘飛行隊
    • モンタナ空軍州兵(グレートフォールズ国際空港) - 第120戦闘航空団第186戦闘飛行隊
    • オレゴン空軍州兵(ポートランド国際空港) - 第142戦闘航空団第123戦闘飛行隊
    • ルイジアナ空軍州兵(ニューオルリンズ海軍基地) - 第159戦闘航空団第122戦闘飛行隊
    • F-14アメリカグラマン社
    • F-15(アメリカ:マクドネル・ダグラス社)
    • F-16(アメリカ:ジェネラル・ダイナミクス社
    • F-17(アメリカ:ノースロップ社
    • ミラージュF1フランスダッソー社
    • J37スウェーデンサーブ社
    • トーネード IDS(欧州共同開発)
      • セントラルコンピューターの処理能力向上と新型空対空ミサイル(AAM-4)搭載のための火器管制装置のアップグレードに向けた電気配線の追加。
      • 兵装コントロールパネルをアナログ式からディスプレイ式に変更。
      • F-15J 42-8944号機以降、F-15DJ 52-8088号機以降の機体に、エンジンをデジタル制御化して耐久性が向上したF100-IHI-220Eへ変更。
      • F-15J 62-8958号機以降にはJ/APQ-1後方警戒レーダーを追加装備。
      • St.3及びSt.4、St.6及びSt.7のAU-106/Aミサイルランチャー中央部の製造メーカー名プレートを前方に移動し、プレートのあった位置のやや後方にコネクターを追加。
      • ミサイル取り付けリング中央部のワイヤーの除去。
        • セントラルコンピューターの再換装
        • レーダーを従来のAPG-63から改良型機械式アンテナアレイのAPG-63(V)1へ換装。((v)3への再改修も容易。)
        • 空調設備と発電装置の改良
        • AAM-4/4改の運用能力獲得(試改修初号機には実装されず)
        • 通信装置への電波妨害対処機能付加(試改修初号機には実装されず)
        • 飛行記録装置(フライトデータレコーダー)の追加(試改修初号機には実装されず)
        • 射出座席の改良(試改修初号機には実装されず)
        • 戦闘機データリンク(FDL・戦術データリンクJTIDS)の搭載に向けた空間と配線の確保(試改修初号機には実装されず)
        • 2008年(平成20年):20機の予算を取得。この一括調達により約168億円の経費を節減朝雲ニュース2月21日付け。2009年度予算の概算要求で22機の取得を提示している。予算成立は2009年3月の見込み。中期防期間内で定められた予算化機数を超過するため2008年度中にも中期防を改訂する予定である。
        • IRST(赤外線捜索・追跡装置)の搭載
        • ヘルメット装着式表示装置(HMD)への対応
        • 統合電子戦システムの搭載
        • 2002年(平成14年):開発開始。
        • 2007年(平成19年):3月8日に形態二型試改修初号機(32-8942)を飛行開発実験団に再納入し実用試験を開始し、一連の試改修事業を年度内に終了した。
    • 2007年(平成19)11月2日に米本土のミズーリ州同州空軍に所属するF-15Cが空中分解し墜落した。このためアメリカ空軍は4日に実践参加機を除くF-15系全機を機体構造の点検のために飛行停止とした。連絡を受けて防衛省も11月5日には配備しているF-15J及びDJ全機を飛行停止とした。航空自衛隊ではF-2を飛行停止としていた2007年10月31日F-2離陸直後に墜落し炎上した事故対策。原因が配線接続ミスと判明し各機体の点検作業を行い11月16日以降に順次飛行を再開ため、同20日のF-15の飛行停止解除までの間、通常配備の防空機は旧式のF-4EJ改だけとなっていた。
    • キング・アダブル・アジス空軍基地 - 第13飛行隊
    • プリンス・ファハド空軍基地 - 第6飛行隊
    • カミス・ムシャイト空軍基地
    • イラン・イラク戦争中の1984年6月5日にサウジアラビア領空に接近したイラン空軍のF-4をアメリカ空軍のAWACSがレーダーに捉えた。ペルシャ湾を航行するイラク行きタンカーへの攻撃を意図するものと判断したサウジアラビア空軍は2機のF-15を差し向ける。2機のF-15はF-4が進路変更の意思がないとしてスパローにより2機を撃墜しサウジアラビア所属F-15の初戦果となった。その1時間後には10を超すイラク軍機の接近をレーダーが捉えたためサウジアラビア空軍はそれに匹敵する数のF-15を緊急出撃させた。最終的には30以上の目標をレーダーが捉えたがイラク軍機が突如反転したため戦闘は回避された。結果的にアメリカにおける主力戦闘機F-15がその前の主力戦闘機のF-4を葬り去るという興味深い戦闘だったといえる。
    • 湾岸戦争では「砂漠の嵐作戦」に参加したF-15がイラク領内でイラク空軍のミラージュF1を2機撃墜した。湾岸戦争において、アメリカ空軍以外で唯一の空対空撃墜となった。
      • 滑走路の寸法1,500×50ft(457×15m)
      • 夜間や悪天候(雲底200ft、視程1/2マイル)での運用能力
      • 濡れた滑走路での運用
      • 30ktの横風下での離着陸
      • 通常のF-15と同様の機内、及び機外装備形態での運用
      • 2次元のスラスト・ベクタリング/スラスト・リバーシング排気ノズル(2D TV/TR)
      • 飛行操縦及びエンジン制御システムの統合(IFPC)
      • 未舗装地運用可能な降着装置
      • 機上着陸誘導表示装置
      • 先進パイロット・航空機インターフェイス(PVI)システム
      • MIL-1750規格のマイクロプロセッサーによる飛行操縦装置
      • 一時フライト・パス操縦に排気方向変向、またはスラスト・リバース用いたシステムの統合
      • メカニカルや各種デジタル式のバックアップ操縦系統なしの4重のFBW
      • 通常型排気ノズルフェイズ:25回
      • 2D TV/TR機能チェック飛行:5回
      • フェリー飛行:2回
      • 飛行可能領域拡張飛行:30回
      • 性能確認フェイズ:20回
      • 技術開発フェイズ:10回
      • 使用法決定フェイズ:5回

特徴

機体
外形はF-111F-14の可変後退翼、F-16ブレンデッドウィングボディといった新機軸を採用することなく、MiG-25A-5といった前例のある肩翼配置クリップトデルタ翼に双垂直尾翼と全浮動の水平尾翼を配置した堅実な構成で、主翼はコニカルキャンバーを与えることで前縁フラップを省略して単純フラップと補助翼のみを動翼とした簡素なものである。なお、主翼付け根の膨らみはストレーキ類似の離着陸性能と運動性向上の効果を持つ。この主翼付け根の膨らみは機関砲の内蔵スペースともなり、また、後方へ延長されて尾翼の取り付け部となっている。
胴体上面キャノピー後方に大型のエアブレーキを装備してドラグシュートを廃止している。このエアブレーキは、アルミ・ハニカムと炭素繊維複合材を組み合わせた軽量構造になっている。水平尾翼と垂直尾翼はチタン、間にアルミ・ハニカム、表面をボロン繊維複合材を使用し、軽量かつ強固な構造となった。他にも、軽量化と耐熱性強化のためにエンジン周りや主翼取り付け部の円矩などの各所に構造重量の25%以上に及ぶチタン合金を使用しており、外形からは窺えないF-15の特徴となっている。
機体最上面に張り出す涙滴型キャノピーは単座型と複座型で大差がない程の大きな空間により抵抗を増やさず360度の視界を確保している。初期の機体では高温強度の高いポリカーボネートにアクリルを拡散蒸着した材質だったが、紫外線による劣化で曇りが出たため強化アクリルガラスに変更された。
操縦系統は操縦桿・ペダルと舵面の油圧サーボ・シリンダーをメカニカル・リンクで接続し、方向舵及び水平尾翼とのリンクに並行してCAS(Computer Augumentation System)を追加して安定増強や操舵補正を行っている。F-16のようなフライ・バイ・ワイヤとはなっていないが、メカニカルリンクが破損してもCASにより飛行を継続できる。
アビオニクス
火器管制システムは高性能のレーダー(APG-63/70シリーズ)を中心とした高度の自動化設計により単座運用を実現している。APG-63レーダーの最大探知距離は小型戦闘機程度の投影面積(レーダー・クロス・セクション)の目標に対しては100nmとされている。搭載のデータリンクを使用した早期警戒管制機(AWACS)との連携により高度の迎撃能力を発揮する。機密性が高く輸出を許可していなかったTEWS(Tactical Electronic Warfare System:戦術電子戦システム)はAN/ALR-56レーダー警戒受信機、AN/ALQ-128電子戦警戒装置、AN/ALQ-135内蔵妨害装置、AN/ALE-45 チャフフレアディスペンサを統合し、自動化を進めたものである。
エンジン
Wikipedia画像へのリンク(テスト中のF100)
プラット・アンド・ホイットニー社のF100ターボファンエンジンを2基装備する。初期型のF100-PW-100でも1基当たり10,810kgの推力を発揮するため、何も装備しない("クリーンな")状態であれば推力重量比は1を超え、主翼揚力を利用せずにエンジン推力だけで垂直に上昇できることになる。実用上は推力のみで上昇できることに意味はないが、十分な余剰推力は高機動下における急激な運動エネルギー損失の回復に生かされる。
胴体の左右にある二次元型インテークは、上方4度下方11度で可動し内部の可動式斜板やバイパス口と協調動作して様々な姿勢及び速度において、適切にエンジンに外気を誘導する。
持続時間制限を受けない最高速度はマッハ2.3であり、マッハ2.3を超え公称最高速度の2.5まではエンジン吸入空気温度その他の制限から1分間以内の過渡使用に制限されている。
なおF-15Aでも高度10,000ft〜45,000ft格闘戦闘時基準重量33,000lb前後ならばミリタリー推力により僅かながらマッハ1.0を超える速度での飛行が可能である。
武装
F-15の武装はベトナム戦争の戦訓より固定装備とした右翼の付根前縁のM61A1バルカン砲(装弾数940発)を始め、主翼下の2か所のパイロンの両側のサイドレールに計4発のAIM-9 サイドワインダー、胴体下面の4か所のランチャーに計4発のAIM-7 スパローとなっている。
M61A1バルカン砲の940発という装弾数はF-4に比べて約50%増しであり、14バースト(1バーストとは約1秒の射撃のこと)の射撃を行える。機関砲の射線は空中戦用途を主として機体の基準線から2度上に向けている。
スパローの電波誘導セミアクティブホーミング方式は電波誘導アクティブホーミング方式ではミサイル自体で行う目標への電波照射を母機から行うため、誘導部が簡単で小型軽量になる代わりに命中まで母機の運動を制約するという欠点を持つ。このため、半導体技術の進歩により誘導部の小型化を果たしたアメリカ軍AIM-120 AMRAAM航空自衛隊99式空対空誘導弾といった電波誘導アクティブホーミングミサイルの運用能力がF-15に追加されている。
この他にも各国向けの仕様の変更や使用武装の追加など様々な更新を正式採用以後も受けている。
拡張性
約30年も前に設計された機体であるが、将来の発展のための余裕を持った設計とされたため、ロシアのSu-27、国際共同開発のユーロファイター タイフーン、フランスのラファール等の新鋭機の登場した現在でも、各種の近代化改修(新型ミサイル対応、アビオニクス、エンジンの換装)によって第一線での任務をこなす能力を維持している。
Image:F-15 takeoff.jpg|アフターバーナーを使用して離陸するF-15C Image:USAF F-15C fires AIM-7 Sparrow.jpg|AIM-7 スパローを発射するF-15C Image:McDonnell Douglas F-15A 061006-F-1234S-095.jpg|無誘導爆弾を搭載したF-15A Image:F-15 Eagle Nozzles.jpg|エンジンノズル Image:Tail of an F-15 Eagle.jpg|先端にIRCM装置を備えた垂直尾翼
嘉手納基地の米空軍所属F-15C(1986年) Image:M61 on f15.JPG|右主翼前縁に備わるM61バルカン砲 Image:F-15 Eagle overhauled 1.jpg|大型のエアブレーキ Image:F-15 Eagle Cockpit.jpg|コックピット Image:Self cockpit view and three-ship formation of F-15E.jpg|360度の視界が確保されたキャノピー
画像は同形状のF-15Eのもの Image:AIM-9X F-15C 2002.JPEG|左主翼下に搭載されたAIM-9X
胴体部分にはミサイル架も確認できる

ストリーク・イーグル

Wikipedia画像へのリンク(計画に使用されたF-15
機首部分に「STREAK EAGLE」の文字が読める
(画像は腐食防止のために再塗装されたもの))

F-15の性能を示す一例として「ストリーク・イーグル」がある。これは1975年当時の上昇時間記録に対してF-15原型機の内の1機を使用して更新を狙ったアメリカ空軍によるプロジェクトマクドネル・ダグラス社側もこの計画を強く推進した。で、名称中のstreakには本来の「電光石火の」という意味に、塗装を剥がす改装からの当時流行した裸で人前を走り回る「ストリーキング」をかけている。これは記録更新機自体の名称にもなった。

1962年に行われたアメリカ海軍の「プロジェクト・ハイジャンプ」においてF-4は3,000、6,000、9,000、12,000、15,000、20,000、25,000、30,000mの8高度までの到達記録を更新した。

それに対して1973年にソビエト連邦はMiG-25の特殊改造機(E266)により20,000から30,000mまでの3つの記録を更新していた。本計画は国際機関の公認する上昇記録をソビエト連邦やアメリカ海軍から奪取することでアメリカ空軍の持つF-15の優位を誇示する狙いがあった。

原型5号機と19号機から約360kg軽い19号機を選び、レーダー・緊急用フック・機銃など不要な装備品を取り外し塗装すら剥がした。ただし、特別な推力装置の追加といった改修・改造を施してはいない。計測は1975年の1月16日から2月1日にかけてノースダコタ州グランド・フォークス空軍基地で空軍のロジャー・スミス少佐、W・R・マクファーレン少佐、デイブ・ピーターソン少佐の操縦により行われた。その結果、以下の様に8つの上昇記録をすべて更新した。機体の改修に要したコストは210万ドルだった。
到達高度 従来記録[秒] プロジェクト記録[秒]
3,000m34.5225.57
6,000m48.78739.33
9,000m61.62948.86
12,000m77.15659.38
15,000m114.5077.02
20,000m169.80122.94
25,000m192.60161.02
30,000m243.86207.80
ソビエトはこの記録更新に対して、同年5月にMiG-25の特殊改造機E-266Mにより25,000mを154秒、30,000mを189秒と更新している。

現在ではSu-27/P-42が3,000mから15,000mまでの記録を更新しているため、F-15は20,000mの記録のみ保持している。

アメリカ空軍での運用

概要
Wikipedia画像へのリンク(第65アグレッサー飛行隊所属機(2007年)
Su-27のものを模倣した塗装が施されている)
1976年バージニア州ラングレー空軍基地の第1戦術戦闘航空団がF-15Aを受領し、初の実戦部隊となる。以降、F-4F-104F-106といった旧式化した戦闘機と置き換える形でアメリカ国内の部隊や在日アメリカ空軍在欧アメリカ空軍の部隊へ配備が行われた。また、アメリカ空軍州兵への配備も行われた。
当初はF-15が制空戦闘機要撃機の役割を担う予定だったが、高価な機体であるためにアメリカ軍でも十分な数を調達し切れず、安価なF-16を開発して大量に配備する「Hi Lo Mix(ハイローミックス)」運用となっているF-16はアメリカ空軍・海軍合わせて2,244機が調達されたが、F-15は911機に止まる。。この体制は、後継機種であるF-22F-35にも引き継がれる。
最終的なアメリカ空軍のF-15A/B/C/D購入数は911機で、2007年11月現在でも442機を保有している。
当時、要撃機として運用されていたF-106の老朽化が進み、その後継としてアメリカ海軍F-14と採用を争った。しかし結果としてどちらにも決定されなかった。結局はF-106が退役するに伴い、なし崩し的にF-15およびF-16が要撃任務を引き継ぐ恰好になっているF-16の場合はスパローの運用能力を追加する改造が行われたが、F-15は適合性取得のための追加は行われていない。
現在は派生型のF-15Eや、後継機であるF-22の調達により数を減らしている。
配備開始
アメリカ空軍はまず、1974年11月14日にアリゾナ州にあるルーク空軍基地の第58戦術戦闘訓練航空団に複座型の量産一号機を配備し、以降も優先的にこの部隊へ配備を進めた。この部隊では後に編成される部隊の中核要員として、ベトナム戦争の従軍経験のあるF-4やF-104のベテランパイロットを主体に機種転換訓練を実施した。
1976年1月9日バージニア州ラングレー空軍基地の第1戦術戦闘航空団がF-15Aと機種転換訓練を終えたパイロットの編入により最初の実戦部隊となった。以降はアメリカ国内のF-4部隊の更新が続き、1979年までにニューメキシコ州ホロマン空軍基地の第49戦術戦闘航空団、フロリダ州エグリン基地の第33戦術戦闘航空団がF-15A/Bの受領を開始した。
また、1980年からは生産がF-15C/Dに切り替わり、F-4およびA/B型を並行して更新することとなった。F-15C/Dの配備は迅速に行われ、同年8月には海外の部隊も含めたすべての実戦部隊がC/D型の受領を完了した。余剰となったF-15A/Bは第58戦術戦闘訓練航空団の後身である第405戦術訓練航空団や、新たに編成されたフロリダ州ティンダ空軍基地の第325戦術訓練航空団へ配備された。また、アメリカ空軍の予備部隊とも言えるアメリカ空軍州兵(Air National Guard)へ、2005年には第65アグレッサー飛行隊へ余剰となったF-15の配備も行われている。
海外の部隊への配備
アメリカ本土以外での最初の配備は1977年1月5日から西ドイツ西部のビットブルク空軍基地駐留の第36戦術戦闘航空団へ行われ、F-15A/Bの約80機、3個飛行隊が編成されワルシャワ条約機構軍攻撃機の迎撃の任務に就いた。1980年からは順次F-15C/Dへと更新されている。ワルシャワ条約機構軍の侵攻の際に出来るだけ打撃を受けないようにという配慮から国境からできるだけ遠いこの基地が選ばれた。
次は1978年9月にオランダのソエステルベル基地第32戦術戦闘飛行隊に配備された。アムステルダムに近いこの基地が選ばれたのは、ワルシャワ機構軍が西ドイツに侵攻する場合、ソビエト軍の長距離爆撃機が北海バルト海から侵入すると予想されていたためである。
1985年にはアイスランドの第57戦闘迎撃飛行隊に配備されたF-4と入れ替えが行われた。この部隊もソビエト軍長距離爆撃機の迎撃任務を主としていた。
極東では1979年日本嘉手納空軍基地に所属する第18戦術戦闘航空団の老朽化したF-4の交替機としてF-15C/Dを順次配備し、1980年8月に3個飛行隊すべての更新を完了した。
配備基地
Wikipedia画像へのリンク(ルイジアナ空軍州兵第159戦闘航空団第122戦闘飛行隊所属のF-15A)
Wikipedia画像へのリンク(旧西ドイツ空軍(1982年当時)のRF-4Eと第33戦術戦闘航空団第58戦闘飛行隊所属のF-15A(S/N 76-0033号機とS/N 76-0058号機))
アメリカ国内
太平洋空軍
在日アメリカ空軍
在欧アメリカ空軍
アメリカ空軍州兵
冷戦の終結以降は旧東側、現在ではNATOの一員となっているルーマニアのコスタンツァ基地など、多くのNATO軍基地にF-15が展開している。
一方で、後継機のF-22などの配備に伴い更新が進められている。
まず、2005年にラングレー空軍基地の第1戦闘航空団に編成されている3個飛行隊のうち、2個飛行隊がF-22に更新された。2006年にはアラスカ州エルメンドルフ空軍基地とニューメキシコ州ホロマン空軍基地、ハワイ州ヒッカム空軍基地への更新・配備が行われた。フロリダ州ティンダル空軍基地の転換訓練飛行隊への配備も行われる予定である。
Image:F-15a-73-0092-555tfts-58tftw-jul75.jpg|ルーク空軍基地第58戦術戦闘訓練航空団のF-15A(1975年) Image:F-15 vertical deploy.jpg|フレアを放つアメリカ空軍第325戦術訓練航空団所属のF-15D Image:USAF Agressor Flight.jpg|第57戦術戦闘航空団第65アグレッサー飛行隊所属のF-15とF-16
F-15 ASAT
1983年、当時のロナルド・レーガン大統領の推し進めた一連の「SDI計画」(スター・ウォーズ計画)の中に、F-15を衛星攻撃ミサイルの発射母機とする計画が存在した。
古くは1962年F-4を発射母機とする「カレブ」という四段式固体燃料ロケットの開発、及び二段式ロケットの発射実験を行ったのが始まりである。
この実験ではSDI計画の発表以前の1979年からボート社に発注されていた二段式の試作型攻撃破壊ミサイル「ASAT」を使用した。弾頭部はその形状から「フライング・トマト・キャン」と呼ばれた。空中発射実験は1984年1月12日に、実際に軌道上の目標に対する発射実験は1985年9月13日に行われた。
これらは計画の大幅な見直しで実験が中断され、「ASAT」とパッケージ化されアメリカ西部海岸防空の為に編成された第318迎撃戦闘飛行隊も解散した。また、計画の一部はMD計画に引き継がれている。(衛星攻撃兵器ミサイル防衛も参照のこと)
実戦投入
アメリカ軍所属のF-15の初の実戦は1990年に発生した湾岸戦争であり、初飛行から18年後となる。
湾岸戦争
:1990年8月2日イラク軍は隣国クウェートに侵攻し約4時間でクウェート市を占領、8月6日にはサウジアラビア国境付近まで展開した。これに対してサウジアラビアはアメリカ合衆国を含む友好国に派兵を要求、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時)は即座に派遣を決定した。要請の翌日である8月7日から、バージニア州ラングレー基地の第1戦術戦闘航空団第71戦術戦闘飛行隊の24機のF-15Cは10回以上の空中給油を繰り返し大西洋から地中海まで13,000kmを15時間無着陸で横断し、アメリカ軍で最初に派遣された部隊ともなった。
1990年8月2日イラク軍は隣国クウェートに侵攻し約4時間でクウェート市を占領、8月6日にはサウジアラビア国境付近まで展開した。これに対してサウジアラビアはアメリカ合衆国を含む友好国に派兵を要求、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時)は即座に派遣を決定した。要請の翌日である8月7日から、バージニア州ラングレー基地の第1戦術戦闘航空団第71戦術戦闘飛行隊の24機のF-15Cは10回以上の空中給油を繰り返し大西洋から地中海まで13,000kmを15時間無着陸で横断し、アメリカ軍で最初に派遣された部隊ともなった。
:この派遣を皮切りに、当時最新鋭だったF-15Eを含むアメリカ空・海軍の飛行隊が、順次サウジアラビア入りした。11月29日国際連合にて「安保理決議678」が採択され、イラク軍のクウェートからの撤退期限を1991年1月15日としたが、それまでの間のサウジアラビアへの部隊配備や物資輸送作戦を「砂漠の盾」作戦と呼称し、F-15は24時間のフル稼働で戦闘空中哨戒を行った。
この派遣を皮切りに、当時最新鋭だったF-15Eを含むアメリカ空・海軍の飛行隊が、順次サウジアラビア入りした。11月29日国際連合にて「安保理決議678」が採択され、イラク軍のクウェートからの撤退期限を1991年1月15日としたが、それまでの間のサウジアラビアへの部隊配備や物資輸送作戦を「砂漠の盾」作戦と呼称し、F-15は24時間のフル稼働で戦闘空中哨戒を行った。
Wikipedia画像へのリンク(F-15とF-15E、F-16による編隊)
:イラクは1月15日の撤退期限を無視。このため多国籍軍は、1月17日「砂漠の嵐」作戦(Operation Desert Storm)を発動させる。同日の早朝、イラク領内の爆撃のためにF-15EF-111などの護衛として4機のF-15Cが出撃した。イラク上空を警戒中の早期警戒管制機E-3が所属不明機の機影を捉えて連絡、F-15はIFF味方識別コード)での識別後、AIM-7Fを発射。パイロットのテイト大尉がアメリカ空軍のF-15による最初の撃墜を記録することとなった。この撃墜は湾岸戦争での最初の撃墜記録ともなっている。同日、この撃墜を含め3機のMiG-29と3機のミラージュF1の撃墜が確認されている多国籍軍に参加したフランス軍に対して、フランス空軍のミラージュF1を間違って撃墜してしまう危険があるため、あえて同機を参戦させないように特に要請がなされたと言われる。
イラクは1月15日の撤退期限を無視。このため多国籍軍は、1月17日「砂漠の嵐」作戦(Operation Desert Storm)を発動させる。同日の早朝、イラク領内の爆撃のためにF-15EF-111などの護衛として4機のF-15Cが出撃した。イラク上空を警戒中の早期警戒管制機E-3が所属不明機の機影を捉えて連絡、F-15はIFF味方識別コード)での識別後、AIM-7Fを発射。パイロットのテイト大尉がアメリカ空軍のF-15による最初の撃墜を記録することとなった。この撃墜は湾岸戦争での最初の撃墜記録ともなっている。同日、この撃墜を含め3機のMiG-29と3機のミラージュF1の撃墜が確認されている多国籍軍に参加したフランス軍に対して、フランス空軍のミラージュF1を間違って撃墜してしまう危険があるため、あえて同機を参戦させないように特に要請がなされたと言われる。
以降の作戦期間中、アメリカ空軍所属のF-15(E型を除く)は38機のイラク軍機を撃墜し被害はゼロだった。撃墜した38機のうちの約六割がAIM-7による撃墜である。
:以降の作戦期間中、アメリカ空軍所属のF-15(E型を除く)は38機のイラク軍機を撃墜し被害はゼロだった。撃墜した38機のうちの約六割がAIM-7による撃墜である。
:この一方的な戦果には、湾岸戦争の交戦規定ではベトナム戦争では禁じられていた目視外距離戦闘の許可による影響が大きい。IFFの照合のみで敵味方を判断してAIM-7を使用することで一方的に撃墜でき、さらにE-3などの早期警戒管制機とのデータリンクによって成果を上げている。皮肉にも、ベトナム戦争で果たされなかったミサイルキャリアーの概念を、ベトナム戦争の戦訓から生まれた格闘戦闘機F-15が実現したといえる。
この一方的な戦果には、湾岸戦争の交戦規定ではベトナム戦争では禁じられていた目視外距離戦闘の許可による影響が大きい。IFFの照合のみで敵味方を判断してAIM-7を使用することで一方的に撃墜でき、さらにE-3などの早期警戒管制機とのデータリンクによって成果を上げている。皮肉にも、ベトナム戦争で果たされなかったミサイルキャリアーの概念を、ベトナム戦争の戦訓から生まれた格闘戦闘機F-15が実現したといえる。
コソボ紛争
:コソボ紛争にもF-15は投入された。しかし、空中戦がほとんど発生しなかったため、AIM-120によってMiG-29を4機撃墜したに留まっている。
コソボ紛争にもF-15は投入された。しかし、空中戦がほとんど発生しなかったため、AIM-120によってMiG-29を4機撃墜したに留まっている。
イラク戦争
:第1戦闘航空団第71飛行隊所属のF-15が、2003年イラク戦争でイラク軍のミラージュF1を撃墜している。
第1戦闘航空団第71飛行隊所属のF-15が、2003年イラク戦争でイラク軍のミラージュF1を撃墜している。
近代化改修
現在、アメリカ空軍のF-15はMSIP-1及びMSIP-2と呼ばれる近代化改修を行っている。
MSIP-1
: F-15A/Bに対して段階的に行われた近代化改修、レーダーをAPG-63 (V) 1へ、エンジンをF100-PW-220へ交換、電子戦機器の近代化を行った。改修対象外となった多くの機体はモスボールされている。これらについて一時ボーイング社が一時期東欧諸国へC/D相当に改修した上での売却を計画していた。
F-15A/Bに対して段階的に行われた近代化改修、レーダーをAPG-63 (V) 1へ、エンジンをF100-PW-220へ交換、電子戦機器の近代化を行った。改修対象外となった多くの機体はモスボールされている。これらについて一時ボーイング社が一時期東欧諸国へC/D相当に改修した上での売却を計画していた。
MSIP-2
: F-15C/Dに対して1989年から行われた近代化改修、レーダーをAPG-70、更にAPG-63 (V) 1(一部の部隊では、アクティブ・フェーズドアレイレーダーである APG-63 (V) 2 AESAやAPG-63 (V) 3)へ、計器のデジタル化、AIM-9Xに対応した機器の追加、リンク16への対応等を段階的に行う。
F-15C/Dに対して1989年から行われた近代化改修、レーダーをAPG-70、更にAPG-63 (V) 1(一部の部隊では、アクティブ・フェーズドアレイレーダーである APG-63 (V) 2 AESAやAPG-63 (V) 3)へ、計器のデジタル化、AIM-9Xに対応した機器の追加、リンク16への対応等を段階的に行う。
21世紀を迎えて
冷戦構造下の1980年代において、F-15の後継機の開発のためのATF計画「先進戦術戦闘機計画」により、ステルス戦闘機F-22が開発された。だが、ソビエト連邦崩壊による冷戦の終結で、1996年末より運用を開始するはずだったF-22の開発・配備計画が先送りとされ、アメリカ空軍に配備されていたF-15に前述の近代化・延命改修が施され、AIM-120などの新型ミサイルの運用が追加された。
こうして、第4世代戦闘機の中でも初期に出現した機体ながら諸外国の戦闘機と十分渡り合える性能を維持し続け、2025年を目処に現用の442機のF-15C/Dを全機退役させる予定だった。
ところが、2007年10月2日に発生したF-15Cの空中崩壊事故を受けて全機を検査した結果、うち180機で金属疲労による老朽化が判明し、当該機を即退役とするために当初の機材繰り予定の大幅な変更を余儀なくされる公算が高まりつつある。

世界のF-15

当初は高価な戦闘機だったため、アメリカ政府はF-15の輸出による機体単価の低減と外貨獲得を目論み、国防上のリスクの低い友好国への積極的なセールスを実施した。ただし結果としてその高価格がネックとなり、諸外国での採用例は少ない。

最初の提案先は、王政時代のイランだった。アメリカと比較的良好な関係にあった当時のイランは(イランの歴史も参照)、ソ連軍の偵察機による度々の領空侵犯への対策として新型戦闘機の導入を計画した。マクドネル・ダグラス社は過去にイランに対してF-4の輸出実績があったため、同じく候補に挙げられていたF-14と競争して売り込みを行った。しかし、イランはF-15の対空火器に加えてAIM-54フェニックスミサイルを運用できるF-14を1973年に選定した。しかしながら、同時期に提案していたイスラエルサウジアラビアではF-15を採用している。

1970年代末には先進国に対する売り込みを図ったが、比較検討を実施したオーストラリアカナダでは価格を理由にF/A-18を採用するなど実績に乏しかった。唯一、日本航空自衛隊1976年12月次期主力戦闘機として採用した。

結局、イスラエル日本サウジアラビアの3か国での採用に終わった基本型は米軍向けや日本でのライセンス生産を含めても1,233機で2007年に生産を完了した。

これら採用各国空軍においては、現在でも第一線に配備されており、今後も長く運用される見通しである。また、各国において近代化改修の計画・実施が行われている。

なお、派生型のE型については、むしろその後登場した新型戦闘機との比較(特にアメリカ空軍における後継機のF-22)では相対的に低価格とみなされ、各国に盛んに売り込まれ、採用例も多くなった。

イスラエル

概要
Wikipedia画像へのリンク(イスラエル空軍所属のF-15A)
Wikipedia画像へのリンク(パイトン3を装備したF-15A)
第四次中東戦争におけるF-4Eの多大な消耗を受けて、早急な戦力回復を図りF-15を導入した。1975年に最初の導入計画を立案し、原型機を含むF-15A/Bを25機発注する。以降段階的に発注を行い、総計でA/B型を44機とC/D型27機の71機を保有する。
ピースフォックス
古くはフランスから軍用機を調達していたイスラエルが、第三次中東戦争後のフランスによるイスラエルに対する武器輸出の禁止を受け、アメリカから軍用機の供給を図ることとなった。その結果1969年よりF-4EA-4を調達している。しかし、ヨム・キプール戦争(第四次中東戦争)における当時の主力戦闘機F-4Eの多大な損耗(27機を喪失)により、早急に戦力の回復が必要となったため、1974年から次期主力戦闘機の選定を開始。翌年に、ほぼ無競争でF-15の導入を決定した。イスラエル空軍は1975年5月に25機の「F-15A/B」を発注する。アメリカ側ではこの計画を「ピースフォックスI」と呼んだ。国情からイスラエルは配備を急いだため、アメリカ空軍は保有の原型機16、17、18、20号機を量産型に改修して1976年5月に引き渡している。
以後、残りの21機を1976年末に引き渡され(ピースフォックスII)、イスラエルは初のF-15A/Bによる部隊「第133飛行隊」を編成した。その後もF-15C/Dタイプを1978年(ピースフォックスIII)と1989年(ピースフォックスIV)までに導入し、合計でF-15A/Bバズ(38機/6機)、F-15C/Dアケフ(16機/11機)の71機を導入した。なお、1994年からF-15Eのイスラエル仕様である「F-15I」の導入を開始している(ピースフォックスV、詳細はF-15E (航空機)を参照)。
機体
国産の対空ミサイルパイソン3の運用能力を追加した。アメリカからの輸出時点では核兵器搭載能力を削除している。TEWSの輸出を認められなかったために、「AN/ALQ-119 (V) ジャミングポッド」「エルタAL/L-8202ジャミングポッド」「AN/ALQ-132フレアポッド」を装備している。
イスラエル空軍は長らく使用していた独自のデザート迷彩をF-15に施したが、近年ではアメリカ空軍航空自衛隊のような制空迷彩へと変更している。
近代化改修 パス2000 (バズメショパー)
1995年開始されたF-15近代化改修プログラムBaz-2000により、INS/GPS航法装置、機内ジャミング発生装置の装備、AIM-120対応及びイスラエル国産ミサイル ダービー、パイソン4、5への対応、DASHヘルメットキューイングシステムの装備、セントラルコンピュータの換装及びF-15E相当のグラスコクピット化を行っている。
実戦投入
初の実戦参加と戦果
: 1977年6月27日レバノン南部のPLOキャンプ攻撃の任を帯びたF-4とA-4をクフィルと共に護衛中、8機のシリア空軍所属MiG-21機と交戦し、ほぼ一方的にサイドワインダーにて4機を撃墜した(イスラエル側の主張。クフィルの撃墜分を合わせて計5機を撃墜し、2機に損傷を与える)。
1977年6月27日レバノン南部のPLOキャンプ攻撃の任を帯びたF-4とA-4をクフィルと共に護衛中、8機のシリア空軍所属MiG-21機と交戦し、ほぼ一方的にサイドワインダーにて4機を撃墜した(イスラエル側の主張。クフィルの撃墜分を合わせて計5機を撃墜し、2機に損傷を与える)。
この戦闘で最初にミグを撃墜したパイロットはマグダネル・ダグラスのF-15開発チームに対して世界で最初に戦果を挙げると約束し、それを成し遂げた。
: この戦闘で最初にミグを撃墜したパイロットはマグダネル・ダグラスのF-15開発チームに対して世界で最初に戦果を挙げると約束し、それを成し遂げた。
ガリラヤの平和作戦
: 1982年レバノン侵攻作戦で計40機のシリア空軍機を撃墜した(イスラエル側の主張)。また地対空ミサイル陣地への対地攻撃も実施した。オブザーバーを送っていたソ連は、この戦闘の間にシリアMiG-23MLが3機のF-15を撃墜しているとしたが、西側は認めていない。また、シリア側ではこの他にMiG-21もF-15の撃墜を記録しているが、これはMiG-21の放ったR-3ミサイルがF-15に突き刺さって大破した状態で帰還したという例に相当するようである。このようにF-15は当初計画通りの高い生存性を発揮しており、シリア側が「撃墜」と記録した例も実際はミサイルや弾丸の命中というだけで撃墜には到っていない模様である。
1982年レバノン侵攻作戦で計40機のシリア空軍機を撃墜した(イスラエル側の主張)。また地対空ミサイル陣地への対地攻撃も実施した。オブザーバーを送っていたソ連は、この戦闘の間にシリアMiG-23MLが3機のF-15を撃墜しているとしたが、西側は認めていない。また、シリア側ではこの他にMiG-21もF-15の撃墜を記録しているが、これはMiG-21の放ったR-3ミサイルがF-15に突き刺さって大破した状態で帰還したという例に相当するようである。このようにF-15は当初計画通りの高い生存性を発揮しており、シリア側が「撃墜」と記録した例も実際はミサイルや弾丸の命中というだけで撃墜には到っていない模様である。
事故
片翼着陸
: 1983年に防衛任務の演習中にA-4とF-15Bが空中接触し、ほぼ片翼を失ったF-15が15キロメートル離れた基地への着陸に成功した。その時のパイロット、ズィヴィ・ネヴィーディ大尉は着陸後に自分の機体を見るまで片翼で飛行していた事実を知らなかった。樫村機など、片翼を失った機体が生還した例は特に珍しいものではないが、過去のそうした例は操縦士の技量によるものであり、操縦士が片翼を失ったことを知らずに継続飛行していたというのは、本機の高い生存性を示すものといえる。
1983年に防衛任務の演習中にA-4とF-15Bが空中接触し、ほぼ片翼を失ったF-15が15キロメートル離れた基地への着陸に成功した。その時のパイロット、ズィヴィ・ネヴィーディ大尉は着陸後に自分の機体を見るまで片翼で飛行していた事実を知らなかった。樫村機など、片翼を失った機体が生還した例は特に珍しいものではないが、過去のそうした例は操縦士の技量によるものであり、操縦士が片翼を失ったことを知らずに継続飛行していたというのは、本機の高い生存性を示すものといえる。
墜落
: 1988年8月15日、訓練飛行中に2機のF-15が失われた。この事故で中佐少佐の2名のベテランパイロットが死亡した。
1988年8月15日、訓練飛行中に2機のF-15が失われた。この事故で中佐少佐の2名のベテランパイロットが死亡した。

日本

概要
日本航空自衛隊第3次F-Xにより主力戦闘機として、単座 F-15C の日本型 F-15J 165機と複座 F-15D の日本型 F-15DJ 48機の合計213機を調達した計画当初はDJ型を含めて100機程度だった。1990年の時点では1992年までの生産とされていた。。最初はマクドネル・ダグラス社からの輸入で始まったが、以降は三菱重工でのノックダウン生産ライセンス生産によるJ/DJともに国産化を承認されなかった部品については米国の有償援助で輸入するか、同等の国産機器で代替した。現在でも故障した際の修理のために、胴体部以外の治具を保管している。また、フィート・インチ法による図面とメートル法による工作機械では細かなずれを生じるために、図面をすべてメートル法で書き直した話もある。。一機当たりの調達価格は約120億円といわれている。
導入後、11機(J型:8機 DJ型:3機)を事故で失ったが、2008年現在でも202機を運用しており、アメリカに次ぐ大量保有国となっている。F-15J/DJの配備は旧式化したF-104J及びF-4EJを更新する形で進み、1986年頃からはF-4EJの機数減少とF-104Jの全機退役によって、数の上でもF-15Jが主力戦闘機となった。
航空自衛隊とアメリカ空軍のF-15に細かな装備を除いて外見的な違いはないが、迷彩塗装の色調はアメリカ空軍のものに比べて明るい。また、2005年のアメリカ空軍での再編成までアグレッサー部隊でF-15を使用していたのは航空自衛隊の飛行教導隊だけだった。一方で、F-15保有国では日本のみがF-15Eを採用しておらず、これは対地及び対艦攻撃任務はF-1支援戦闘機(退役済み)とその後継のF-2が担っているためであるF-1の後継機候補にF-15も挙がったが、当時米軍未配備のE型ではなくC型ベースだった。
F-15の空戦能力と高い稼働率、さらにパイロットの高い技量により、諸外国からも航空自衛隊の空戦能力はF-15の導入によって一気に高まったと判断された。
導入経緯
1974年に提出された来年度予算案にて、初めて主力のF-104J/DJF-4EJの後継機、第3次F-X調査費が盛り込まれた。
翌年の調査では13種挙げていた候補から
の七機種に絞った。1976年の選定でF-14、F-15、F-16の三機種を候補として選出した。
その最中、1976年10月入間基地で行われた「第5回国際航空ショー」では、F-14とF-15のし烈な売り込み合戦が行われた。この時点でF-15の導入がほぼ確実とされていたが、グラマン社は起死回生を狙い、西太平洋を航行していた原子力空母エンタープライズのアメリカ海軍第二戦闘飛行隊の艦載機F-14を呼び寄せ、対するマクドネル・ダグラス社もアメリカ建国200年記念塗装を施したF-15B(コンフォーマルタンク装備)をアメリカ本土より飛来させた。F-14とF-15の二機はその飛行性能を最大限にアピールするべくデモンストレーション飛行を行った。無論、他のF-X参加企業も自社ブースにてアピールを行うも、前者の二社には及ばなかった。
正式採用
1976年2月、航空自衛隊は次期主力戦闘機としてF-15J/DJを正式採用し、アメリカ側はこのF-15導入計画を「ピースイーグル計画」と呼称した。1978年昭和53年)度予算で初めて調達され、1980年昭和55年)7月にマクドネル・ダグラス社のセントルイス工場で最初の機体が引き渡された。10月にエドワーズ空軍基地での29回の飛行検査後、一旦アメリカ空軍に返され、3月1日にアメリカ軍パイロットにより嘉手納基地に空輸された。
航空自衛隊パイロットの適合訓練の終了を待った約1か月後の3月27日に岐阜基地へ空輸され、そこでアメリカ軍マークを日の丸に描き直した。そこで到着したばかりの2機のF-15Jをバックに、防衛庁関係者や企業関係者による記念撮影が行われている。なお、この最初の2機(02-8801/802)は三菱重工で再組み立てを受けている。続く8機(12-8803 - 22-8810)はノックダウン生産、残りは部品を国産化したライセンス生産で155機(22-8811 - 82-8965)を調達した。
F-15DJはJ型と同時に、最初の12機(F-15C/Dのblock 26相当、12-8051 - 52-8062)を完成品輸入、8機(82-8063 - 92-8070)をノックダウン生産、28機(02-8071 - 92-8098)をライセンス生産で調達した。製造に関わった国内企業は、以下の通りである。
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企業名担当 三菱重工(主契約社)機体 川崎重工 主翼、後胴、尾翼 住友精工主脚、前脚 富士重工前脚・主脚扉、チタン合金ケミカルミリング加工 日本飛行機パイロン,AAMランチャー 新明和工業機外燃料タンク 石川島播磨重工業エンジンF100 日特金属工業株式会社
(現在は住友重機械工業に吸収合併)20mm機関砲システム 三菱電機レーダーセット AN/APG-63, UHF無線機 AN/ARC-164, UHF/DF装置 OA-8639/ADR, インディケーターグループ OD-60/A, 姿勢方位基準装置 AN/ASN-108, 対気諸元計算装置 AN/ASK-6, セントラルコンピューター CP-1075/AYK 日本電気タカン装置 AN/ARN-118(V) 日立製作所データリンク装置 J/ASW-10 東洋通信機IFF応答装置 AN/APX-101(V), IFF質問装置 AN/APX-76A(V) 島津製作所ヘッド・アップ・ディスプレー AN/AVQ-20 東京芝浦電気リードコンピューティング・ジャイロ CN-1377/AWG, 慣性航法装置 AN/ASN-109 東京計器製作所レーダー警報装置 J/APR-4
J型の生産は1998年11月4日の165号機、DJ型は1999年10月25日の48号機で終了し12月10日までに合計213機の配備となった。
部隊配備
Wikipedia画像へのリンク(旧第202飛行隊所属のF-15J
航空自衛隊では2機1チームでスクランブルに対応する)
F-15J/DJは、F-104飛行隊である200番台の飛行隊、及びF-4飛行隊である300番台の飛行隊に配備された。1981年(昭和56年)12月7日に、アメリカ合衆国ルーク空軍基地でアメリカ空軍要員と共に訓練を受けたパイロットが中心となり、宮崎県新田原基地に臨時F-15飛行隊が編成され、1982年(昭和57年)12月21日に第202飛行隊(元F-104J配備)に改編した。F-15J要員の転換訓練部隊でもあった第202飛行隊には、F-15J型の複座型であるF-15DJが集中的に配備された。以後、1993年(平成5年)までに203、204、201、303、304、305の各飛行隊をF-104J/DJ、F-4EJからF-15J/DJ飛行隊に改編した。
飛行教導隊1990年(平成2年)に5機のF-15DJを受領し、使用機をT-2から更新した前述の通り、アメリカ空軍の第65アグレッサー飛行隊が再編成されるまで、アグレッサー部隊で高価なF-15を使用していたのは航空自衛隊のみだった。導入当初は教導隊のT-2と一般部隊のF-15とでは性能格差が発生するために教導隊もF-15を導入したとの指摘があるが、実際にはT-2運用中にパイロットに死者が発生する事故が起きたことが大きな要因とされる。
1997年(平成9年)3月には第306飛行隊が第8飛行隊(支援戦闘機部隊)にF-4EJ改を譲ってF-15J/DJ飛行隊へと改編し、8個飛行隊編成となった。その後、T-2での教育を終えたパイロットの機種転換訓練を行ってきた第202飛行隊は、教育飛行隊の新設にともない解隊され、1999年(平成11年)8月3日にF-15臨時飛行教育航空隊が発足し、2000年(平成12年)には正式に第23飛行隊となり、現在は7個飛行隊となっている。
F-104Jが実戦部隊から退いた1986年(昭和61年)からは主力戦闘機として使用している。なお、事故で11機が失われ、2008年9月12日時点で保有数は202機である。
航空自衛隊機はシリアルナンバーがアメリカ空軍と同じ7桁表記(xx-xxxxと表記は同じだが、番号の持つ意味が異なる)になっているが、下3桁が機体記号であり、この3桁は各機体の種類別に割り当てられた番号で、F-15Jは801から965、F-15DJは051から098である。
機体
Wikipedia画像へのリンク(飛行開発実験団のF-15J)
F-15J/DJはF-15C/D型を原型とするがTEWSを提供されなかったためレーダー警報受信機と機内搭載電子妨害装置「ALQ-135」は国産品を開発しチャフ・フレアディスペンサーを個別に輸入してJ/TEWSを構成し代替している。このためアメリカ空軍向けF-15では左の垂直尾翼先端に内蔵され非対称となっているIRCM装置が取り付けられていないため左右対称となっている。
なお、独自装備の一つとしてBADGEシステムから時分割データを受信する日立製作所製「J/ASW-10」を搭載している。
1992年(平成4年)10月17日第305飛行隊の72-8884号機が訓練中に操縦不能となり、パイロットが脱出時にキャノピーによる頭部強打で死亡した事故の対策としてキャノピーブレーカーを追加装備している。
電子機器類の技術移転が少なかったこともあり国内メーカーからは割に合わないとの不満もあった。しかしF-15とパッケージで国産化されたAIM-9LをF-4EJ及びF-4EJ改にも装備できるようになったため用兵上ライセンス生産で得たものは大きかったとする向きもある。兵装についてはF-15C/Dのものに加え、近年では国産ミサイルである90式空対空誘導弾(AAM-3)と99式空対空誘導弾(AAM-4)を搭載する。
三菱による生産中に何度か機体仕様が変更されており、大まかに分類すると2種類のタイプに分かれる。一般に導入初期の機体をPre-MSIP機、導入中期から機体をMSIP機と呼称している。
Pre-MSIP
: 1981年(昭和56年)から1984年(昭和59年)までに調達した機体のことを便宜的にPre-MSIP機と呼称する。該当機体は、F-15J 97機(02-8801号機から82-8898号機)とF-15DJ(12-8051号機から52-8062号機)である。 F-15Jの42-8832号機は1991年(平成3年)に地上滑走中の暴走事故により機首部を損傷したため、三菱重工に陸送され、MSIP機として修理再生され、後に306飛行隊所属となった。
1981年(昭和56年)から1984年(昭和59年)までに調達した機体のことを便宜的にPre-MSIP機と呼称する。該当機体は、F-15J 97機(02-8801号機から82-8898号機)とF-15DJ(12-8051号機から52-8062号機)である。 F-15Jの42-8832号機は1991年(平成3年)に地上滑走中の暴走事故により機首部を損傷したため、三菱重工に陸送され、MSIP機として修理再生され、後に306飛行隊所属となった。
チャフ/フレアディスペンサーは1983年(昭和58年)に調達された機体から装備されている。
: チャフ/フレアディスペンサーは1983年(昭和58年)に調達された機体から装備されている。
J-MSIP(Japan-Multi-Stage Improvement Program)
:日本多段階能力向上計画。米国のMSIPと同様、日本でも調達中に独自の能力向上を実施した。1985年(昭和60年)以降に調達された機体(F-15Jの82-8899号機以降、F-15DJの52-8063号機以降)に適用される。またPre-MSIP機にも順次適用され、トラブルなどで緊急に定期修理(IRAN)入りしたPre-MSIP機にも施されている(正確な数は不明)。MSIP機の最低保有数は105機(J型の損失機はすべてPre-MSIP機)。
日本多段階能力向上計画。米国のMSIPと同様、日本でも調達中に独自の能力向上を実施した。1985年(昭和60年)以降に調達された機体(F-15Jの82-8899号機以降、F-15DJの52-8063号機以降)に適用される。またPre-MSIP機にも順次適用され、トラブルなどで緊急に定期修理(IRAN)入りしたPre-MSIP機にも施されている(正確な数は不明)。MSIP機の最低保有数は105機(J型の損失機はすべてPre-MSIP機)。
:Pre-MSIPとの違いは以下の通り。
Pre-MSIPとの違いは以下の通り。
F-15J/DJ新型空対空ミサイル対応改修
:当初はF-15J/DJのMSIP機の定期修理(IRAN)時に行われていたが、最近ではMSIP機を対象とした近代化改修計画に組み込まれている。
当初はF-15J/DJのMSIP機の定期修理(IRAN)時に行われていたが、最近ではMSIP機を対象とした近代化改修計画に組み込まれている。
改修内容は、AIM-120Bの試験運用時に製作されたプログラムのインストールと搭載インターフェイスの変更により、AAM-4とAIM-120双方の運用能力を追加するもので、具体的な改修機の数は公表されていない。
: 改修内容は、AIM-120Bの試験運用時に製作されたプログラムのインストールと搭載インターフェイスの変更により、AAM-4とAIM-120双方の運用能力を追加するもので、具体的な改修機の数は公表されていない。
:改修機の外見での識別点は以下の二点だが、機体の近くに寄ってU-106/Aを確認する以外の有効な確認方法がないため、識別は困難である。
改修機の外見での識別点は以下の二点だが、機体の近くに寄ってU-106/Aを確認する以外の有効な確認方法がないため、識別は困難である。
対地攻撃能力について
:防衛庁(当時)による昭和53年3月4日付け「F-15の対地攻撃機能と空中給油装置について」では、『ある程度の対地攻撃機能を付随的に併有しているが、空対地誘導弾や核爆撃のための装置あるいは地形の変化に対応しつつ低空から目標地点に侵入するための装置を搭載しておらず、この機能は、主として目視による目標識別及び照準をおこなうことができる状況下において、通常爆弾による支援戦闘を行うための限定されたものである。
防衛庁(当時)による昭和53年3月4日付け「F-15の対地攻撃機能と空中給油装置について」では、『ある程度の対地攻撃機能を付随的に併有しているが、空対地誘導弾や核爆撃のための装置あるいは地形の変化に対応しつつ低空から目標地点に侵入するための装置を搭載しておらず、この機能は、主として目視による目標識別及び照準をおこなうことができる状況下において、通常爆弾による支援戦闘を行うための限定されたものである。
なお、F-15は、対地攻撃専用の計算装置などを有しておらず、対地攻撃の機能に必要な情報処理などは、要撃戦闘に用いられる計算装置を使用してなされるものである。』としている。
: なお、F-15は、対地攻撃専用の計算装置などを有しておらず、対地攻撃の機能に必要な情報処理などは、要撃戦闘に用いられる計算装置を使用してなされるものである。』としている。
近代化改修
: 大きく分けて、F-15J/DJのJ-MSIP機(J×53機:899 - 965、DJ×36機:063 - 098)を対象とした近代化改修計画と、Pre-MSIP機を対称にした近代化改修計画とに分けられる。
大きく分けて、F-15J/DJのJ-MSIP機(J×53機:899 - 965、DJ×36機:063 - 098)を対象とした近代化改修計画と、Pre-MSIP機を対称にした近代化改修計画とに分けられる。
J-MSIP機の近代化改修
: J-MSIP機の近代化改修計画は三菱重工業を主契約としている。当初のJ-MSIP機の近代化改修計画では、改修の進捗状況によって形態一型と形態二型に分けられ、平成17〜21年度対象の中期防衛力整備計画の期間中に合わせて26機を量産改修する予定だった。
J-MSIP機の近代化改修計画は三菱重工業を主契約としている。当初のJ-MSIP機の近代化改修計画では、改修の進捗状況によって形態一型と形態二型に分けられ、平成17〜21年度対象の中期防衛力整備計画の期間中に合わせて26機を量産改修する予定だった。
しかし、米国のF-22の輸出規制措置により2008年に航空自衛隊のF-X選定が先送りされると、F-4EJ減勢による防衛力低下を補う必要が生じた。そこで次期輸送機の獲得を先送りして割り当てた予算で、形態二型の改修の一部を前倒し適用することになった。
航空雑誌等ではこれらの改修機のことを一くくりに「F-15J改」と呼んでいる。
: しかし、米国のF-22の輸出規制措置により2008年に航空自衛隊のF-X選定が先送りされると、F-4EJ減勢による防衛力低下を補う必要が生じた。そこで次期輸送機の獲得を先送りして割り当てた予算で、形態二型の改修の一部を前倒し適用することになった。
: 航空雑誌等ではこれらの改修機のことを一くくりに「F-15J改」と呼んでいる。
:;形態一型
;形態一型
:;改修内容
;改修内容
形態一型機に当初計画通りに実装された改修内容。
:形態一型機に当初計画通りに実装された改修内容。
::;改修内容
::形態一型機に当初計画通りに実装された改修内容。
::;進捗状況
:;進捗状況
;進捗状況
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1997(平成9)年システム設計に着手 1998(平成10)年細部設計開始 1999(平成11)年一部機材の購入を開始 2000(平成12)年レーダーやセントラルコンピュータ等の主要機材を購入 2002(平成14)年試改修作業開始。三菱へF-15J試改修初号機(12-8928)引き渡し 2003(平成15)年7月24日、試改修初号機初飛行。
10月21日、飛行開発実験団へ再納入。技術的追認を実施 2004(平成16)年2機分の改修予算取得 2005(平成17)年4機分の改修予算取得 2006(平成18)年2機分の改修予算取得 2007(平成19)年F-2一括取得のために予算取得見送り
9月12日の量産改修初号機(12-8948)納入後、年度内に2005年度予算取得分までの計6機を納入
:;形態一型 IRST(赤外線捜索・追跡装置搭載実験機)搭載実験機
;形態一型 IRST(赤外線捜索・追跡装置搭載実験機)搭載実験機
:形態二型に進む前の実験機としてF-15J 試改修初号機(12-8928)で搭載実験が行われている。
形態二型に進む前の実験機としてF-15J 試改修初号機(12-8928)で搭載実験が行われている。
::形態二型に進む前の実験機としてF-15J 試改修初号機(12-8928)で搭載実験が行われている。
:;2008年度予算による前倒し改修
;2008年度予算による前倒し改修
:;改修内容
;改修内容
形態一型に形態二型から前倒した以下の改修内容を加えたものとなる平成20年度概算要求の概要3ページ
;進捗状況
:形態一型に形態二型から前倒した以下の改修内容を加えたものとなる平成20年度概算要求の概要3ページ
:;進捗状況
::;改修内容
::形態一型に形態二型から前倒した以下の改修内容を加えたものとなる平成20年度概算要求の概要3ページ
::;進捗状況
:; 形態二型
; 形態二型
:;改修内容
;改修内容
形態二型機で当初計画どおりに実装されると見られる改修内容
当初は形態一型計画に入っていたが実装されずに、形態二型で実装されると見られる改修内容
:形態二型機で当初計画どおりに実装されると見られる改修内容
:当初は形態一型計画に入っていたが実装されずに、形態二型で実装されると見られる改修内容
::;改修内容
::形態二型機で当初計画どおりに実装されると見られる改修内容
::当初は形態一型計画に入っていたが実装されずに、形態二型で実装されると見られる改修内容
::;進捗状況
:;進捗状況
;進捗状況
Pre-MSIP機への自衛隊デジタル戦闘システム(JDCS(F))の搭載
:Pre-MSIP機に新開発する「自衛隊デジタル戦闘システム(JDCS(F))」を搭載して、J-MSIP機同様に戦闘機間や自動警戒管制システム(JADGE)でデータリンクを構成する計画である。J-MSIP機が搭載するLink-16端末をPre-MSIP機に搭載しようとすると、機体の残余容積やデータ処理能力の不足により改修期間と費用が莫大なものとなるため、新規にJDCS(F)を開発することとしている。JDCS(F)はLink-16端末の半分の経費で搭載可能とされ、F-2にも搭載される予定である。2009年から2012年までで試作し2011年から2013年まで試験を実施する。平成20年度 事前の事業評価
Pre-MSIP機に新開発する「自衛隊デジタル戦闘システム(JDCS(F))」を搭載して、J-MSIP機同様に戦闘機間や自動警戒管制システム(JADGE)でデータリンクを構成する計画である。J-MSIP機が搭載するLink-16端末をPre-MSIP機に搭載しようとすると、機体の残余容積やデータ処理能力の不足により改修期間と費用が莫大なものとなるため、新規にJDCS(F)を開発することとしている。JDCS(F)はLink-16端末の半分の経費で搭載可能とされ、F-2にも搭載される予定である。2009年から2012年までで試作し2011年から2013年まで試験を実施する。平成20年度 事前の事業評価
転用計画
F-15J偵察機転用
: 防衛庁(現防衛省)は2004年(平成16年)12月RF-4E/EJ偵察機の後継機として、Pre-MSIP機のF-15Jを使用した試作改修作業を2005年(平成17年)度からの中期防衛計画で行う予定であると公表した。これはRF-4EJと同様、外装式偵察ポッドの運用能力を追加する改修となる。
防衛庁(現防衛省)は2004年(平成16年)12月RF-4E/EJ偵察機の後継機として、Pre-MSIP機のF-15Jを使用した試作改修作業を2005年(平成17年)度からの中期防衛計画で行う予定であると公表した。これはRF-4EJと同様、外装式偵察ポッドの運用能力を追加する改修となる。
10〜12機程度を改造配備する予定であるが、防衛大綱による作戦機体数の削減(作戦機の30機程度の定数減)のため、現有RF-4E/EJをすべて置き換えるわけではない。RF-4EJの寿命が先に尽きるがこの代替ではなく、続いて老朽廃止となるRF-4Eの代替としての配備となる見通しである。
: 10〜12機程度を改造配備する予定であるが、防衛大綱による作戦機体数の削減(作戦機の30機程度の定数減)のため、現有RF-4E/EJをすべて置き換えるわけではない。RF-4EJの寿命が先に尽きるがこの代替ではなく、続いて老朽廃止となるRF-4Eの代替としての配備となる見通しである。
F-15電子戦機転用
:航空自衛隊ではEC-1YS-11EAを電子戦機として保有している。近年の作戦実行の上で不可欠な機種であるが、いずれも老朽化している上に数が少なく速度も遅いため戦闘機と組み合わせた作戦に困難があるため航空幕僚監部でF-15のPre-MSIP機を電子戦機に転用する案を検討している。
航空自衛隊ではEC-1YS-11EAを電子戦機として保有している。近年の作戦実行の上で不可欠な機種であるが、いずれも老朽化している上に数が少なく速度も遅いため戦闘機と組み合わせた作戦に困難があるため航空幕僚監部でF-15のPre-MSIP機を電子戦機に転用する案を検討している。
防衛省技術研究本部2008年(平成20)より「戦闘機搭載型電子防御装置」の開発を始めるとした。計画では平成20年度から平成24年(2012年)度末にかけてシステム設計と母機改修設計を実施し装置一式と試験装置一式を試作する。また平成22年(2010年)度から平成25年(2013年)度にかけて運用環境下での性能確認試験を行う。「戦闘機搭載型電子防御装置」は600ガロン増槽と同じ大きさと形状を持つポッドに収めて母機の飛行性能への影響を避ける。
: 防衛省技術研究本部2008年(平成20)より「戦闘機搭載型電子防御装置」の開発を始めるとした。計画では平成20年度から平成24年(2012年)度末にかけてシステム設計と母機改修設計を実施し装置一式と試験装置一式を試作する。また平成22年(2010年)度から平成25年(2013年)度にかけて運用環境下での性能確認試験を行う。「戦闘機搭載型電子防御装置」は600ガロン増槽と同じ大きさと形状を持つポッドに収めて母機の飛行性能への影響を避ける。
配備基地
ソビエト連邦のために日本海側の防衛を重点に置いてきたが21世紀に入ってからの中国の軍事的台頭への懸念に加えてF-4EJ改の退役が迫っていることから2008年度(平成20)に百里基地の第204飛行隊を那覇基地の第302飛行隊と入れ替えることとなった。百里基地に転属するF-4EJ改をF-Xで更新するので中長期的には首都圏の防空力も向上するものとされている。
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千歳基地第2航空団 - 第201飛行隊、第203飛行隊 百里基地第7航空団 - 第204飛行隊305飛行隊 浜松基地:第1術科学校 小松基地第6航空団 - 第303飛行隊、第306飛行隊 岐阜基地:飛行開発実験団 築城基地第8航空団 - 第304飛行隊 新田原基地飛行教導隊、飛行教育航空隊 - 第23飛行隊
喪失事故
撃墜事故を含めて空自ではF-15を合計11機喪失している。特に最初の10年で5機を失っている。
:{| class="wikitable" style="float:right" style="text-align:left"
{| class="wikitable" style="float:right" style="text-align:left"
発生年月日喪失事故状況被害 1983年10月20日202飛行隊DJ型 12-8053夜間訓練中2名殉職 1987年3月13日204飛行隊J型 42-8840要撃訓練中のバーティゴによる墜落1名殉職 1988年6月29日303飛行隊J型 22-8804,22-8808ACM訓練中2名殉職 1990年7月2日204飛行隊J型 52-8857夜間要撃訓練後1名殉職 1991年12月31日201飛行隊DJ型 12-8079小松飛行場着陸進入中の燃料漏れによる爆発1名負傷 1992年10月27日204飛行隊J型 72-8884
305飛行隊貸出帰投中の操縦不能1名殉職
(脱出時にキャノピーで頭部強打) 1993年10月6日202飛